山崎山城は比高60メートルの独立丘陵である山崎山
の東側稜線上にある。朝鮮人街道を能登川方面から彦根
に向かう際、宇曽川の手前で大きくカーブする箇所で行
く手をふさぐようにあるのが山崎山である。
城は従来、在地土蒙である山崎氏の居城と伝えられて
きた。山崎氏は六角氏の庶流で、山崎山周辺に勢力を維
持していた。竹生島奉加帳に名がみえ、天文七年(15
38)の六角氏の坂田郡出陣にも従軍している。後に浅
井方に付いたようだが、織田信長の近江進攻後はこれに
従っている。織豊政権下でも存続し、摂津三田に移封さ
れるものの近世に至る。
城は南北を急な斜面にはさまれ、東は宇曽川へ向かっ
て急激に落ち込んでいる。尾根続きは西側のみでここに
堀切がみられ、曲輪面と僅かながら石垣も露出していた
ようだ。
平成五年(1993)から行われた給水タンク建設に
伴う発掘調査では、この僅かに露出していた石垣がさら
に大掛かりなものであったことが明らかとなった。大規
模な「城破り」が行われたらしくかなりの部分は崩され
ていたが、東・南面では多量の裏込めの栗石を伴った石
垣が検出されている。また、この石垣は明瞭な算木積み
がみられ、一部で横矢掛り状に㈲曲するなど、安土城の
石垣との類似性が指摘された。この調査成果をうけて彦
根巾指定史跡となり、保存されて公園整備が行われてい
る。
城内は西端の堀切内側を最高所として、東側に向かっ
て階段状に低くなっている。この西側では石垣を伴った
櫓台や、穴蔵もしくは枡形と思われる空間も検出されて
いる。堀切の土橋を渡った威迫は、堀切を制圧する櫓台
の下で左折し北側から城内に入ったとみられる。これら
は残念ながら、城破りによる破壊のためか、調査不足の
ためか、図示した複数の石垣列を含め不明な点が多い,
さて、城内東寄りにも基壇状の石垣が確認されており櫓
台があったようだ。南面で検出された石垣は二、三段を
残すのみであったが直線的な塁線で、複数の西を持ち多
量の裏込め石を確認している。岩盤上に築かれた東西や
北面の石垣は直角に曲げられ、特に北面では塁線を屈曲
させている,このように山崎山城は、主要部分が石垣で
構成されたコ石の城」であった。
検出された遺構と共に注目されるのは城の立地である,
冒頭で触れたとおり現在の朝鮮人街道は山崎山の南側
で大きくカーブしているが、織田政権ドで整備された下
街道やそれを踏襲した朝鮮人街道も能登川方面から直線
的に進んできたものが、山崎山で西側へ迂回させられ山
の北側で再び直線化している。あたかも山崎山を基準に
街道を設定しているかの如くである。この点で、城の南
面の石垣は南方から北上してくる街道からの視覚を意識
していると考えられる。城からは北は彦根城や佐和山城、
南は観音寺城や安土城を一望することができ、街道をか
なり意識した築城と言えよう。
以上のことから、安土城に類似した織豊系城郭の特徴
を有した構造と、近江の南北をつなぐ街道を意識した立
地が指摘できるが、これを在地土豪である山崎氏の居城
と考えることは難しい。むしろ、織田政権下で築城され
山崎氏が管理を任されたと考えることが妥当である。『
信長公記』には天正十年(1582)に山崎に「御茶屋」
を設け、山崎源大左衛門が接待した記録がある。「御茶
屋」は佐和山や柏原、美濃の今須にも設けられているこ
とから、岐阜から安土を結ぶ街道の中継施設と考えられ
る。このことから山崎山城は、山崎氏が自前で石垣の城
を築き街道を曲げたとは考え難く、信長の政策の下で御
茶屋とも関連して、安土・佐和山間の中継点かつ街道の
警備用に築城されたのであろう。
ところで山崎山城は公園整備されたものの、東面や北
面で検出された石垣は大半が埋められてしまい、城内の
櫓台状の石垣もほとんど見えない状態となり、堀切から
入った城道は櫓台を直登してしまっている。破壊を免れ
て保存整備が行われ、湖東平野を一望できる絶好のビュ
ーポイントとなっていることは喜ばしいが、城跡公園と
してはやや残念なところである。
(早川 圭)
出典:
【エピソード】
【脚注及びリンク】
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1.彦根市指定文化財 「山崎山城跡」 山崎山城の特徴
を観る~
2.近江 山崎山城(彦根市)/登城記|タクジローの日
本全国お城めぐり
3.「山崎山城」―安土城と佐和山城の中継点、歴史手
習塾「戦国彦根の城郭講座」第3弾,2010.05.28
4.彦根市指定文化財「山崎山城跡」築城者と築城時期
5.山崎片家 - Wikipedia
6.近江の戦国時代 京極氏と六角氏
7.近江の戦国時代 浅井氏の台頭
8.近江の戦国時代 信長の近江侵攻
9.近江六角氏はなぜあっという間に敗れ去ったのか?
10.琵琶湖岸の地理的環境と戦国時代の近江の水城
11.佐々木六角氏の歴史
12.荒神山/山崎山, 山聲
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