殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…それぞれの春・7

2021年04月22日 08時39分31秒 | シリーズ・現場はいま…
「3台…」

夫は絶句した。

田辺君の会社に入る前にも、あちこちの会社でやらかしているそうなので

ヒロミが焼いたクラッチは、合計すると二桁の大台に到達するかもしれない。


しかし我が社には、クラッチ焼けを回避する秘密兵器がある。

去年、藤村が神田さんのために新調したノークラッチダンプである。

これに乗せれば、初めからクラッチが無いんだから焼けることはない。

田辺君は、ヒロミをノークラッチダンプに乗せろと言いに来たのだった。


が、時すでに遅し。

夫も田辺君と同じことを考えてはいたものの

ヒロミがクラッチ名人だと知らずに入れたため

彼女はすでに、空いていたマニュアルダンプに乗っている。

ヒロミのダンプは、うちの息子たちが架装のアドバイスに関わったため

色や装備が派手な若向きで、元ヤンのヒロミは気に入っていた。


そしてノークラッチダンプには、佐藤君が乗っている。

ダンプのことを知らない藤村が注文し、本社が叩きまくって買ったので

清々しいほど地味で、必要な装備も付いてない。

しかしこれに乗ってさえいれば

パワー不足を理由に険しい現場へ行かなくて済むため

佐藤君はこのダンプを死守する構えである。


一旦与えたダンプを交換するというのは、この業界では難しい。

両者が納得づくならいいが、片方、あるいは両方が嫌がるとなると

無下に命令しにくい。

上役だの部下だの言ったって、実際にお金を稼ぎ出すのはダンプと運転手。

むやみに立ち入れない部分があるのだ。


ヒロミをノークラッチダンプに乗せる手は、もう一つある。

佐藤君を、以前いた支社に返すことだ。

休み癖が元で別の支社に飛ばされた佐藤君だが

神田さんが辞めて空いてしまったダンプに乗せるため

去年の暮れに藤村が呼び戻した。


しかし、いつの間にか藤村の手下となり

何かと社内をもませる佐藤君を夫が快く思わないのは当然だ。

佐藤君を返したいと何度か支社に話したが

向こうでも嫌われていたようで、いらないの一点張り。

とはいえ、支社が佐藤君を引き取ってくれた場合

こっちは運転手が一人減るので募集しなければならない。

また変なのが来てゴタゴタするのは困るので、様子を見ているところだった。


そんなわけで秘密兵器が使えないことを知ると

田辺君は夫に、ヒロミのトリセツを伝授した。

母親を風呂に入れるためという理由で頻繁に早退すること…

仕事が忙しくなると、これまた母親の風呂を理由に必ず休むこと…

人の手を借りなければ風呂に入れないとなると

要介護が付いてヘルパーが来るはずだが

介護保険を使わずに自分でやるからには

よほど風呂に入れるのがうまいのだろうという皮肉を込めて

ヒロミはクラッチ名人の他に、“風呂名人”と呼ばれていたこと…

母親の風呂を理由に早退や欠勤するのは、オトコと会うため…

そのオトコとは昔、義父の会社に勤めていた人の息子で

うちへ転職したのは、そのオトコの勧めによるもの…。


ちなみに、“昔、義父の会社に勤めていた人”とは

飲酒が原因で解雇したAさん。

30年近く前になるが、彼は運転手の仕事を転々としたあげく

50を過ぎて入社した。


不良がそのまま年取ったような渡世人崩れの人で

若い頃に義父と顔見知りだったことを全面に押し出していた。

自分が一番後輩でありながら、年下の社員や出入り業者に威張り散らし

義父の会社を我が物のように吹聴した。

知り合いを入れると、こうなるケースがままあるものだ。


しかし義父にとって最も重要な問題は、飲酒癖。

今までの仕事もそれでクビになったらしく

義父の会社に入ってからも、仕事中に飲んでいるという噂が付きまとった。

彼が入って2〜3年が経った頃

会社の冷蔵庫にビールを発見した義父は怒り狂い

その場でAさんを解雇。

彼はこの措置を恨んで、その後もしばらくゴタゴタした。


そのAさんは数年前に亡くなり、なぜか義父の墓の真ん前に眠っている。

遺族がたまたま、そこを買ったのだ。

きっとあの世でも、大喧嘩をしていると思う。


ともあれタチの悪い男の子供は、両極に分かれるものだ。

父親の人と成りを踏襲するか

あるいは母親の苦労を見て、父親とは正反対の善人に育つか。

ヒロミのオトコは、前者である。

彼女は相変わらず、いい男に巡り会えてないようだ。


ヒロミの男運の無さは、知っていた。

結婚した相手もそうだが、私と知り合った頃に勤めていた宅配会社でも

オトコ絡みのちょっとした出来事があったからだ。


離婚して間の無いヒロミは、同僚の妻子持ちと

頻繁にメール交換をするようになった。

一人になった心細さもあって、メールの内容が熱くなってきた頃

男の妻がそのメールを見たそうで

「女房が対決すると言い出した」

という内容のメールをヒロミに送り、男は絶交を告げた。


男に切られたことよりも、妻の怒りの方が怖いヒロミは

恐怖と後悔に打ちひしがれた。

当惑したミーヤに呼び出された私は、さめざめと泣くヒロミを慰めたものだ。

年かさの私は、こんなことで泣くヒロミを可愛らしいとすら思った。

しかし若いヒロミに、このショックは耐えられなかったようで

退職の運びとなったのだった。



話は戻って、田辺君。

「介護を持ち出すと同情されるから、味をしめたんだよ

慣れてくると絶対やるから、忙しくなったら気をつけて。

急に休んで仕事に穴開けられると、困るのはヒロシさんだから。

チャーターを呼ぶのに、例えば5台にするか6台にするか迷った時は

多めに呼んだ方がいいよ」

そして彼は、再びこう言って帰って行った。

「大丈夫、すぐ辞めるから」


田辺君からヒロミ情報を得た夫は、さして気にしない様子だったが

ヒロミのオトコがAさんの息子だという奇遇には驚いていた。

思い返せばAさんは、今の藤村と同じような傍若無人ぶりで

若かりし夫が、かなりのストレスを感じていたのは知っていた。

その記憶が蘇ったのだろう…今さらながら、初めて私に問う。

「あの子、どうなん?」


何でぇ、今さら…と思いつつ、私は答えた。

「仕事の方はともかく、明るくて愛想がいいけん

会社の雰囲気は良くなるよ。

あの子は面白いけん、あんたは気に入ると思うよ」


そしてその通り、夫はヒロミと相性が良かった。

例えば夫が、業務日報の書き方を教える。

「この欄に、現場を書いて」

真剣な面持ちで、日報に“現場”と書くヒロミ。

「バカたれ!納品先を書くんじゃ!」

「え〜?!」

「ちゃんと、場所を書け」

「了解!」

職場は明るくなった…多分。

《続く》
コメント (4)
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