水茎岡山城は、近江ハ幡市の北西部の牧町岡山に所在
し、城郭遺構は琵琶湖に面した頭山(標高147・8メ
ートル)とその南に位置する大山(標高187・7メー
トル)の山頂及び、山麓に分布している。1946年に
干拓事業によって、水茎内湖が埋め立てられるまで、内
湖に周囲を囲まれた自然環境にあり、「湖中の浮城」とし
て知られたものであった。またその景観は、古代におい
ても「秋風日異吹者水茎能岡之木ノ葉色付爾家里」と短
歌に読まれている(『万葉集』巻十 読人不知)。
『近江蒲生郡志』によると、岡山城は、南北朝時代に
佐々木六角の湖上警固の支城として築かれたとされる。
本格的な築城は、永正五年(1508)に足利十一代
将軍義澄が足利義尹の入洛を恐れて近江に逃れた際、伊
庭、九里氏を頼って、坂本、長命寺を経て、岡山城に人
城したころに始まったのではないかと考えられている。
その後、伊庭・九里と六角氏の間で不和が起こり、永正
十七年(1520)に伊庭貞説、九里浄椿が六角定頼、
細川高国に四十日の龍城戦の後に敗れて、岡山城は開城
することになる。その後に、伊庭、九里氏の残党が再度
本城に立て龍り、大永五年(1525)の黒橋の戦い
(黒僑は、現在の近江ハ幡市西ノ庄町の黒橋にあたり、
ここを流れる黒橋川の川原で黒橋の戦いは行われた。現
在は石碑が建てられている)で六角氏に敗れて廃城にな
ったとされる。
尚、この戦いの最中の永正六年(1509)三月には、
義澄の室が十二代将軍義晴を本城内で出産し、同年八月
には京に攻め上がった義澄は、敗走して帰城の後、本城
において死去している。
城郭遺構は、頭山と大山にそれぞれ分布する。
頭山の遺構は、近年水資源開発公団琵琶湖開発事業の
湖岸堤管理用道路の敷設によって著しい破壊を受けたた
めに明瞭な形で遺構は確認できないが、僅かに山頂周辺
大山の山頂部一帯には良好に遺構が残存しており、最高
所には、大小.一つの平面長方形の曲輪が存在し、東側
のものは東端にL字型に土塁が確認できる。
土塁は、基底部で幅約3メートル、高さ約1・5メート
ル、長さ18メートルを測る断面台形のものである。
この2つの曲輪の間には、堀切が掘られ、ほぼ中央に
ある土橋によって連絡している。曲輪の周囲は切岸が巡
っており、さらにその下方は腰曲輪で囲まれている。
この二つの曲輪が、その規模と周囲に施設が集中する
状況から見て、本城の主要部を占めているといえる。
この大山、頭山の山頂山麓に分布する施設群には基本
的に石垣は存在しないが、その二つの山の鞍部において
は、昭和五十五、五十六年の発掘調査で、石垣が検出さ
れており、それぞれの築造年代を考える意味でも興味深
い。
大山の南麓には雛壇状の曲輪群が二群存在し、人手を
守っていたものと考えられる。中でも南西端に位置する
ものは大きく、南北約22メートル、東西約40メート
ルを測るもので、東西南の三方には土塁が巡っている,
また、山腹南側斜面には、幅7・8メートル、を測る
竪堀が確認でき、南面の守りを固めている。
昭和55、56六年に行われた、滋賀県教育委員会に
よる調査では、頭山と大山の間の鞍部において、居館跡
と考えられる遺構が確認されている。
居館跡は、約220平方メートルの平坦地を作り出し
ており、そこに礎石立建物、溝、広場、土坑、さらにそ
の平坦地を囲むように土塁が存在することが確認され
た。礎石立建物は六棟検出されており、その中には、溝
によって区画された大型の建物があり、その建物の床は、
小倅が敷かれているという特徴を持ち、中心的な建物で
あると報告されている。
居館跡を囲む土塁に関しては、曲輪の東・北・西側に
コの字に築かれており、特に東側の土塁は規模が大きく、
約一~三メートルの高さで築かれている。これに対して、
北と西の土塁は低いもので30~50センチの規模であ
った。また、一部において、石垣が検出されている。
調査報皆によると、検出された礎石立建物には、床下
に小倅を敷き詰めるものがある点や、庇付きの建物が、
軒廊で別建物に接続する点など、一般的な建物とは考え
にくい点が多く、あるいは、本城に身を寄せていた将軍
義澄の仮の御所として存在していた可能性を指摘されて
いる。また、この調査で出土した遺物についても、十六
世紀代に入ってからのものが出土しており、史実を裏付
けるものであるといえる。
(三尾次郎)
出典:
【エピソード】
秋風の 日にけに吹けば
水茎の 岡の木の葉も 色づきにけり
万葉集 巻第十 2193
秋の風が一日一日と吹くようになって来て、
あの岡の上に悠然と立っている木に茂る葉も、
少しずつ吹き抜ける秋風に染めて行かれるかのように、
鮮やかに色づいて来た。
【脚注及びリンク】
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1.探訪「水茎岡山城」-歴史さんぽ 戦国山城探訪
2. 琵琶湖と城郭、2007.08.06、滋賀県
3. 岡山城跡、2010.08.13、滋賀県
4. 湖東平野の山々
5. 政争に敗れた足利将軍を迎え入れた、近江の浮城
7. 足利義稙(義尹)
8. 伊庭城
9. 探訪 【水茎岡山城頭山(主郭・石積) 近江国】
10. 「朝鮮通信使」が通った「朝鮮人街道」を行く(Ⅲ)安土~
北腰越~伊庭水郷~能登川
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