殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
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私は私なのか?・5

2018年10月28日 09時02分49秒 | 前向き論
遅まきながら、そして自分なりの解釈ながら

「人は人、私は私」の意味をつかんだ私であった。

それまで歩んできた道と、これから歩んで行く道が

初めて一本につながったような気がした。


どっちにしてもイバラの道は確定だが

周りに振り回されず、今できることをひたすらやる‥

この方針に揺らぎは無いはずだった。

しかしそこは人間、そこは私。

会社の廃業作業を進める過程で

一度だけ、何もかも嫌になったことがあった。


当時の私は廃業の手続きと新会社の設立に励みながら

もちろん通常の業務も行いつつ、義母の看病に加え

偏食のため病院食を食べない義父の弁当作りに忙殺されていた。

そこへ病院から連絡が。

「あんたとこの親父さんの介護講習をするから

夫婦で来なさいよ」

という主旨である。


義父が毎週末、外泊許可を取って家に帰るからなのか‥

入院が長くなると、形式的に講習を受ける決まりなのか‥

理由はわからないままだったが

我々夫婦はかなり無理をして日程を空けた。

そして病院のリハビリ室で、運ばれてきた義父を使い

2日間の介護講習を受けた。


2日目の講習が終わると、若い男性講師がカタログを持って来て言った。

「じゃあ、この中から介護ベッドを選んでください」

「なぜ?!」

呆然とする我々に、男は言った。

「退院後のご自宅用です」


どうやら義父は退院したがっているらしく

義母も退院させたがっているらしい。

入院したら退院したいのは当たり前だが、義父は退院できる病状ではなく

義母も体力的、能力的に重病人の介護ができる状態ではない。

そこで我々夫婦に講習を受けさせ、介護をさせるつもりだったのだ。


この事態は、入院患者を受け持つ看護部門と

退院後の生活に焦点を置く介護部門との連携が

うまくいってないために起こった。

両親は、その連携のひずみを利用して

我々には内緒で退院を決め、自宅介護のお膳立てをしていたのだった。


義父の病状を知る病棟の看護師長が止めたので

この話は流れたが、私は大声で言いたかった。

「2日間を返せ!」

億の借金をこしらえただけでは飽き足らず、その後始末をさせ

経済的な生活の面倒を見させながら、自分たちは入院ざんまい

看病に、弁当作りに、この上自宅介護までたくらむジジとババに

嫌気がさした。


人をだまして平気なのか‥

落ちぶれても、人は変わらないのか‥

何もかも失った両親を引き受けたのは、間違いだったのか‥

私の偽善がもたらした、これが答えなのか‥。


一緒に暮らす義母は、この計画をおくびにも出さなかった。

「病院から呼ばれたんなら、仕方ないねえ」

そう言いながら、講習に出かける私を普通に見送った。

このまま帰宅して、三文女優の顔を見るのもしゃくにさわるので

夫とは病院で別れ、私はその足で市役所に向かう。

何だったか忘れたが、両親に関わる急ぎの用事があったのだ。


税務課のカウンターで手続きをしていると

若い母親と小さい男の子がやって来た。

母親は、税務課の人と熱心に話し込んでいる。

私の隣に座った5才くらいの男の子は退屈したのか

可愛らしい顔でこちらを見上げ、唐突に、そして穏やかに言った。

「僕の体重は、平均より400グラム少ないんです」

新手のナンパじゃあるまいし、あまりにも意外な話しかけであった。


「おや、そうですか。

スリムでかっこいいじゃないですか」

私は男の子が好きなので、すぐに乗ってそう返す。

母親は日頃から、平均体重を気にかけているのだろう。


「ここがね‥」

真夏だった。

男の子は少し背伸びをして、白い半袖シャツの腕をカウンターに置いた。

彼の右腕はひじから先がだんだん細くなり、やがて消えていた。

見えない手の分だけ、体重が少ないのだと伝えたいらしかった。


「どれどれ?」

私は彼の手をのぞき込んだ。

「いい手ですね」

「本当ですか?」

男の子は嬉しそうに私を見る。


「本当です。

細くて、つるつるで、おばちゃんは好きです」

「良かった〜!」

男の子は笑った。


「さわってもいいですか?」

「いいです〜」

「あ、やっぱりつるつるで、いい手です。

おばちゃんの手もさわってみますか?」

男の子は体をひねり、左手で私の腕をさわった。

「ちょっとザラザラしています」

「年寄りですからねぇ。

もっと年寄りになると、もっとザラザラになりますよ」

「え〜?本当ですか?」

「本当です」


つるつるだのザラザラだの言っているうちに

私の用が終わったので、立ち上がる。

「では坊ちゃん、さようなら、お元気で」

「おばちゃん、さようなら」

両親への怒りは、もう無くなっていた。

洗い流されたという表現がふさわしいだろう。


ふとした出会いに、ことさら意味を持たせるのは好きじゃない。

なにしろ私は浮気者の妻。

単なる交差を仰々しく出会いと呼んで

底上げしたがるゲスどもをこの目でさんざん見てきたからだ。


それでも6年前に会った、この男児の記憶は鮮明に残っている。

今歩いている、この道でいいらしい‥

清らかな童(わらべ)を介して、それを伝えられたような気がした。


以後、この時のことはたびたび思い出している。

人間だもの、迷うこともあるし、嫌になることだってある。

商売をしていれば、そして年寄りを抱えていれば、なおさらある。

そんな時、多くのものを洗い流してくれる大切な記憶だ。


自論であり暴論かもしれないが

近年、大人でさえも包み込むような

神がかった子供が増加しているように思う。

あれ以来、そんな子供に遭遇する機会が多いのだ。

人類のため、いずこから遣わされるのか

あるいは私が老化して、子供がことさら珍しく高貴に思えるのか

真偽のほどは不明である。

けれども「私は私」に到達したほうびととらえた方が楽しいので

前者の「人類のため」にしておきたい。

《完》
コメント (8)
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