5月9日に話してきたのは、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)でした。
坂上田村麻呂は、Iさんの前世だったのか、彼もそれを感じているようで、私達タイタマ会で以前に東北に行ったきっかけも、2年前に映画の「阿弖流為」を観て、余計に行かなければと思ったのですね。
🐶月イチ歌舞伎「阿弖流為」を観に行きました。
今回、なぜ坂上田村麻呂が出てくるのかというと、私がライオンに襲われそうになって、田村麻呂に助けられたと、何度も神様やウジャトの飼いトラに言われていたからです。
と言われても、見えていた訳でもないので、なんともな話ではありますけどね。。。
田村麻呂は、いきなり話してきました。
変わらないでくれよ。
どなたですか?
坂上田村麻呂だ。
先日は、助けてくださったそうで、ありがとうございました。
私も驚いたよ。
ライオンは、本当にM子を殺そうとしていたからな。
ライオンが立っていたから、私はM子の前に立ったのだよ。
モレも来ていたし、タイの姉弟も来ていたよ。
トラから聞いただろう。
ウジャトのトラだよ。
つーーーーちーーーー(土)がない都会は、放電出来ないのだよ。
今はもう大丈夫だ。
新月から、変わるからな。
目から出た膿(うみ)に毒素は入っていたからな。
母礼(モレ)という人は、「阿弖流為」にも出てきますが、アテルイの親友なのです。
私は、前世がモレだったと何度か言われていました。
私の前世とIさんの前世が集まっていたということでしょうか。
土が大事と、水が大事とよく言われますね。
土は、放電するために必要みたいだし、水は流すために必要みたいですね。
次に話してきたのは、スサノオノミコトでした。
M子はよく耐えられたな。
トラが言った通りだよ。
坂上田村麻呂が言った通りだよ。
Iは、強くなったからその分、陰も強くなったということだな。
モレが心配していたから、話したらいいよ。
ということで、モレが話してきました。
モレだ。
アテルイと京都に連れていかれたことが、わかってくれてありがとう。
もしも、京都に行かなくても、私達は殺されていただろう。
坂上田村麻呂は、戦ってくれたが、朝廷の力は絶対だったからな。
私はアテルイと死ねたから、本望だったよ。
アテルイとは、ずっと仲良くしていたからな。
M子と言うのか。
私のカケラが入っているそうだな。
Iは、坂上田村麻呂だろう。
かつての敵だが、今は仲良くしているから安心してくれよ。
私は神になっているよ。
アテルイもね。
私達は、六階層にいるよ。
田村麻呂は、五階層だろう。
世間は狭いということだな。
会うべく人に出会うのだよ。
友達の輪は広げてくれればいいよ。
私達も応援するよ。
今から1200年前に、岩手県の蝦夷(えみし)と、朝廷軍は戦っていて、なかなか手強かったので、坂上田村麻呂が行くようになったそうです。
私は、坂上田村麻呂と初めて話した時の記事を探していて、2016,7,26の記事だとわかりました。
その記事で田村麻呂が言っていたことが、やっぱり今も続いていると感じました。
抜粋すると
ふーーーーーーーかーーーーーくーーーーだーーーーっーーーーたーーーー。
不覚だった。
になったので、次を聞くと、
アテルイとモレに悪いことをした。
大和朝廷の狙いは、私だったのだ。
不覚だった。
坂上田村麻呂だ。
坂上田村麻呂様は、今は神様なのですか?
私は、五階層の神になっているよ。
話したかった。聞いてくれてありがとう。
この人は、前世が田村麻呂さんの人ですよ。
歌を作っている人だろう。いつも、聞いているよ。
🐶筑波山の話 その4
🌟延暦21年(802年)1月9日に胆沢城を築くため造陸奥国胆沢城使として田村麻呂が陸奥国に派遣された。
『日本紀略』には、同年の4月15日の報告として、大墓公阿弖利爲(アテルイ)と盤具公母礼(モレ)が500余人を率いて降伏したと記されている。
2人は田村麻呂に付き添われて7月10日に平安京へと上京、田村麻呂は
「この度は願いに任せて返入せしめ、其の賊類を招かん」と2人の命を救うよう助命嘆願をしたものの、平安京の公卿(くぎょう)は執論して
「野生獣心にして、反復定まりなし。
たまたま朝威に縁りてこの梟帥(たける)を獲たり。
もし申請に依り、奥地に放還すれば、いわゆる虎を養いて患いを残すなり」
と反対して、8月13日に河内国にてアテルイとモレは処刑された。
梟帥(たける)とは、異種族の長のこと。
坂上田村麻呂が建立した京都の清水寺には、1994年に建てられた石碑があるそうです。
石碑の裏面に同じことが書かれていますね。
坂上田村麻呂は、Iさんの前世だったのか、彼もそれを感じているようで、私達タイタマ会で以前に東北に行ったきっかけも、2年前に映画の「阿弖流為」を観て、余計に行かなければと思ったのですね。
🐶月イチ歌舞伎「阿弖流為」を観に行きました。
今回、なぜ坂上田村麻呂が出てくるのかというと、私がライオンに襲われそうになって、田村麻呂に助けられたと、何度も神様やウジャトの飼いトラに言われていたからです。
と言われても、見えていた訳でもないので、なんともな話ではありますけどね。。。
田村麻呂は、いきなり話してきました。
変わらないでくれよ。
どなたですか?
坂上田村麻呂だ。
先日は、助けてくださったそうで、ありがとうございました。
私も驚いたよ。
ライオンは、本当にM子を殺そうとしていたからな。
ライオンが立っていたから、私はM子の前に立ったのだよ。
モレも来ていたし、タイの姉弟も来ていたよ。
トラから聞いただろう。
ウジャトのトラだよ。
つーーーーちーーーー(土)がない都会は、放電出来ないのだよ。
今はもう大丈夫だ。
新月から、変わるからな。
目から出た膿(うみ)に毒素は入っていたからな。
母礼(モレ)という人は、「阿弖流為」にも出てきますが、アテルイの親友なのです。
私は、前世がモレだったと何度か言われていました。
私の前世とIさんの前世が集まっていたということでしょうか。
土が大事と、水が大事とよく言われますね。
土は、放電するために必要みたいだし、水は流すために必要みたいですね。
次に話してきたのは、スサノオノミコトでした。
M子はよく耐えられたな。
トラが言った通りだよ。
坂上田村麻呂が言った通りだよ。
Iは、強くなったからその分、陰も強くなったということだな。
モレが心配していたから、話したらいいよ。
ということで、モレが話してきました。
モレだ。
アテルイと京都に連れていかれたことが、わかってくれてありがとう。
もしも、京都に行かなくても、私達は殺されていただろう。
坂上田村麻呂は、戦ってくれたが、朝廷の力は絶対だったからな。
私はアテルイと死ねたから、本望だったよ。
アテルイとは、ずっと仲良くしていたからな。
M子と言うのか。
私のカケラが入っているそうだな。
Iは、坂上田村麻呂だろう。
かつての敵だが、今は仲良くしているから安心してくれよ。
私は神になっているよ。
アテルイもね。
私達は、六階層にいるよ。
田村麻呂は、五階層だろう。
世間は狭いということだな。
会うべく人に出会うのだよ。
友達の輪は広げてくれればいいよ。
私達も応援するよ。
今から1200年前に、岩手県の蝦夷(えみし)と、朝廷軍は戦っていて、なかなか手強かったので、坂上田村麻呂が行くようになったそうです。
私は、坂上田村麻呂と初めて話した時の記事を探していて、2016,7,26の記事だとわかりました。
その記事で田村麻呂が言っていたことが、やっぱり今も続いていると感じました。
抜粋すると
ふーーーーーーーかーーーーーくーーーーだーーーーっーーーーたーーーー。
不覚だった。
になったので、次を聞くと、
アテルイとモレに悪いことをした。
大和朝廷の狙いは、私だったのだ。
不覚だった。
坂上田村麻呂だ。
坂上田村麻呂様は、今は神様なのですか?
私は、五階層の神になっているよ。
話したかった。聞いてくれてありがとう。
この人は、前世が田村麻呂さんの人ですよ。
歌を作っている人だろう。いつも、聞いているよ。
🐶筑波山の話 その4
🌟延暦21年(802年)1月9日に胆沢城を築くため造陸奥国胆沢城使として田村麻呂が陸奥国に派遣された。
『日本紀略』には、同年の4月15日の報告として、大墓公阿弖利爲(アテルイ)と盤具公母礼(モレ)が500余人を率いて降伏したと記されている。
2人は田村麻呂に付き添われて7月10日に平安京へと上京、田村麻呂は
「この度は願いに任せて返入せしめ、其の賊類を招かん」と2人の命を救うよう助命嘆願をしたものの、平安京の公卿(くぎょう)は執論して
「野生獣心にして、反復定まりなし。
たまたま朝威に縁りてこの梟帥(たける)を獲たり。
もし申請に依り、奥地に放還すれば、いわゆる虎を養いて患いを残すなり」
と反対して、8月13日に河内国にてアテルイとモレは処刑された。
梟帥(たける)とは、異種族の長のこと。
坂上田村麻呂が建立した京都の清水寺には、1994年に建てられた石碑があるそうです。
石碑の裏面に同じことが書かれていますね。