殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…それぞれの春・3

2021年04月09日 11時13分57秒 | シリーズ・現場はいま…
さて3月半ばから、夫に相棒ができた。

名前はスガッち。

取引先の大手ゼネコンA社で現場監督をしていたが

去年の3月に60才で定年退職した、私と同い年の男性である。


スガッちは現役時代から会社へよく遊びに来ていて、夫と仲が良かった。

夫は退職して会えなくなったのを淋しがり

私の方は、A社に送るややこしい請求書を

スガッちが代わりに作成してくれていたので

それが無くなって淋しがったものだ。


しかし今年の2月。

「仕事、無い?」

彼はそう言って、ひょっこり会社にやってきた。


A社は東京に本社のある大企業なので、退職金が多い。

家でも建てて悠々自適の老後を送るつもり…

退職前、彼はそう言っていたし、誰もがそう思っていた。

けれども違ったようだ。

退職金がそろそろ底を尽きそうなので、どうしても働かなければならないと言う。

その事情は聞くも涙、語るも涙。

ただし本物の涙は語る方だけで、聞く方は笑い過ぎて涙が出る物語だ。


退職金が無くなった原因は、彼が10年ほど前に晩婚でもらった

フィリピン人の若い奥さん、リンダ。

出会いはご多聞にもれず、酒場の客とホステスの関係だった。


独身で結婚歴無しと言うから結婚したのに

後から本国に置いてきた子供が2人現れて

スガッちは騙されたと思ったが、後の祭り。

養育費ということで、まず有り金をむしり取られる。

あちらの人は、お金が入ったら一族に分けるのが当たり前だそうで

長い独身生活で貯めた預貯金はみるみる消え、ボーナスも素通り。

そしてこの度もらった退職金は数回にわたって

半分以上を実家に送金されてしまった。


呑気なスガッちだが、さすがにこれは途中で止めた。

しかしリンダは納得しない。

「家族が助け合うのは当たり前。

家族を大切にしない人とは、離婚します。

退職金は全部、慰謝料です」

考えや習慣の違いに言葉の壁が重なって

言い出したらきかないリンダの性格は、この10年で思い知っている。

全額を慰謝料に持って行かれるより、半分でも残る方がマシ…

スガッちはそう考えて、止めるのを諦めた。


しかしそれでは終わらず、引っ越しが追い打ちをかける。

会社の家賃補助で住んでいた高級アパートだが

補助が無くなったら生活して行けないので、家賃が半分くらいの部屋へ移った。

けれども安い部屋は当然ながら

今まで暮らしていた部屋よりもレベルダウンする。

リンダはそれがお気に召さない。

結局は退職して以来、10ヶ月の間に3回引っ越した。


一から十まで全て引っ越し業者任せだったので

残りの退職金は、この引っ越しでさらに目減り。

最終的に今まで住んでいた隣の市を見限って

我々の住む市内に移り、わりと近くに落ち着いた。

田舎は家賃が安いからだ。


こちらへ落ち着くと、リンダは運転免許を取りたいと言い出した。

ダメと言うほどのことでもないので、自動車学校へ行かせる。

免許を取得すると、リンダは車が欲しいとねだり始め

スガッちは彼女が望む新車を買った。

この車が、退職金のフィナーレだった。


そんなわけで、スガッちは働かなければならなかった。

ゼネコンの現場監督だったから、資格や免許は豊富。

彼は再就職に自信があった。

が、あちこち当たってはみたものの、極度の肥満がネックとなって玉砕続き。

最後に来たのが夫のところだった。


その時期はちょうど本社の意向で、夫の助手を探していた。

船頭の一人だったはずの夫が、重機オペレーターと化して半年

本社が夫の身体を心配し始めたのだ。

それは思いやりというより、本社の体面を守るためであった。


というのも神田さん問題の勃発以降、次々にトラブルが起きた一時期

本社から取締役が訪れる回数が増え

問題解決のための指導や話し合いをするようになった。

指導や話し合いを重ねたって、何ら解決できないのはともかく

彼らが事務所に滞在する時間だけは増えた。


彼らの滞在中、どうしても目に入るのは夫の多忙。

夫を交えて話し合おうにも

藤村が呼びまくったチャーターの積込みに忙殺される夫は

悠長に座る時間など取れない。

誰かに交代させようにも、夫レベルのスピードが無ければ

渋滞が起きて現場は混乱する。

どんな業界でもそうだが、“動かせる”と“こなせる”は

全く違うのである。


その修羅場的状況を目の当たりにした彼らは一様に驚き

感心した後で、いちまつの不安を覚えた。

高齢を理由に窓際へ追いやっておきながら

社員の何倍も働かせては整合性が無いではないか。

そして最も恐れたのは、高齢の夫が倒れたら労災は必至という懸念である。


なにしろ神田さん事件が、現在進行形。

神田さんは、藤村のセクハラとパワハラが原因で

軽度の鬱病になったと診断され、労災が適用された。

この上、夫が死ぬか倒れるかして

またもや労災ということになったら恥の上塗りだ。


そこで彼らは、夫の助手を雇うという結論に至った。

夫の仕事を手伝ったり、積込み作業を交代するパートを雇うのだ。

労災の懸念を払拭するには、藤村を辞めさせればいいことだが

それだけは考えない彼らであった。


夫は、自分に代われるオペレーターなんていないと思っている。

自信という精神的なものではなく、これは物理的な問題。

熟練したオペレーターは、おいそれと市場に出回らないからだ。

それぞれの勤務先で大切にされるので、転職は考えない。


倒産や撤退で勤務先が無くなれば転職するだろうが

良いオペレーターは、会社が無くなると同時に他社が引っ張る。

だから職探しの必要は無い。

夫の代わりを務められるオペレーターであれば

よそで高給を取っているので、パートなんかで来るわけがないのだ。

よって夫は

「また変なのが来て、振り回されるのはまっぴらごめん」

そう言って断った。


しかし本社は、そうはいかない。

夫が倒れたとしても、事前に何らかの手は打ったことになるため

労災責任は免れる。

そういうわけで、切り傷に湿布を貼るような彼らの発案により

夫の助手を募集することになった。


そこへスガッちが、仕事を求めて登場。

現場監督だったので重機の免許は持っているが

完全なペーパーで戦力にならないのを夫は知っていた。

のんびり屋でケ・セラセラ体質のスガッちは

たまに会う知り合いとしては楽しいけど

一緒に働くとなると疑問符がつくのもわかっていた。

その根拠は、全国的に名の知れた大企業に勤めておきながら

定年後は嘱託になったり、子会社へ出向させる斡旋も得られないまま

スパッと切られたからだ。


しかし他に応募する人もいなかったし

変なのと働くよりは、気心の知れた人の方がまだマシかも…

夫はそう考えて、入社させることにした。

《続く》
コメント (6)
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