鉄面皮、厚顔無恥、破廉恥、恥知らずでは日本チャンピオン資格十分の都知事舛添には驚き、且つ呆れる。彼のシャアシャア振りは見事なものだ。”蛙の面に小便”も今後は”舛添の面に小便”がいいだろう。公費混同疑惑に関する2回の記者会見では『『精査する』『調査する』を44回、『第三者の厳しい調査する』も45回、ノラリクラリと逃げ回っていた。3回目は『ヤメ検の弁護士2名にキビシイ調査を依頼した。一刻も早く結果をとお願いしている。100報じられているうちの全てが問題あることではない。全くの誤解もある』と強気に転じた。弁護士から「違法性はない」強気に対応せよとを気合をいれられたのではないか。舛添は今後も詭弁を弄して己の正当性を強調するだろうが都民は最早見放している。言い訳をすればするほど見苦しい姿になる。彼は過去の著書では現在舛添が糾弾されている行為を羅列している。『舛添要一・39の毒舌、2010年5月』で大臣の外遊についての批判「そんなに公費で行くのがうれしいのか。そもそも『せっかく大臣になったんだから、ファーストクラスで海外』というさもしい根性が気に食わない」知事になった途端さもしいことを実行した。『日本新生計画、20105月』では「私は議員の公用車も要らないと思っている。電車で通ったほうが早いし、運賃も安く済む。私の場合、警備の関係上やめてくれと警察からいわれているので電車通勤はやっていないが、運転手付きの公用車は不要だ。自分で車が運転できなければ、タクシーでもいい」事実は毎週公用車で湯河原の別荘を楽しんでいる。「カネのかからない政治は本当にできないだろうか。私は自信を持ってノーといえる。私自身、カネのかからない政治をやってきたからだ。私は政治家のイメージを変えたい。それができない限り、まともな人が政治家になれないし、庶民のための政治など望めないからだ」カネのかからない政治とは、自分のカネを使わないこと、子供の下着からオノレのパンツまで全て政治資金を利用すればいい、そうすればカネはかからない。但し領収書を必ず受け取ることである。『日本政府のメルトダウン、2011年11月』にも「私が情報公開で特に心掛けたのは、自分たちに不利な情報ほど積極的に公開することだった。民主主義国家で権力の座に就いている者が、公開する情報を出してこそ民主主義だ」舛添自身が選んだ弁護士に調査させて、違法性がなかったと公表させれば全て落着するのである。検事出身のヤメ検の弁護士だから厳しいと都民に思わせるのが肝腎である。弁護士は依頼人に有利なように努めるのが常である。舛添に不利な結論は絶対出さないし、守秘義務で逃げる。『内閣総理大臣、2010年2月』「政治の世界において、カネを使うことそれ自体が悪ではない。政治によって蓄財し、それを私利私欲のために使うから悪なのである・・・私的な実利から潔癖に離れてさえいれば、カネにまつわるスキャンダルが相次ぐことなどなかった」これを舛添流だと「カネ(公費)を使うことそれ自体が悪ではない。政治によって蓄財し、それを私利私欲のためと見られぬように上手に使うのだ。私的な実利からではないと思わせればいいのだ。そうすればカネにまつわるスキャンダルにはならなかったのに憎き『週刊文春』が暴露してしまったのは誠に残念である。舛添は著書では聖人君子のような立派な言葉を並べているが、この正反対な野郎が舛添要一なのである。人気がなく、今でもない元総理森喜朗が「舛添君は立派に仕事をやっている」と褒めていた。世論調査で、舛添を支持する1%の1人だろう。もっとも、今でも引退しろと言われている森だ。舛添の巻き添えを食って東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を辞める羽目は避けたいのが本心だろう。精々『老醜』を世界に晒せばいい、それが本望だろう。”ケチとバカの二人連れ”これが東京オリンピックのシンボルではミットモナイ。2020年東京オリンピックは新国立競技場のデザイン設計では一旦決めたザハ・ハディド案はカネが掛かり過ぎるからと、新プランを募集してのやり直しから始まって盗用ロゴマーク、2億円以上の裏金疑惑と次々とケチが付き放しだ。東京に誘致を決めた都知事猪瀬は徳洲会から裏金5千万円を手にして沈没、代わりに清潔を売り物に登場した枡添は、『公金をオレのカネにする』希代の錬金魔術師、ネズミ男だった。彼に投票した国民、都民こそ”いい面の皮”だ。このネズミ男を推薦した自民、公明両党にも責任がある。都議会与党の自民、公明党議員が頬っ被りを続ければ、次の都議会議員選挙で都民は彼らに鉄槌を下すだろう。