私は3月に会社を辞めていたのですが、4月の始めにお世話になった部長から連絡があり、部長のために川崎大師の不動明王のお札を求めに行こうと考えていました。
私の家の空海様のお札も替えてから一年近く経っていたし、この頃は4月7日に「非常事態宣言」が発令されると言われていたので、少し前倒しになるけれど、行っておこうと思ったのですね。
M子はいつまでも話したいから守るよ。
どなたですか?
ミクネだ。
ありがとうございます。
疑いがないから助かるよ。
弱っているY(夫)が病気になったら終わりだからな。
だから、熱海にも昨日行った後4月末までは行かないでいいと言ったのだ。
川崎大師は行っても大丈夫ですか?
川崎大師は4月6日に行ったらいいよ。
お札を求めたらいい。
知多半島の荒熊神社には、5月以降に行ったらいいよ。
四国は、来年になってしまうかもしれないな。
今年は無理だろう。
残念だけどな。
Iに伝えてくれ。
他にはいないと、、、
わかった人は他にはいないと。。。
全部が繋がりのことだからな。
三鷹、熱海、東尋坊、真脇、富士、五島列島、室戸岬、十津川、利尻、羅臼、志度だよ。
志度の次は、剣山だ。
剣山には失われたイザナミの秘密があるからな。
わかりました。
カラツの神が話したいと待っている。
カラツの神です。
話したかったです。
M子さんは、会社を辞めてやっと自由になりましたね。
これからは、「時の扉」のこともお願いします。
魂の変わらない話ですからね。
ということで、4月6日は川崎大師に行って来ました。
とても、天気の良い日でした。
通勤時間の後だったので、電車も空いていました。
川崎大師の近くの床屋さんの黒板に笑いました。
参道のお店は、半分くらいが閉まっていました。
手水も使えない状態でしたね。
4月8日は、お釈迦様の誕生日で、本当は「花祭り」の賑わいになるのだろうと思いました。
私は、本堂の右側で毎年替えている御朱印を求めて、不動堂で不動明王のお札を求めて、薬師殿に行きました。
丁度桜は満開の時期で、閑散とした境内では、前日の屋台を畳んでいる人達がいるくらいでした。
薬師殿の前の広場では、子供達がキャーキャーと楽しそうに笑っていました。
4、5人の子供達を薬師殿の前に二組の若いご夫婦が見ていたので、なかなか外で遊ばせられないからか、
子供はエネルギーが余ってしまって大変だろうと思いました。
薬師殿には、やっぱり人はいなくて、薬師如来と天井の写真を撮りました。
私が薬師殿に来たのは、薬師如来の札を求めるためでした。
丁度その頃に📩をいただいた方がいらして、四国の高知在住で私と名前が同じ方だったので、お電話でお話していたのです。
ミクネの神が、その方にお送りするようにと言っていたのですね。
その時に薬師如来が話してきて、私の父にお守りを送るようにということだったので、お守りも求めました。
父は、頭はしっかりしているのですが、96才の年齢はやっぱり体にきていて、手足がずっと痺れていて辛いと言っていたからです。
そのことを薬師如来が言ってくれたので、私は思わず涙がこぼれました。
今は、気軽に施設に面会に行けないので、他に頼まれた物と郵送しました。
私は、帰りは不動堂が正面になる門から帰りました。
帰り道に寄った最寄り駅の大岡川の遊歩道は、桜が満開でした。
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