「悪気があったんじゃない」
お詫びの場面において、謝るばかりでは手持ち無沙汰になる。
ふと訪れた沈黙の瞬間に堪えかね
苦しまぎれに誰もがつい口走りたくなるこの言葉。
けれどもこれは、禁句中の禁句である。
相手はこちらの行いを
悪意と受け止めたゆえに怒っているのだ。
相手のその判断を否定しつつ、さらに犯人をかばうという二重の刺激が
この言葉には潜んでいる。
悪意が無かったとしたら、天然で行われたことになる。
そうであるなら、天然で悪事を行える異常かつ危険な人間を
野放しにしているということになる。
となると、今後はどこかに閉じ込める約束をするなり
いっそ息の根を止めるなりしなければ、スジが通らなくなる。
しかしそんなことができないのは、ナンボ怒っている相手でもわかる。
となるとこれは、相手の怒りや傷心を軽視したテキトーな発言でしかない。
「お詫びに来たと言いながら、バカにしに来た」
相手は‥特に理屈先行の論客は、そう受け止めて怒りが倍増するのだ。
出かける前に注意はしたものの
忘れっぽいヨシコが覚えているわけがなかった。
「悪気じゃなかったら、何だったと言うんだ!」
Kさんは再び怒り出した。
お叱りは最初から巻き戻しとなり、私は平身低頭を繰り返す。
「いえ、そんなつもりで‥ホホホ‥
言ったんじゃないんですよ‥ヘッヘ〜」
ヨシコは取りなそうとするが、なにしろ緊張すると笑ってしまうお方。
言えば言うほど火に油。
「笑いごとか!
僕への仕打ちは、お宅らにとって笑いごとですか!
人格が否定された!」
ついに人格否定発言まで登場。
けれどもヨシコは、どこ吹く風で言った。
「ここはね、水に流して、仲良くしましょうよ‥ホッホッホ」
うっかりしていてヨシコに釘を刺すのを忘れていたが
「水に流して」は、「悪気は無い」と並ぶ禁句。
水に流すか流さないかを決める権利は相手にしか無く
詫びる側は、絶対に口にしてはならないのだ。
Kさんがそのことに引っかかるのは、必然であった。
「水に流せだと?
よくもまあ、勝手なことが言えるもんだ!」
また最初から巻き戻し。
ヨシコを家に置いて来ればよかった‥私は心から後悔した。
「常識が無い」
「人間性を疑う」
「神経が異常」
ともあれ、これらがKさんにとって最終兵器のようで
一連の罵倒が終了すると、落ち着いた。
言われたヨシコの方は、耳が遠くなっているためケロッとしている。
恐るべし、老人力。
Kさんが静かになり、「今後は気をつけて」と言ったところで
メロンを差し出す私。
メロンの一つや二つでおさまりそうな問題ではないため
始めに出したらもつれると予測したので、この時になった。
「お詫びの気持ちでございます」
しかしKさんは、頑として受け取らなかった。
「物が欲しくて怒ったんじゃないよ。
受け取ったら、僕の男がすたる」
と笑うので、早めに引っ込めた。
笑顔が出たところで、やっとこさ和解となり
謝り隊3名はKさん宅を後にした。
車のそばで待つ洋子ちゃんの姿が見えると、ヨシコが手を振って明るく言う。
「や〜れやれ!洋子ちゃん、お待たせ〜!」
耳が遠いもんだから、やたら声が大きい。
「シ〜‥静かに‥帰るまでが遠足です」
私が小声で注意したのは言うまでもない。
Kさんに言われたことには無反応でも
友達の前で嫁に注意されたのは腹が立つらしく、不機嫌になるヨシコ。
彼女の常識や人間性、神経を疑いたいのは、Kさん以上に私である。
謝罪も大事だが、その後も同じく大事。
急速に復活したさまを本人、あるいは近所の誰かに見聞きされて
怒り再燃の事態に陥り、最初よりこじれてしまった実例を
私はいくつか知っていた。
反省しながらしょんぼり帰った印象を残さなければ
謝罪が終わったことにならないのだ。
ついでに話すが、謝罪の最中に“ドラえもん”の着メロが鳴ってしまい
相手をますます怒らせたケースもある。
謝罪には、携帯電話を切って臨むことが肝要。
さても4人は、義父アツシの墓へ向かった。
洋子ちゃんが、どうしても謝罪に付いて行くと言ったのは
土砂崩れで地獄絵図と化した墓地を見たかったらしい。
元は自分の持ち物だったのを、ヨシコに転売して災難を逃れたのだ。
そりゃ、見たかろう。
私はKさんと村井さんの墓地をチェック。
しかし最初がどんなだったか覚えていないため
本当に現状復帰しているのかどうか、よくわからない。
日も暮れてきたことだし、気に入らなければ
また電話がかかってくるだろうと思い、合格ということにした。
ヨシコにとって本日のメイン・イベント、お参りを済ませ
一行は墓地を引き上げる。
が、ここで事件発生。
墓地の駐車場は土砂や流木で埋まっているため
夫は路上駐車して、皆が乗り込むのを待っていた。
足の悪い洋子ちゃんを先に乗せようと介助していたら
そこへ対向車が‥。
道路が狭いため、離合は難しい。
と、夫はここでなぜかアクセルを踏み、前進した。
彼のガラスのハートはKさんへの謝罪で粉々に砕け
もうこれ以上、何かに配慮するのは無理だったらしい。
「ヒ〜!」
私は推定体重100キロ超の洋子ちゃんを支えきれず
あわれ洋子ちゃんは車から転落。
どんぐりのようにコロコロと転がった。
「謝り隊、再結成か!」
転がる洋子ちゃんを呆然と眺めつつ、私は一瞬そう思った。
しかし洋子ちゃん、何回転かしたあげく
最後は偶然にもダルマのごとく、華麗に立ち上がったではないか。
「おおっ!七転び八起きとは、このことだ!」
幸い、怪我は無い様子。
「大丈夫、大丈夫。
どうせ使い物にならない身体なんだもの。
あさっては股関節の手術なんだから
どっかいためてたって、ついでに治してもらうわ」
平然と言う洋子ちゃんであった。
対向車がそのまま待ってくれたので
ヘビー級の洋子ちゃんを何とか車に乗せ
墓地から200メートルほどの家に送り届ける。
Kさんに渡すはずだったメロンは
お詫びの気持ちを込めて洋子ちゃんにあげた。
やっと家に帰り着いたら、暗くなっていた。
誰もいなくなった台所で夕食の後片付けをしていると
夫がそばへ来た。
「お世話になりました」
そう言ってお辞儀までするではないか。
初めてのことだ。
今日は何回もお辞儀をしたので、コツをつかんだのか。
「どういたしまして」
私は答え、それ以外は何も言わない。
そしてこの一件には、生涯触れないつもりだ。
夫はこの先も、いろんなことをやらかしてくれるだろう。
が、それでいいと思っている。
お互いに欠けたところを補い合ってジタバタしているうちに
お迎えがくるだろう。
ただし、お迎えが来ても
やっぱりアツシの墓に入るのはよそうと思う。
《完》
お詫びの場面において、謝るばかりでは手持ち無沙汰になる。
ふと訪れた沈黙の瞬間に堪えかね
苦しまぎれに誰もがつい口走りたくなるこの言葉。
けれどもこれは、禁句中の禁句である。
相手はこちらの行いを
悪意と受け止めたゆえに怒っているのだ。
相手のその判断を否定しつつ、さらに犯人をかばうという二重の刺激が
この言葉には潜んでいる。
悪意が無かったとしたら、天然で行われたことになる。
そうであるなら、天然で悪事を行える異常かつ危険な人間を
野放しにしているということになる。
となると、今後はどこかに閉じ込める約束をするなり
いっそ息の根を止めるなりしなければ、スジが通らなくなる。
しかしそんなことができないのは、ナンボ怒っている相手でもわかる。
となるとこれは、相手の怒りや傷心を軽視したテキトーな発言でしかない。
「お詫びに来たと言いながら、バカにしに来た」
相手は‥特に理屈先行の論客は、そう受け止めて怒りが倍増するのだ。
出かける前に注意はしたものの
忘れっぽいヨシコが覚えているわけがなかった。
「悪気じゃなかったら、何だったと言うんだ!」
Kさんは再び怒り出した。
お叱りは最初から巻き戻しとなり、私は平身低頭を繰り返す。
「いえ、そんなつもりで‥ホホホ‥
言ったんじゃないんですよ‥ヘッヘ〜」
ヨシコは取りなそうとするが、なにしろ緊張すると笑ってしまうお方。
言えば言うほど火に油。
「笑いごとか!
僕への仕打ちは、お宅らにとって笑いごとですか!
人格が否定された!」
ついに人格否定発言まで登場。
けれどもヨシコは、どこ吹く風で言った。
「ここはね、水に流して、仲良くしましょうよ‥ホッホッホ」
うっかりしていてヨシコに釘を刺すのを忘れていたが
「水に流して」は、「悪気は無い」と並ぶ禁句。
水に流すか流さないかを決める権利は相手にしか無く
詫びる側は、絶対に口にしてはならないのだ。
Kさんがそのことに引っかかるのは、必然であった。
「水に流せだと?
よくもまあ、勝手なことが言えるもんだ!」
また最初から巻き戻し。
ヨシコを家に置いて来ればよかった‥私は心から後悔した。
「常識が無い」
「人間性を疑う」
「神経が異常」
ともあれ、これらがKさんにとって最終兵器のようで
一連の罵倒が終了すると、落ち着いた。
言われたヨシコの方は、耳が遠くなっているためケロッとしている。
恐るべし、老人力。
Kさんが静かになり、「今後は気をつけて」と言ったところで
メロンを差し出す私。
メロンの一つや二つでおさまりそうな問題ではないため
始めに出したらもつれると予測したので、この時になった。
「お詫びの気持ちでございます」
しかしKさんは、頑として受け取らなかった。
「物が欲しくて怒ったんじゃないよ。
受け取ったら、僕の男がすたる」
と笑うので、早めに引っ込めた。
笑顔が出たところで、やっとこさ和解となり
謝り隊3名はKさん宅を後にした。
車のそばで待つ洋子ちゃんの姿が見えると、ヨシコが手を振って明るく言う。
「や〜れやれ!洋子ちゃん、お待たせ〜!」
耳が遠いもんだから、やたら声が大きい。
「シ〜‥静かに‥帰るまでが遠足です」
私が小声で注意したのは言うまでもない。
Kさんに言われたことには無反応でも
友達の前で嫁に注意されたのは腹が立つらしく、不機嫌になるヨシコ。
彼女の常識や人間性、神経を疑いたいのは、Kさん以上に私である。
謝罪も大事だが、その後も同じく大事。
急速に復活したさまを本人、あるいは近所の誰かに見聞きされて
怒り再燃の事態に陥り、最初よりこじれてしまった実例を
私はいくつか知っていた。
反省しながらしょんぼり帰った印象を残さなければ
謝罪が終わったことにならないのだ。
ついでに話すが、謝罪の最中に“ドラえもん”の着メロが鳴ってしまい
相手をますます怒らせたケースもある。
謝罪には、携帯電話を切って臨むことが肝要。
さても4人は、義父アツシの墓へ向かった。
洋子ちゃんが、どうしても謝罪に付いて行くと言ったのは
土砂崩れで地獄絵図と化した墓地を見たかったらしい。
元は自分の持ち物だったのを、ヨシコに転売して災難を逃れたのだ。
そりゃ、見たかろう。
私はKさんと村井さんの墓地をチェック。
しかし最初がどんなだったか覚えていないため
本当に現状復帰しているのかどうか、よくわからない。
日も暮れてきたことだし、気に入らなければ
また電話がかかってくるだろうと思い、合格ということにした。
ヨシコにとって本日のメイン・イベント、お参りを済ませ
一行は墓地を引き上げる。
が、ここで事件発生。
墓地の駐車場は土砂や流木で埋まっているため
夫は路上駐車して、皆が乗り込むのを待っていた。
足の悪い洋子ちゃんを先に乗せようと介助していたら
そこへ対向車が‥。
道路が狭いため、離合は難しい。
と、夫はここでなぜかアクセルを踏み、前進した。
彼のガラスのハートはKさんへの謝罪で粉々に砕け
もうこれ以上、何かに配慮するのは無理だったらしい。
「ヒ〜!」
私は推定体重100キロ超の洋子ちゃんを支えきれず
あわれ洋子ちゃんは車から転落。
どんぐりのようにコロコロと転がった。
「謝り隊、再結成か!」
転がる洋子ちゃんを呆然と眺めつつ、私は一瞬そう思った。
しかし洋子ちゃん、何回転かしたあげく
最後は偶然にもダルマのごとく、華麗に立ち上がったではないか。
「おおっ!七転び八起きとは、このことだ!」
幸い、怪我は無い様子。
「大丈夫、大丈夫。
どうせ使い物にならない身体なんだもの。
あさっては股関節の手術なんだから
どっかいためてたって、ついでに治してもらうわ」
平然と言う洋子ちゃんであった。
対向車がそのまま待ってくれたので
ヘビー級の洋子ちゃんを何とか車に乗せ
墓地から200メートルほどの家に送り届ける。
Kさんに渡すはずだったメロンは
お詫びの気持ちを込めて洋子ちゃんにあげた。
やっと家に帰り着いたら、暗くなっていた。
誰もいなくなった台所で夕食の後片付けをしていると
夫がそばへ来た。
「お世話になりました」
そう言ってお辞儀までするではないか。
初めてのことだ。
今日は何回もお辞儀をしたので、コツをつかんだのか。
「どういたしまして」
私は答え、それ以外は何も言わない。
そしてこの一件には、生涯触れないつもりだ。
夫はこの先も、いろんなことをやらかしてくれるだろう。
が、それでいいと思っている。
お互いに欠けたところを補い合ってジタバタしているうちに
お迎えがくるだろう。
ただし、お迎えが来ても
やっぱりアツシの墓に入るのはよそうと思う。
《完》