ここ最近、我が家のブームは墓。
2月に他界した、義父アツシの墓である。
次男のアツシに墓は無い。
入院が長かったのだから、せめて骨はしばらくの間
家に置いてやりたいのが家族の総意だったが、そうもいかなくなってきた。
アツシの弟や妹がうるさくて、義母ヨシコがネを上げたのだ。
「この際だから、そっちの金で両親の眠る墓を合同墓に建て替えて
アツシ兄さんをそこに入れたら、安上がりでいいじゃないか」
きょうだい達は、したり顔で何度もアドバイス。
足腰が弱り、きつい坂道の果てにある両親の墓参りが億劫になった彼らは
アツシが入ったら、墓守りを我々一家にバトンタッチできると言う。
きょうだいのガヤガヤに慣れていない一人っ子のヨシコは
彼らの無責任な思いつきをかわすことができず、真剣に悩んだ。
アドバイスに従った場合、ヨシコもいずれそこへ入ることになるからだ。
嫌いな舅や姑と同じ墓に入りたくないヨシコは
取り急ぎ、自腹で別の場所に墓を建てる決心をした。
無い、無いと言って我々に生計を頼っておきながら
墓を買う金を握っていたのはいまいましいが
親戚のおかげで我々の財布は守られた。
自腹で行動する時の常として、ヨシコは自分の娘とコソコソ相談しては
墓石のセールスマンと会ったり、墓地の見学に行ったりしていたので
我々夫婦はしめしめ、とノータッチを決め込んだ。
アツシの家系と墓は、あまり相性が良くないようなので
関わりたくないのが本音である。
昔から、身内の誰かが死ぬたびにゴタゴタが起き
それを締めくくる最終イベントが、墓建立とお骨の墓入れだった。
どうしてもモメてしまう理由は、はっきりしている。
兄妹それぞれの貧富の差が激しく、親がしっかりしていないため
親子、兄妹の間で、いつも互いのフトコロを探り合っているからだ。
6人兄妹のうち5人が同じ町内在住であり
全員が考え無しにしゃべりまくる性格なので、それぞれの言い分が伝わりやすく
小さなことが大きくなりやすい。
仕事にまつわるものもあった。
30年近く前、アツシの兄が持ち山の上半分を削って
大型の墓苑を作る計画を立てた。
その造成工事を担当することになったアツシは
墓苑が完成したら、自分達の墓もそこに買おうと決めていた。
アツシはむしろ、世間の人々より早くから墓のことを考えていたといえよう。
しかし予定地の近隣住民から、激しい反対運動が起きる。
墓苑計画は白紙となり、アツシは墓を買いそびれた。
次に墓地購入のチャンスが訪れたのは5年後。
アツシの親友である元議員が、車で1時間ほどの山奥に
マンモス墓苑の造成を計画し、アツシに共同出資を持ちかけた。
ちょっと遠いけど、アツシもその一角に自分達の墓を買うつもりだった。
申請の都合上、宗教法人が関与する方が何かと便利ということで
うちの近所のお坊さんが理事に就任することに決まった。
親友は落選後に始めた小さな会社に、墓苑事業の看板を上げた。
現地にも大きな看板が立ち、明日にも着工しそうな雰囲気。
アツシは親友に言われるまま、銀行で借金を重ねては千万単位の出資を続けた。
こうして20年の歳月が経過した。
マンモス墓苑は、まだ着工していない。
その間に、理事になる予定のお坊さんは死んでしまった。
無理な出資を続けたあげく、アツシの会社も危なくなった。
そのうちアツシ最後の入院によって、マンモス墓苑の夢は終わった。
親友がアツシの死の床を見舞うことは一度もなかった。
最初は本気で墓苑を作るつもりだったが
早い段階でつまづいたのをアツシに言えなかったのだと推測する。
打ち明けてひどい目に遭うより、大金を受け取り続ける方がよかったのだ。
結局、彼が行った明確な仕事は、看板を2つ上げただけであった。
そしてアツシにはマンモス級の借金と
またもや墓を買いそびれた事実が残るのみ。
担保も借用書も発生しない共同出資の名目は
計画が消えれば取られ損なのである。
このように我が家は、墓についてろくな思い出がない。
ほぼ呪われていると言ってもよかろう。
墓の話には、関わらない方が賢明というものだ。
今回は夫の姉カンジワ・ルイーゼが張り切っている様子なので
我々夫婦はホッと胸をなでおろすのだった。
(続く)
2月に他界した、義父アツシの墓である。
次男のアツシに墓は無い。
入院が長かったのだから、せめて骨はしばらくの間
家に置いてやりたいのが家族の総意だったが、そうもいかなくなってきた。
アツシの弟や妹がうるさくて、義母ヨシコがネを上げたのだ。
「この際だから、そっちの金で両親の眠る墓を合同墓に建て替えて
アツシ兄さんをそこに入れたら、安上がりでいいじゃないか」
きょうだい達は、したり顔で何度もアドバイス。
足腰が弱り、きつい坂道の果てにある両親の墓参りが億劫になった彼らは
アツシが入ったら、墓守りを我々一家にバトンタッチできると言う。
きょうだいのガヤガヤに慣れていない一人っ子のヨシコは
彼らの無責任な思いつきをかわすことができず、真剣に悩んだ。
アドバイスに従った場合、ヨシコもいずれそこへ入ることになるからだ。
嫌いな舅や姑と同じ墓に入りたくないヨシコは
取り急ぎ、自腹で別の場所に墓を建てる決心をした。
無い、無いと言って我々に生計を頼っておきながら
墓を買う金を握っていたのはいまいましいが
親戚のおかげで我々の財布は守られた。
自腹で行動する時の常として、ヨシコは自分の娘とコソコソ相談しては
墓石のセールスマンと会ったり、墓地の見学に行ったりしていたので
我々夫婦はしめしめ、とノータッチを決め込んだ。
アツシの家系と墓は、あまり相性が良くないようなので
関わりたくないのが本音である。
昔から、身内の誰かが死ぬたびにゴタゴタが起き
それを締めくくる最終イベントが、墓建立とお骨の墓入れだった。
どうしてもモメてしまう理由は、はっきりしている。
兄妹それぞれの貧富の差が激しく、親がしっかりしていないため
親子、兄妹の間で、いつも互いのフトコロを探り合っているからだ。
6人兄妹のうち5人が同じ町内在住であり
全員が考え無しにしゃべりまくる性格なので、それぞれの言い分が伝わりやすく
小さなことが大きくなりやすい。
仕事にまつわるものもあった。
30年近く前、アツシの兄が持ち山の上半分を削って
大型の墓苑を作る計画を立てた。
その造成工事を担当することになったアツシは
墓苑が完成したら、自分達の墓もそこに買おうと決めていた。
アツシはむしろ、世間の人々より早くから墓のことを考えていたといえよう。
しかし予定地の近隣住民から、激しい反対運動が起きる。
墓苑計画は白紙となり、アツシは墓を買いそびれた。
次に墓地購入のチャンスが訪れたのは5年後。
アツシの親友である元議員が、車で1時間ほどの山奥に
マンモス墓苑の造成を計画し、アツシに共同出資を持ちかけた。
ちょっと遠いけど、アツシもその一角に自分達の墓を買うつもりだった。
申請の都合上、宗教法人が関与する方が何かと便利ということで
うちの近所のお坊さんが理事に就任することに決まった。
親友は落選後に始めた小さな会社に、墓苑事業の看板を上げた。
現地にも大きな看板が立ち、明日にも着工しそうな雰囲気。
アツシは親友に言われるまま、銀行で借金を重ねては千万単位の出資を続けた。
こうして20年の歳月が経過した。
マンモス墓苑は、まだ着工していない。
その間に、理事になる予定のお坊さんは死んでしまった。
無理な出資を続けたあげく、アツシの会社も危なくなった。
そのうちアツシ最後の入院によって、マンモス墓苑の夢は終わった。
親友がアツシの死の床を見舞うことは一度もなかった。
最初は本気で墓苑を作るつもりだったが
早い段階でつまづいたのをアツシに言えなかったのだと推測する。
打ち明けてひどい目に遭うより、大金を受け取り続ける方がよかったのだ。
結局、彼が行った明確な仕事は、看板を2つ上げただけであった。
そしてアツシにはマンモス級の借金と
またもや墓を買いそびれた事実が残るのみ。
担保も借用書も発生しない共同出資の名目は
計画が消えれば取られ損なのである。
このように我が家は、墓についてろくな思い出がない。
ほぼ呪われていると言ってもよかろう。
墓の話には、関わらない方が賢明というものだ。
今回は夫の姉カンジワ・ルイーゼが張り切っている様子なので
我々夫婦はホッと胸をなでおろすのだった。
(続く)