すばるに恋して∞に堕ちて

新たに。また1から始めてみようかと。

出せました。

2012-02-10 20:57:21 | 日記

先週、帰宅した夫に頼みこんで、倉庫から運び出しておいた雛人形の箱。

今日、ようやく飾り付けることができました。



所要時間1時間半。
昨年の同時期のブログでは、飾りつける手順なんかもUPしましたが。
手慣れたもんです。

一番最初は、人形屋さんが二人がかりで飾り付けてくれたのでラクでしたが、
翌年、
自分で飾らなきゃいけなかった時には、茫然としました。
(ソッコーで、実妹を呼びつけたよね・笑)

夫が中国単身赴任の間だけ、飾るのを取り止めましたが。
(とてもじゃないが、女手ひとつで運び出せるような箱の大きさ重さじゃない)

それ以外は、
玄関脇の八畳間を占領して、飾り付けています。

当然。
婆さんは憮然とした表情で、
いつもいつも、
「邪魔だねぇ、大きけりゃいいってもんでもないのにねぇ」と、
事あるごとに、来客に吹聴して回るんですから、
いやになります。

でも、このお雛様。

亡くなった実家の父が、三つ子の孫のためにと奮発して買ってくれたもの。

毎年飾るたびに、
三つ子の孫を嬉しそうに眺めていた父の顔を思い出すのです。

『3セット買わなきゃいかんと思ったんだがなぁ』

お嫁に行くときに持たせてやるために、一人に1セット。

父はそう考えたようですが、
それは必死になって母が止めたらしい。
市松人形を3体にすることで、折り合いをつけてくれました(笑)

娘たちには、今のところ、雛人形に対する思い入れはないようですが、
私には、ずっと、『大きなお雛様』は憧れでした。

年の離れた妹が生まれて、お祝にと飾られた七段飾りの雛人形が、
真新しくて、大きくて、羨ましくて。

私のお雛様はといえば、
小さな木目込みの雛人形。
引越しの時に、もとあったガラスのケースも割れてしまって、
お道具も紛失してしまったようなもの。

私が生まれた当時、
決して裕福ではなかった母方の祖母が、
初孫のために奮発して買ってくれたのだと、
私が知るのは、もっと後のことで。

当時小学6年生の私には、
小さな雛人形が、そのまま、私への愛情の小ささ少なさに思えていたのでした。

父に話したことはないと思っていたのですが。
なんとなく察していてはくれたようで。

それから何年かして、
私の雛人形用に、端材で雛壇を作ってくれました。

孫が生まれたら、
女の子だったら、

父の中に。
そんな思いがあったのかもしれないなぁ、と思いながら。

少し寒さの緩んだ日差しの中。

出したばかりのお雛様を眺めていました。



お父さん。
ありがとう。

三つ子は、ちゃんと大学生になったよ。
来年は、成人式だよ。

成人したら。

真中に飾った名入りオルゴールの写真を、振袖姿に変えるからね。
自慢の孫娘たちを、ずっと、見守っていてね。