Kさんから電話があった翌朝、夫はまだ暗いうちに
再び一人で墓へ行き、両側の墓地に積み上げた土砂を撤去した。
「完全に現状復帰しました」と私に報告するが
夫にとっての完全と、人の思う完全は大きく違うことがよくある。
さりとて朝の忙しい時間、すぐに山奥まで確認に行けない。
ひとまず信用することにして
正式な確認はKさんの家へ謝罪に行った後で、と決めた。
ヨシコは朝から、気分が優れない様子だった。
無理もない、夕方には神経質で気難しい人の所へ謝りに行くのだ。
彼女にとっては刑罰に等しい事態であった。
これまでの60年余り、夫婦が直面した面倒なことは
旦那のアツシがヤクザまがいの脅し文句で
ギャーギャー言って済ませていたし
相手もまた、アツシにねじ込まれたり、人を送り込まれて
ギャーギャー言われるのが嫌で、我慢してくれていた。
けれどもアツシ亡き今、それは通用しない。
ヨシコはそれを嘆くのだった。
アツシが他人に多くの我慢をさせてきた分
遺された者がその返礼を受けなければならないのは
生きる上での法則だと、私は思っている。
ヨシコや夫には何を言っても通用しないが
子供たちには何度も、覚悟して生活するようにと教えてきた。
そして私自身も、微力ながら家族を守ってきたと自負している。
「パパと私の二人で行くから、来なくていいよ」
ヨシコに言ってみた。
それは思いやりではない。
ヨシコを連れて行くと、逆効果になる恐れがあるからだ。
元々、口ぶりが上から目線で
緊張するとヘラヘラ笑いながらしゃべってしまう彼女の癖は
今回のようにデリケートな問題の場合、危険であった。
が、ヨシコ、どうしても行くと言う。
それは責任を全うする決意もあるが
◯◯堂で和菓子を買うついでに店の奥さんと久しぶりに会い
ついでに洋子ちゃんにも会い、さらなるついでに
帰りにはアツシの墓参りをしたいという願望の方が大きかった。
和菓子案は却下して今朝、メロンを買ったと言うと
ひどく残念そうだったが、願望はあと二つ残っているので
やはり行くと言った。
こうして迎えた夕方、夫は暗い顔で帰宅した。
水よ、線香よと、いそいそ墓参りのセットを用意するヨシコを横目に
夫は私に問う。
「何て言おうか‥」
「はあ?」
「途中で体調が悪くなって、そのまま帰ってしまった‥」
「ええ?」
「そうだ‥ギックリ腰なんか、どうだろう」
この時点で、夫が謝罪の言い訳を考えていると知った私は
あきれて叫んだ。
「雅子様か!」
この潔ぎ悪さが夫なのだ。
昔は卑怯ぶりに腹を立て、時には殺意すら起きた。
が、夫と長い年月を過ごすうちに、私は気がついた。
彼が真性の卑怯人であれば
謝罪に行かないための言い訳を全力で考えるはずだ。
けれども夫は最初から行くつもりで
行ってからの言い訳を考えている。
彼の頭の中では、行くことが謝罪であり
頭を下げて謝るところまで、流れが繋がっていない。
ここが理解しにくい部分であり、私は長年
この理解しにくい部分に腹を立てていたのだった。
ともあれ、夫とヨシコは謝罪初心者。
このまま連れて行ったら火に油を注ぐと思い
二人を並べて講習を始めた。
「進行は私に任せてください。
すみませんとごめんなさい以外は、絶対に口を開かないように。
反論や言い訳はダメ。
特に、“悪気は無かった”というのは禁句。
つい言いたくなるだろうけど、絶対に言わないように。
向こうは悪気を感じたから抗議したんです。
それを無かったと言えば反論することになるので
相手はますます怒って事態は悪化します。
まず、相手の言いたいことを全部聞く。
相手が気持ちを全部吐き出すまで、さえぎらない。
あとは頭を下げる。
お辞儀は長く。
いいですねっ?」
二人はおとなしく聞いて、「ハイ」と言った。
洋子ちゃんにはKさんの家を教えてもらって
謝罪には我々だけで向かおうと思い、出がけに電話をした。
しかし彼女はどうしても行くと言うので
迎えに行くことにした。
お詫びの品を持って謝罪に向かうこの状況、何だか懐かしい。
幼い息子たちがしでかした、いたずらの後始末‥
夫の女絡みや世間知らずによって迷惑を被った人の所‥
さんざん謝ってきたものだ。
最初の頃は死んでしまいたい気分だったが
慣れとは恐ろしいもので、もう何も感じない。
わたしゃ、もはや謝罪のエキスパートではなかろうか‥
などと思うから、困ったものではないか。
さて夫、ヨシコ、私、それに洋子ちゃんで結成された『謝り隊』は
Kさんの家を目指す。
とはいえ洋子ちゃんの家も、Kさんの家も同じ町内にあるので
車はすぐに着いた。
《続く》
再び一人で墓へ行き、両側の墓地に積み上げた土砂を撤去した。
「完全に現状復帰しました」と私に報告するが
夫にとっての完全と、人の思う完全は大きく違うことがよくある。
さりとて朝の忙しい時間、すぐに山奥まで確認に行けない。
ひとまず信用することにして
正式な確認はKさんの家へ謝罪に行った後で、と決めた。
ヨシコは朝から、気分が優れない様子だった。
無理もない、夕方には神経質で気難しい人の所へ謝りに行くのだ。
彼女にとっては刑罰に等しい事態であった。
これまでの60年余り、夫婦が直面した面倒なことは
旦那のアツシがヤクザまがいの脅し文句で
ギャーギャー言って済ませていたし
相手もまた、アツシにねじ込まれたり、人を送り込まれて
ギャーギャー言われるのが嫌で、我慢してくれていた。
けれどもアツシ亡き今、それは通用しない。
ヨシコはそれを嘆くのだった。
アツシが他人に多くの我慢をさせてきた分
遺された者がその返礼を受けなければならないのは
生きる上での法則だと、私は思っている。
ヨシコや夫には何を言っても通用しないが
子供たちには何度も、覚悟して生活するようにと教えてきた。
そして私自身も、微力ながら家族を守ってきたと自負している。
「パパと私の二人で行くから、来なくていいよ」
ヨシコに言ってみた。
それは思いやりではない。
ヨシコを連れて行くと、逆効果になる恐れがあるからだ。
元々、口ぶりが上から目線で
緊張するとヘラヘラ笑いながらしゃべってしまう彼女の癖は
今回のようにデリケートな問題の場合、危険であった。
が、ヨシコ、どうしても行くと言う。
それは責任を全うする決意もあるが
◯◯堂で和菓子を買うついでに店の奥さんと久しぶりに会い
ついでに洋子ちゃんにも会い、さらなるついでに
帰りにはアツシの墓参りをしたいという願望の方が大きかった。
和菓子案は却下して今朝、メロンを買ったと言うと
ひどく残念そうだったが、願望はあと二つ残っているので
やはり行くと言った。
こうして迎えた夕方、夫は暗い顔で帰宅した。
水よ、線香よと、いそいそ墓参りのセットを用意するヨシコを横目に
夫は私に問う。
「何て言おうか‥」
「はあ?」
「途中で体調が悪くなって、そのまま帰ってしまった‥」
「ええ?」
「そうだ‥ギックリ腰なんか、どうだろう」
この時点で、夫が謝罪の言い訳を考えていると知った私は
あきれて叫んだ。
「雅子様か!」
この潔ぎ悪さが夫なのだ。
昔は卑怯ぶりに腹を立て、時には殺意すら起きた。
が、夫と長い年月を過ごすうちに、私は気がついた。
彼が真性の卑怯人であれば
謝罪に行かないための言い訳を全力で考えるはずだ。
けれども夫は最初から行くつもりで
行ってからの言い訳を考えている。
彼の頭の中では、行くことが謝罪であり
頭を下げて謝るところまで、流れが繋がっていない。
ここが理解しにくい部分であり、私は長年
この理解しにくい部分に腹を立てていたのだった。
ともあれ、夫とヨシコは謝罪初心者。
このまま連れて行ったら火に油を注ぐと思い
二人を並べて講習を始めた。
「進行は私に任せてください。
すみませんとごめんなさい以外は、絶対に口を開かないように。
反論や言い訳はダメ。
特に、“悪気は無かった”というのは禁句。
つい言いたくなるだろうけど、絶対に言わないように。
向こうは悪気を感じたから抗議したんです。
それを無かったと言えば反論することになるので
相手はますます怒って事態は悪化します。
まず、相手の言いたいことを全部聞く。
相手が気持ちを全部吐き出すまで、さえぎらない。
あとは頭を下げる。
お辞儀は長く。
いいですねっ?」
二人はおとなしく聞いて、「ハイ」と言った。
洋子ちゃんにはKさんの家を教えてもらって
謝罪には我々だけで向かおうと思い、出がけに電話をした。
しかし彼女はどうしても行くと言うので
迎えに行くことにした。
お詫びの品を持って謝罪に向かうこの状況、何だか懐かしい。
幼い息子たちがしでかした、いたずらの後始末‥
夫の女絡みや世間知らずによって迷惑を被った人の所‥
さんざん謝ってきたものだ。
最初の頃は死んでしまいたい気分だったが
慣れとは恐ろしいもので、もう何も感じない。
わたしゃ、もはや謝罪のエキスパートではなかろうか‥
などと思うから、困ったものではないか。
さて夫、ヨシコ、私、それに洋子ちゃんで結成された『謝り隊』は
Kさんの家を目指す。
とはいえ洋子ちゃんの家も、Kさんの家も同じ町内にあるので
車はすぐに着いた。
《続く》