私が子供の頃、『サザエさん』は
朝日新聞に4コマ漫画で連載されていて
字が読めるようになると毎朝見ていた。
そのうちテレビアニメが始まり、日曜の6時半が楽しみになった。
気がつくと、サザエさんのアニメは
火曜日の夜7時にも放送されるようになっていた。
よその地方のことはわからないけど、私の住む地方では
火曜と日曜の週2回、サザエさんを楽しむことができたのだ。
ただし火曜と日曜では、脇役や雰囲気が少々異なる。
火曜日のサザエさんはお隣の住民が
小説家のいささか先生ではなく、画家の浜さん。
いささか夫妻より浜夫妻の方が、こなれた感じで親しみがあった。
主役のサザエさんも火曜日の方がくだけていて
たまにお酒を飲んだり、他人と口喧嘩をする。
火曜日のマスオさんも、日曜日のように品行方正ではない。
酔っ払って帰宅したり、麻雀をすることもあったように記憶している。
日曜日の夕方は子供が見るので、羽目を外せないらしい。
火曜日の方が自然体で、私は好きだった。
やがていつの間にやら、サザエさんは日曜日だけの放送になった。
けれどもうちのテレビは、愛媛放送が奇跡的に映った。
愛媛では相変わらず、火曜日にサザエさんをやっていたのだ。
映りはあまり良くないものの、しぶとく見ていたが
いつしかそれも無くなり、完全に日曜日だけのサザエさんになる。
日曜日のサザエさんばかり見ているうち
彼女の狡さやしたたかさを感じるようになった。
サザエさんが悪いのではなく、ひとえに私のせい。
嫁いで以降も毎日帰って来て、実家を牛耳る義姉と
それを歓迎する義理親に辟易し始めたのが原因だ。
弟のことを何でも父親に言いつけ
雷を落としてもらうサザエさんの手口なんざ、義姉そのもの。
「カツオッ!ワカメッ!タラちゃ〜ん」
我が子だけをちゃん付けで、甘ったるく呼ぶところもそっくり。
サザエさんが義姉に、夫がカツオに見えるようになってしまった。
本来の後継者である弟を陥れることで
実家へ寄生する正当性を主張し、安泰を図る姿に
女の情念を感じずにはいられない。
口では立派なことを言いながら、娘と初孫かわいさで
他者の犠牲に気づこうとしない両親も鼻につく。
辛抱人の結婚相手、子宝、二世帯同居による安定した生活‥
理解ある親や近所に恵まれ、義理親と小姑はいない‥
昔の女が夢見た暮らしを手に入れた稀有な女性、それがサザエさん。
彼女の天真爛漫は、弟カツオの涙と
配偶者マスオさんの我慢によって成立している‥
そんな気がしてしまう私である。
ともあれ私にサザエさんを語らせたらキリが無いので
この辺にして、本題へ進もう。
(えっ?これから本題かよ)
年配の知人のお母さんが、福岡県の出身だった。
サザエさんの作者、長谷川町子さんも福岡で少女期を過ごした。
二人はご近所だったそうだ。
やがて長谷川さん一家は東京へ転居し
戦争疎開でまた福岡へ戻った。
その頃、福岡の地元紙でサザエさんの連載を始めたが
戦後になると再び東京へ出て、漫画家としての地位を築く。
昔は近所同士の付き合いが密接だったようで
長谷川さん一家が上京した後も、福岡の人々とは交流が続いていた。
やがて長谷川さんの近所だった人たちは
東京見物を兼ねて、順番に長谷川さんの自宅へお邪魔するようになった。
一生に一度のお伊勢参りのようなものだ。
長谷川さんは故郷の人々を優しく歓待し
帰りには必ずお小遣いを手渡したという。
帰りの汽車賃を払ってお釣りがきたというから
けっこうな金額だったらしい。
厚かましいのになると、帰りの汽車賃を持たずに上京したという。
いくら出世したからといって、なかなかそんなことはできない。
長谷川さんの知られざる一面をご紹介した。
さて、長谷川さんに会うため東京見物に出かける人の中には
長谷川家訪問に加え、もう一つの目的を持つ一行がいた。
親戚に、昭和天皇の侍従がいる人だ。
この話を聞かせてくれた知人のお母さんも、親戚の一人だった。
親類縁者はその人の案内で、昭和天皇のお住まいを見学できた。
身内に限り、年に一度か二度、そういうことが許されていたらしい。
それこそ洗濯物が干してある奥深くまで行けたそうだ。
今では考えられない大らかさである。
知人のお母さんは結婚して故郷を離れていたため
皇居にも長谷川さん宅にも行けなかった。
それが心残りだと話してくれた。
かく言うお母さん、身の回りの世話をする女中を2人連れて嫁いだ
バリバリのお嬢様。
侍従が出るくらいなので、ええとこの一族だったようだ。
けれども嫁ぎ先は、子だくさんのひなびた農家。
女中さんは早々にお暇を願い出て、福岡へ帰ってしまったそうだ。
「なんでこんなに遠い田舎の農家へ‥」
思わず口にした私に
「器量が悪かったからよ」
知人は耳打ちするのだった。
あわただしい年の瀬、こんな話でひと息ついていただければ幸いです。
朝日新聞に4コマ漫画で連載されていて
字が読めるようになると毎朝見ていた。
そのうちテレビアニメが始まり、日曜の6時半が楽しみになった。
気がつくと、サザエさんのアニメは
火曜日の夜7時にも放送されるようになっていた。
よその地方のことはわからないけど、私の住む地方では
火曜と日曜の週2回、サザエさんを楽しむことができたのだ。
ただし火曜と日曜では、脇役や雰囲気が少々異なる。
火曜日のサザエさんはお隣の住民が
小説家のいささか先生ではなく、画家の浜さん。
いささか夫妻より浜夫妻の方が、こなれた感じで親しみがあった。
主役のサザエさんも火曜日の方がくだけていて
たまにお酒を飲んだり、他人と口喧嘩をする。
火曜日のマスオさんも、日曜日のように品行方正ではない。
酔っ払って帰宅したり、麻雀をすることもあったように記憶している。
日曜日の夕方は子供が見るので、羽目を外せないらしい。
火曜日の方が自然体で、私は好きだった。
やがていつの間にやら、サザエさんは日曜日だけの放送になった。
けれどもうちのテレビは、愛媛放送が奇跡的に映った。
愛媛では相変わらず、火曜日にサザエさんをやっていたのだ。
映りはあまり良くないものの、しぶとく見ていたが
いつしかそれも無くなり、完全に日曜日だけのサザエさんになる。
日曜日のサザエさんばかり見ているうち
彼女の狡さやしたたかさを感じるようになった。
サザエさんが悪いのではなく、ひとえに私のせい。
嫁いで以降も毎日帰って来て、実家を牛耳る義姉と
それを歓迎する義理親に辟易し始めたのが原因だ。
弟のことを何でも父親に言いつけ
雷を落としてもらうサザエさんの手口なんざ、義姉そのもの。
「カツオッ!ワカメッ!タラちゃ〜ん」
我が子だけをちゃん付けで、甘ったるく呼ぶところもそっくり。
サザエさんが義姉に、夫がカツオに見えるようになってしまった。
本来の後継者である弟を陥れることで
実家へ寄生する正当性を主張し、安泰を図る姿に
女の情念を感じずにはいられない。
口では立派なことを言いながら、娘と初孫かわいさで
他者の犠牲に気づこうとしない両親も鼻につく。
辛抱人の結婚相手、子宝、二世帯同居による安定した生活‥
理解ある親や近所に恵まれ、義理親と小姑はいない‥
昔の女が夢見た暮らしを手に入れた稀有な女性、それがサザエさん。
彼女の天真爛漫は、弟カツオの涙と
配偶者マスオさんの我慢によって成立している‥
そんな気がしてしまう私である。
ともあれ私にサザエさんを語らせたらキリが無いので
この辺にして、本題へ進もう。
(えっ?これから本題かよ)
年配の知人のお母さんが、福岡県の出身だった。
サザエさんの作者、長谷川町子さんも福岡で少女期を過ごした。
二人はご近所だったそうだ。
やがて長谷川さん一家は東京へ転居し
戦争疎開でまた福岡へ戻った。
その頃、福岡の地元紙でサザエさんの連載を始めたが
戦後になると再び東京へ出て、漫画家としての地位を築く。
昔は近所同士の付き合いが密接だったようで
長谷川さん一家が上京した後も、福岡の人々とは交流が続いていた。
やがて長谷川さんの近所だった人たちは
東京見物を兼ねて、順番に長谷川さんの自宅へお邪魔するようになった。
一生に一度のお伊勢参りのようなものだ。
長谷川さんは故郷の人々を優しく歓待し
帰りには必ずお小遣いを手渡したという。
帰りの汽車賃を払ってお釣りがきたというから
けっこうな金額だったらしい。
厚かましいのになると、帰りの汽車賃を持たずに上京したという。
いくら出世したからといって、なかなかそんなことはできない。
長谷川さんの知られざる一面をご紹介した。
さて、長谷川さんに会うため東京見物に出かける人の中には
長谷川家訪問に加え、もう一つの目的を持つ一行がいた。
親戚に、昭和天皇の侍従がいる人だ。
この話を聞かせてくれた知人のお母さんも、親戚の一人だった。
親類縁者はその人の案内で、昭和天皇のお住まいを見学できた。
身内に限り、年に一度か二度、そういうことが許されていたらしい。
それこそ洗濯物が干してある奥深くまで行けたそうだ。
今では考えられない大らかさである。
知人のお母さんは結婚して故郷を離れていたため
皇居にも長谷川さん宅にも行けなかった。
それが心残りだと話してくれた。
かく言うお母さん、身の回りの世話をする女中を2人連れて嫁いだ
バリバリのお嬢様。
侍従が出るくらいなので、ええとこの一族だったようだ。
けれども嫁ぎ先は、子だくさんのひなびた農家。
女中さんは早々にお暇を願い出て、福岡へ帰ってしまったそうだ。
「なんでこんなに遠い田舎の農家へ‥」
思わず口にした私に
「器量が悪かったからよ」
知人は耳打ちするのだった。
あわただしい年の瀬、こんな話でひと息ついていただければ幸いです。