殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

苦労人・3

2017年12月10日 18時55分40秒 | みりこんぐらし
焼肉屋のドタキャンで、怒り冷めやらぬ夫。

その彼に試練が訪れる。

我が社の忘年会を問題の店でやることになったのだ。


昨年の忘年会で、本社のえらいさんたちをご案内したところ

とても気に入った様子だった。

「今年もぜひそこでやりたいそうだから、予約して」

経理部長ダイちゃんに言われた夫は

藤村の一件を話して別の店に変えたいと伝えたが

ダイちゃんの返事はすげない。

「それはそっちの問題であって、僕たちには関係ないよね」

しかし夫は譲らず、ちょっとした言い合いになって

予約の件はひとまず保留となった。


夫はダイちゃんの冷たさを嘆いたが、これは夫の甘えだ。

私がダイちゃんでも同じことを言う。

二代目のボンボン稼業が長かった夫は

組織の一員となった自分の立場を未だに理解できていない。


ボンボンと呼ばれた頃は、腹の立つことがあれば

お父ちゃんに言いつければよかった。

モメた経緯や、自分にも非は無かったかを考える前に

お父ちゃんがそいつを呼びつけて怒鳴ったり

誰ぞに頼んで遠くへ飛ばしてくれて、いなくなった。

悪い習慣ほどなかなか抜けないもの。

たかが数年で、自分の置かれた立場をわきまえるのは

夫には無理であった。


しもじものいざこざなんか、上にはウザいだけ‥

そもそも正義と悪の基準は、その行いではなく雇用形態で決まる‥

本社採用の正社員と、我々のような中途合併の異分子では

前者の方が無条件に正義となる‥

面倒な問題に首を突っ込まず、自分のことだけ考えてきた人たちしか

生き残れないし、上には上がれない‥

長引かせたらトラブルメーカーということになり、こっちの人格が疑われる‥

腹を立てた方が負け、それが組織というものだ‥

長年よそで働いて、私なりに学んだことを噛み砕いて聞かせるが

人に使われた経験が無く、ましてや腹を立てている夫には馬耳東風。


それにつけても近頃のダイちゃんは厳しいのだ。

9月末付けで本社にパワハラ撲滅委員会が発足したのを機に

社内での宗教勧誘がついに公になったからである。


暴露したのは松木氏。

「いい機会だから、上層部の前で注意しといたよ」

彼が夫に自分でそう言った。

松木氏は元々ダイちゃんと仲が悪いので、ちょうどいい仕返しである。


夫は以前、ダイちゃんの勧誘に一家で辟易している旨を

松木氏にしゃべっていた。

松木氏が我が社の営業課長を外され

遠い生コン工場の工場長になった一昨年のことである。

近くにいる時は犬猿の仲だったが、離れるとお互いに気が緩み

色々なことを話すようになったのだ。

「とんでもないパワハラだ!」

松木氏はそう言って驚いていたという。


ダイちゃんの宗教勧誘の件は、夫に口止めしてあった。

松木氏が我々を売って社内をゴタゴタさせ

同時にダイちゃんへの復讐を叶えるには絶好のネタだからだ。

しかし、しゃべってしまったものは仕方がない。

それ以来、いつか必ずこの日が来ると覚悟していた。


会社での立場が悪くなり、我々一家が宗教に入る可能性が消滅したため

ダイちゃんはそりゃもうネチネチと意地が悪い。

手のひら返しというやつである。

特に秘密をしゃべった夫には

障子(しょうじ)の桟(さん)を指でなぞる姑のごとく

きつい嫌味や皮肉が容赦なく散布された。

繊細な人間だったら参っているだろう。


宗教の勧誘が無くなったら、今度はこっちでパワハラ気分。

夫が焼肉屋の予約を頑なに拒んだ理由は、そのいら立ちもあったと思われる。

ここは黙って見守るしかなかった。



「ヒロシさん、大丈夫ですか?

なんか大変なことになってますよ?」

夫と親しい本社の営業マン、野島君が飛んで来たのは翌日のことだった。

焼肉屋の件が、本社上層部の間で問題になっているという。


藤村が、本社の名前で予約をドタキャンしたことではない。

藤村の罪は問われず、予約を拒んだ夫が問題らしい。

ついでに藤村を出入り禁止にしたことや

携帯を着信拒否にして、藤村との連絡を本社営業部に中継させていることが

組織の一員としてあるまじき行為だと、ダイちゃんから報告されたのだった。

それがダイちゃんの報復であることは明白で

野島君は、ダイちゃんを敵に回した夫を心配しているのだった。


「どうするんですか?

ヒロシさんを解雇する話まで出てますよ?

僕に何かできること、あります?」

涙目の野島君。

「俺が間違っていたら、すぐに河野常務から注意があるはず。

でも今のところ無いから大丈夫、ありがとう」

夫は笑って答えた。


野島君が帰ってから、夫は言った。

「クビになっても、わしゃ絶対に折れんけえの」

焼肉屋の予約でクビなんて、みっともないけどしょうがない。

「いいよ、思った通りにやりんさい」

私は答えた。

年金暮らしが近づくと、職場のいざこざなんかどうでもよくなる。

肌に合わない所で耐える夫を見るより、好きなことをさせてやりたくなる。

年を取ってみなければわからない感情であった。

《続く》
コメント (2)
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