内子町小田の方にお話しを聞きましたが、公共事業の減額で小田町の
建設業者も3社になり、働く場所を失った人も多く、大変な状況と話されていました。
高度成長時代に、今日を予測し、蓄えをしていたらと悔やまれていましたが、何処も
誰も同じようです。
この不況を脱却して、高度成長の波が来たとして、果たして今の考え、
思いが続いているものでしょうか?。
この不況のことを忘れて、また浪費に走るような気がします。
次の本が、まさにそれを暗示しているようです。
「危険不可視社会」畑村 洋太郎、講談社
・メンテナンスに関する意識が最も低いように思えるのは
公共の施設です。とくにひどいのは・・・公園の遊具です。
劣化がひどくて、一歩間違えれば凶器になる状態まで、
平気でそのまま放置されていることもあります。(p96)
遊具の事故が報道されたときには、使用禁止や遊具の修理を各所で見ましたが、今は、メンテナンスもすべて完了したのでしょうか?。
今は、あまり見かけません。
河辺のふるさと公園の歩道の手摺が取り替え工事中ですので、それぞれ対応は
されている事かと思いますが、事故の無いうちに再点検をされては同でしょうか。
・人間は同じことを「三日」も繰り返すと飽きてきます。
自分が手痛いミスをしたときには記憶が長続きしますが、
それでも「三月」もすればだんだん忘れていきます。
そして「三年」もたてばほぼ完全に忘れてしまい、日常生活では
過去の事故は生かされなくなっていきます。
組織の場合は長く活動を続けていると、途中で人間の入れ替わりがあります。
そのため大きな事故やトラブルの記憶は、「30年」もすると
減衰してだんだんと消えていきます。(p209)