和田山城は合併によって誕生した東近江市神郷町・五個
荘和田町の標高180.1メートルの和田山山頂に位置
している。南西山麓の共同墓地には駐車場もあり、登城
には大変ありかたい。この墓地よりやや急峻な和田山の
西面を登ること約20分ほどで山頂に到着する。和田山
は愛知川に突出する小独立丘で、南西には叡山が聳えて
おり、近江守護佐々木六角氏の居城、観音寺城が構えら
れていた。このため叡山周辺の山々には観音寺城を防御
するように支城群が配置されていた。叡山の北東端には
佐生城が、南方には箕作山城や小脇山城、布施山城、長
光寺城が、西方には円山城などが築かれていた。和田山
城もこうした城郭と同じように、観音寺城を防御する目
的で築かれたものと考えられる。
その歴史であるが、寛文年間(1661~73)頃に
記された地誌『淡海本間攫』には「古此所二和田氏アリ、
則和田山二居城ス、古城跡アリ、佐々木六角政頼ノ三男
和田和泉守高成神崎郡和田氏ノ元祖ナリ、」とあり六角
氏の一族である和田氏が城主であったと伝えている。和
田山の南側山麓、東近江市五個荘和田の集落内には小字
で「堀ノ内」という地名があり、ここが和田氏の居館で
あったと考えられる。
永禄11年(1568)織田信長の近江侵攻により、和田嘉助・
新助ら六角氏の軍勢は籠城したが、箕作城の落城により、
甲賀に敗走している。
永禄11年(1568)9月、織田信長の近江侵攻に
対して和田山城は単なる土豪の詰城ではなく、六角氏の
最前線として六角氏の被宮たちが立て龍もって防戦する
こととなった。先の『淡海水間覆』には「馬淵山城守宗
綱・同兵部少輔建綱・同右衛門太夫賢久・同定房・家盛・
松原弥兵衛賢治・木村筑後守重高・宮木右兵衛太夫賢佑・
和田嘉介・同新介等龍城シ専ラ防戦ス」と記されている。
『信長公記』には「愛智川近辺に野陣をかけさせられ、
信長懸まはし御覧じ、わきわき数ケ所の御敵へは御手遺
もなく、佐々木父子三人楯龍られ候観音寺並箕作山へ、
同12日にかけ上させられ、佐久間右衛門・木下藤吉郎・
丹羽五郎左衛門・浅井新八、仰付けられ、箕作山の城攻
めさせられ、申剋より夜に入り、攻落し詑。(略)其夜
は信長みつくり山に御陣を居ゑさせられ、翌日佐々木承
禎が館観音寺山へ攻上らるべき御存分の処に、佐々木父
子三人廃北し、13日に観音寺山乗取り御上り候。」と
あり、信長は近江侵攻にあたって六角方が立て龍もる諸
城には目もくれず観音寺城と箕作山城を攻めている。和
田山城は「数ケ所の御敵」のひとつであったようだ。『
佐久間軍記』では「和田山城ヲハ以美濃三人衆ヲサヘ(
略)観音寺・和田山没落シ」とある。『信長公記』と併
せ読むと、箕作山城への攻撃には信長の馬廻衆があたり、
和田山城へは美濃三人衆があたったことが知られる。
城跡は和田山頂上部に位置する比較的小規模な山城で
あるが、遺構はほぼ残されている。その構造は基本的に
は土塁によって囲郭する単郭の山城である。土塁は尾根
稜線の東西に高く築かれている。北端の土塁は12メー
トル四方で、高さ3メートルを測る巨大なもので、櫓台
であった。南端にも同様の土壇状の土塁があり、櫓台で
あったと考えられる。いずれも小規模な山城には不釣合
いな土塁であり、古墳を利用しているようである。これ
らを結ぶように東・百道にも土塁が巡らされており、四
周が土塁囲いとなっている。その規模は東西25メート
ル、南北50メートルに過ぎない。こうした四周を土塁
によって構えられた曲輪内部には、さらに東西の土塁か
ら曲輪内に突出させた土塁がくい違いの仕切り土塁とな
って曲輪内を分割している。
ところで、和田山城では階段状に削平する曲輪を持た
ず、尾根を切断する堀切も設けられていない。実は観音
寺城を中心とした六角氏の諸城では石垣は発達するもの
の遮断線としての堀切を伴わない特徴が認められる。石
垣については観音寺城や佐生城といった六角氏が直接築
城に関与した山城には採用されるが、和田山城や箕作山
城、大森城、布施山城、雪野山城などの土豪の詰城では
土塁が発達する。
非常に小規模な山城ではあるが和田山城は六角氏の築
城技術を垣間見ることのできる山城である。
【エピソード】
●近くて行けていない城跡ではあるが、ストリートビューが和
田山周辺まで公開されている。激しい時代の移ろいを感じる。
そのうち3次元映像撮影機を装着したキャップをかぶり
エイジェントが散策(トレッキング)し、あるいはドロ
ーン(自動制御無人ヘリ)で撮影した映像が編集公開さ
れるかもしれない。
●先月30日に尾末町の谷口三平さんを表敬訪問。子供
会のお世話中で近況をお伺いしお邪魔させていただきま
した。奥様の気苦労は耐えないとは言え、持病の心配も
見せず周りを明るくさせてくれる陽気なキャラは変わり
なく安心しました。
【脚注及びリンク】
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1.東近江市埋蔵文化財センター - 東近江市能登川博物館
2.「正ちゃんの『能登川の遺跡探検(いせきたんけん)』
ものがたり
3.近江の城郭「和田山城」
4. 淡海木間攫、塩野義陳 [編]
5. 新撰 淡海木間攫、サンライズ出版
6. 近江市城跡巡り 2011年11月4日
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