戦国時代末期の永禄11年(1568)、近江南部
を支配していた守護六角氏は、上洛を目指す織田信長
の前にもろくも敗れ、居城の観音寺城を放棄して、伊
賀国や甲賀郡に逼塞した。
しかし、六角氏は、元亀.元年(1570)5月に
なると、足利義昭の呼びかけに応じて、信長に服属し
つつあった湘南平野や湖東平野をうかがうようになり、
反織田信長勢力網の一翼を担うようになる。
その頃、織田信長は、上永原城(野洲市)に家臣の
佐久間信盛を、青地城(草津市)に在地勢力の青地氏
を配置していた。しかし、六角氏が野洲川づたいに西
上し、石部口(湖南市)に拠点を作って織田方への圧
力を高めると、六角氏に呼応した湖南の一向一揆とも
対立し、野洲川流域の、浮気城・守山城・金森(守山
市)などで戦いを繰り広げていった,
六角氏・湘南の一向一揆と織田信長との対立で、甲
賀の山峡から湘南平野に抜ける野洲川流域は、さなが
ら両勢力の「境目」の様相を見せた,この元亀の争乱
に際し織田方が築いたと考えら紅ているのが、多喜山
城である。
多喜山城が位置する日向山は、集落からの比高が
107メートルほどであり、決して高い山とはいえな
いが、尾根は細く、丘腹は急斜面であり、登山用の石段が
なければ、歩くのにはつらい地形である、
山頂は、木々が開かれ、ちょっとした公園になって
いる。周囲への眺望はすこぶる良好で、合戦の舞台と
なった野洲川はもちろんのこと、山麓を通る東海道石
部目まで視野に治めることができ、対六角氏戦略を意
識して築城されたことを彷彿とさせる。
山頂に残る遺構は、南北30×東西50メートルの
主郭を中心に、西側尾根に三段々の曲輪を付属させた
連郭式山城である,城の規模は、全体でも東西150
×南北50メートルと極めて小さいが、土塁に囲まれ
た主郭には大石を使った石垣や、直角に曲がった土塁、
中央を穴蔵のように掘りくぼめた櫓台などが現存する。
遺構の中で、最も注目されるのは、東と西に作られ
た虎口である。いずれも、土塁を喰い違いにすること
でつくられた入り口を、左に折れて主郭に入る構造で
あり、一枡形虎口」に良く似た形態となる同時期に織
田方の教典城郭の1つとして機能した宇佐山城(大津
市)も、同じ形態の虎口を持っている。
「枡形虎口」とは、織豊政権や徳川政権下で発達した
虎口形態の1つである。その構造は、2つの城門(一
の門、二の門)にはさまれた所が、方形の空間となっ
ており、一の門を入って、一の門に至る際に、左また
はもに直角に析れて城内に入るものである。その防御
方法とは、城内側の兵Lが、一の門を破った敵兵を枡
形の空間に誘導して、一の門の突破に手間取っている
敵兵めがけて、空間内部を取り囲むように攻撃するも
のである,
しかし、多良山城の虎口は、左に折れた先が、空問と
言うよりも城道と同じ幅しかないため、空間が形成され
るよりも前の段階にあたると考えられる。
多喜山城や宇佐山城の虎口は、織豊系城郭の虎口編年
の標識遺構となっているので、虎口の変遷を知る上で、
一度は訪れて見たい遺構である。
ところで、織田信長に対抗した六角氏は、元亀争乱で
どのような砦を築いたのであろうか。六角氏が一時期に
拠点を置いた石部口に程近い、柑仔袋(湖南市)の東丸
岡城・丸岡城は在地勢力の青木氏が築いた本拠地とされ
る,しかし、両城は片木氏の本拠地からやや離れる上に、
野洲川左岸は、元亀争乱で六角氏の主力として戦った三
雲氏の三雲城から、柑子袋の間は、在地勢力の山城や丘
城が分布しない地域である『このため、在地勢力が築城
した場合でも、その城郭の配置には六角氏の戦略が反映
されていた可能性が高い。
東丸岡・丸岡城の虎口の構造を見ると、主郭から空堀
の対岸を土橋で渡った先に、出撃口を守るように馬出状
の施設を設けている。丸岡城は、土塁を直角に複数回に
折り曲げて、主郭に入る道を作っている。近江南部は、
単純な虎口か多い地域であるが、両城には防御性の高い
虎口が用いられており、六角方の城の中でも重要視され
たことがうかがえる。しかし、虎□の基本的な形態は、
平人虎口であるため、多喜山城に比べると、敵兵の侵入
を阻害する力は弱いと思われる。
元亀元年六月、小競り合いを繰り返していた織田信長
方の佐久間信盛と六角氏は、野洲川原で激突した。戦地
の詳しい場所はわかっていないが、敗れた六角氏は昔日
の力を失い、歴史のλ舞台から姿を消しはじめていく,
それは、野洲川で見せた.両勢力の築城技術のうち、織
田方の技術が生き残り、発展することを約束した瞬間で
もあった。
(藤岡姓礼)
【脚注及びリンク】
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1.佐々木六角氏およびその家臣団の城郭 近江の城50選.
2.日向山(多喜山城跡) 滋賀県観光情報
3.六角氏式目 Wikipedia
4. 2012年10月例会のご報告 近江 多喜山城・三雲城・丸
岡城・東丸岡城
5. 石室の規模が最大規模の日向山古墳
6. 安井宗運が見た戦国時代の滝山城
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