殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

不倫の王道

2010年01月28日 10時53分31秒 | 前向き論
昨日友人と、不倫の王道について語り合った。

やはり「王道」としては

女性が独り身、男性が家庭持ちというのがいいかも…そしてモメて…みたいなこと。


楽しい蜜月期間を経て、やがては

「いつ奧さんと別れてくれるの?」に至る。

「いずれ」「そのうち」「折を見て」

言い訳を繰り返してごまかす男に、女は不審を抱きながらも

希望的観測でそのXデーを待ちわびる。


口論は激化していき…といっても

まだか、まだか、とまくしたてるのは女のほうで

男はのらりくらり。

「ああ言ったじゃない」「こう言ったじゃない」

の繰り返しに、男はうんざりする。


男だって、本当は言いたい。

「高望みはしないわ…

 こうして時々会えれば、他は何もいらない…」

なんてつぶやいてたかわいい口は、どこへ行ったのだ…と。


すでに妻にはバレている。

別れる切れるの修羅場を経て、家でも妾宅でも針のムシロ。

仕方がないのだ。

妻と愛人を丸く収める器量もゼニも無いくせに

殿様のマネをするからだ。


ぶたれたり、泣いたり

なぐさめられたり、突き放されたり。

そして激昂した女はナイフを…。

または男の家に灯油を持って…。

それとも、男がうるさい女の首に手を…。


行き着くところまで行き着いて

最後に二人を引き離すのは、生死か警察。

これが不倫の王道であろう。

王道を極める者は、幸いなことにまだ少数である。


当事者の三角関係だけなら勝手にやればいいけど

一般庶民の不倫は、どうしても無関係の人間を泣かせることになる

狭い家の中で、無い金と愛をめぐって戦争が勃発するからだ。


子供は知っている。

不倫の事実を知っていても知らなくても

お父さんが自分を見ていないことは、はっきりわかっている。

そのことがお母さんを苦しめているのも、よくわかっている。


子供服やおやつになるはずのお金が、よそへ流れる経済面から始まり

夜になってもお父さんは帰らない…

お母さんは機嫌が悪くて時々泣いてる…

両親は顔を合わせると喧嘩してる…。

さながら嵐の中をさまよう家庭内孤児。

彼らは気を使いながら、気づいていないふりをしてじっと我慢してる。


妻はそんな子供がふびんでならない。

自分さえしっかりしておけば、子供は大丈夫なのはわかっているものの

顔が濡れたアンパンマンよろしく、力が出ないのだ。

出ない力を振り絞るのは、ものすごく苦しい。


そういうしんどい時に限って

家族の病気や子供の学校などで、色々問題が起きるのだ。

「こうなったのもあの女のせい…」

ということになり、やはりナイフや灯油系の思考に至る。


あの女の血を見たり、ボーボー燃えて断末魔の叫びを聞けば

さぞかし気持ちがよかろう…そう考えるだけでゾクゾクしちゃう。

これを実行すれば、浮気された妻の王道であろう。


子供を道連れにあてつけ心中なんてことも、頭をかすめるが

苦しそうなので早々にあきらめる。

第一そんな在庫一掃セールをしたら、喜ぶのはあの女だ。


子供とセットで受け入れOKの実家のある人や

充分な収入のある人は、たいていここでリタイヤする。

正しい判断だと思う。


結婚する時は、病める時も健やかなる時も…と誓い合う。

しかしこの状況は、病院に行くほど病んでもいないし

かといって健やかでもない中間だから、誓いを破ったことにはならない。


私みたいなのはどうするか。

今、自分に何が出来るか考える。

出来ることはただひとつ。

憎い亭主と女が喉から手が出るほど欲しがっているものを

与えないことである。

それが戸籍だ。


「主人とは絶対に別れません!」と断言する妻のほとんどは

「オマエの欲しいものだけはくれてやらんぞ」と言っているのだ。

「オマエが一瞬たりとも喜ぶ場面は与えない。

 そのために自分がどうなろうとかまわない」という所存なのだ。


それは愛人が考えているような、愛する者を奪われた怒りではない。

「邪恋に狂うおのれらが、なぜにえらそうにアタシの身の振り方を指定する」

という、色恋で頭がいっぱいな者には想像もつかない

あさっての方向の怒りである。

自分の運命について、水面下で構想を練られた無礼に対する怒りなのだ。


愛人にはこれがわからない。

それほど妻が離したがらないとなれば、もっと欲しくなる。

離したくないんじゃなくて、プライドや尊厳の問題なのだ。


「愛し合っていないのに、結婚しててもむなしいだけじゃん」

愛人は言う。

オマエもいずれそうなる。

母親は、それが自身にとってどんなに過酷な屋根の下であろうと

子供を雨露にさらしはしないのだ。

雨の中をしとしとぴっちゃん…なんて、子連れ狼だけだ。


別れないと言い放ったからには、妻はそこから修羅の道を歩くことになる。

いったんよその女と寝た亭主が

家庭に戻ってきても嬉しいわけがない。

「取り戻した、良かった」とは、生涯思わないであろう。


楽しそうに子供と戯れる亭主を見ても

「フン、父親ぶりやがって。捨てようとしたくせに」

と思う。

浮気が発覚する以前のように、自分に親しく話しかける亭主に

「これで終わったと思うなよ」

と思う。


浮気は、一回こっきりのほうが周囲もつらい。

一人の女と、それによろめいた亭主を生涯ピンポイントで

憎み続ける羽目になりやすいからだ。


うちのように、それを何度も繰り返すと

怒りや憎しみが分散され、しまいにゃどうでもよくなる。

前の女と別れ、新型に夢中になると

あれほど憎かった前の女が不思議とかわいくなる。

「生意気な口きいてたけど、淋しかったのかもねぇ」

「前のコのほうが、顔も性格も良かったんとちゃう?」

などと思ってしまう。


そうこうしているうちに子供も大きくなり

肩の荷が下りた安堵感は、忌まわしい過去を吹き飛ばす。

亭主が誰と寝ようが、どうでもよい。

この子たちを私に与えてくれてありがとう…という感謝すら湧いてくる。

邪道にそれるのも、なかなかの気分である。
コメント (67)
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