主婦時々事務の私は家にいることが多いので
楽しみといったらテレビドラマを見ることくらいしかない。
とはいえ姑仕えの身、テレビにばかりかじりついてもいられず
台所にいる時だけなので、そう長い時間ではない。
家事の合間に見るテレビは、サスペンスが多い。
見るのはほとんど昼間なので、サスペンスの再放送ばかりだから。
古い刑事もので注目するのは、ストーリーでも出演者でもない。
ひたすらホワイトボード。
殺害現場の写真と共に、被害者と容疑者の顔写真が貼ってあり
その下に色々書いて捜査の参考にする
刑事ドラマではお決まりの、あのホワイトボードだ。
制作スタッフが書くんだろうけど
綺麗な字、汚い字、雑な字…
番組によって、さまざまな字と構成を眺めることができる。
きちんとした字で、整然とわかりやすく書いてある時は
そこそこお金をかけて作られた、見ごたえのある内容の場合が多い。
文字も構成も滅茶苦茶で、画面にチラッと映った時
一瞬で内容を把握できない仕上がりの場合は
役者の格も内容もそれなり。
この自分なりの基準が合っていると、ニンマリ。
やがて、私は究極の楽しみを発見してしまった。
日本の番組を日本の役者が演じているはずなのに
ホワイトボードには、なぜか見慣れぬ文字が…。
例えばそれは、『木』と『又』が並んだ文字。
ドラマの脈絡から察するに
被害者である『権藤さん』の『権』だ。
もしも旧漢字であったとしても
ドラマは平成時代に作られたものなので
日常的に旧漢字を使う製作スタッフは、すでにいないはず。
中国人が書いたと思っていいのではないだろうか。
日本の正しい当用漢字を知らない人に
ホワイトボードを任せられる神経と
任せられて書ける厚かましさに、舌なめずりする私。
そして気づかないのか、わざとなのか
そのまま放映されていることも、十分に怪しめる。
ホワイトボードをこの視線で見るようになると
たまに未知の漢字が発見できるようになる。
テレビ業界は平成の早期から
この鈍感と厚かましさに席巻されていたらしい。
そして知らなかったのは、視聴者だけらしい。
ホワイトボードだけではない。
セリフもおかしい時がある。
これは数年前に放映されたサスペンスの再放送だったが
若いカップルが、道で倒れている男性を発見した。
「もしもし?もしもし?」
男性に駆け寄り、口々に延々と繰り返しながら
倒れている者を揺さぶり続けるカップル。
いまどきの日本で、行き倒れの人に声をかける時
「もしもし?」なんて言う若者がおろうか。
若い子だって、意識不明の人をむやみに揺さぶっちゃいけないことは
知っているのではなかろうか。
倒れている人を見つけたら、もしもしと声をかけ
とにかく揺さぶるのが親切という
制作側の既成概念に基づくセリフではないのか。
韓流ドラマの中では、人がヒステリーを起こしてよく倒れるが
その時に見る光景と似ている。
はい、制作したのは隣国の人という疑惑が発生。
こうなると、出演者の一人一人を観察する楽しみが出てくる。
目の釣り具合はどうか、耳たぶはあるか
下まぶたのたるみは…アゴは張ってないか…
まじまじと見る。
もちろん、多数発見できる。
女性の衣装にも注目だ。
主役にはスタイリストが付いていることもあるので
スタイリストの付かない脇役、ちょい役が主な対象。
上下が派手な原色同士ではないか…
そうでなければ、ひどく地味で貧乏くさくないか…
つまり中間の無い両極端が、高確率で発見できる。
さらに、靴も注目箇所。
ファッション後進国は、靴選びに繊細な気を回せないものだ。
同じ理由でバッグやアクセサリーもしかり。
はは~ん…と納得したら、俄然楽しみになってくるのがエンドロール。
監督と脚本家の姓名を確認するためだ。
が、こんな時は日本ふうの名前と決まっている。
チッ。
こうして私は、短く貴重なテレビ鑑賞で重箱の隅をつついては
リアルタイムで放映された頃には
気づかなかった己の油断を悔やみ
「だまされるものか」と、決心を新たにする。
趣味の一つだ。