殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…それぞれの春・5

2021年04月15日 09時27分03秒 | シリーズ・現場はいま…
大手ゼネコンのOBで、フィリピン人の妻を持つスガッちの入社により

藤村の口数は格段に減った。

無理もない。

ゼネコンとフィリピンに詳しいスガッちの前で

「どこそこのゼネコンの取締役は、俺とツーカーの仲」

「俺はフィリピンにモテる」

などのホラを吹くわけにはいくまい。


しかし、これで諦める藤村ではない。

彼は今も、M社の社長に責められている。

専属にして毎日仕事をやる約束で、M社から裏リベートを取っていたのだから

約束が違うと文句を言われるのは当然だ。


藤村との密約を取り付けた社長は、よその仕事に見向きもせず

こちら1本に絞っていた。

藤村の配車に応じるべく、無理をしてダンプの新車も購入したし

裏リベートを捻出するために、架空請求という危ない橋も渡った。

藤村が配車権を失ったからといって

はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。


切られた時のセーフティネットを確保しないまま

取引先を1本に絞るのは経営者として愚かな行為だが

そんなことを知る社長ではない。

1本に絞ると連絡や請求が楽で、接待交際費などの経費が節約できるからだ。

その楽と安上がりに飛びついた社長は今、死活問題に直面している。

窮状を訴える相手は、藤村しかいなかった。


「藤村が苦しんどるのは、はたから見てもわかる」

夫は楽しそうに言う。

「切羽詰まっとるけん、また何かやらかすよ」

私も笑いながら答える。

「もう、詰んだろう…手は無いはずじゃ」

「あいつには、嘘という手がある。

油断したらいけんよ。

何か言われても即答しなさんな」


この会話が現実のものとなるまで、さほどの日数はかからなかった。

先日の退社時、佐藤君が長男に言った。

「マコト君の有休が1日残ってるから消化するようにって

藤村さんが言ってたよ」


長男、いつの間にか藤村の手下になっていた佐藤君とは

ここしばらく絶縁状態だった。

にもかかわらず、急に近づいてきたのをいぶかしく思ったそうだ。

しかし、もっといぶかしいのは有休というテーマ。

営業所長の肩書きを奪われ、ヒラの営業マンになった今の藤村は

有休を管理する立場に無い。

しかも有休消化を促すなら年度末の3月中に言うべきで、今じゃない。


長男の警戒に気づかず、佐藤君は明るく続けた。

「それから、親父さん(夫のこと)の有休もまるまる残ってるから

今月まとめて取って欲しいって、藤村さんが…」


あんたぁ、何サマね…長男は吠えた。

「何で藤村が、ワシらの有休にゴチャゴチャ抜かすんじゃ。

それを何であんたがそんなこと言うて、ワシとこへ来るんじゃ。

藤村の丁稚(でっち)が、えらそうに。

ワシに直接言ええ、いうて藤村に言うとけ。

ボコボコにしちゃるけん」

佐藤君は、ふくれっ面で帰って行った。


帰宅した長男から話を聞いた私は、すぐにピンときた。

夫に連休を取らせて休ませ、その留守を狙って配車に干渉し

M社のチャーターを呼ぶつもりである。

長男の有休は、おまけに過ぎない。

騙す相手である夫と、藤村が恐れる長男には直接言えないので

佐藤君を伝令に使ったのだ。


藤村の考えたドラマは、こうだ。

夫が休みの間、積込みは長男にやらせる。

夫の代わりにはならないが、どうにか務まりそうなのは

長男しかいないからだ。

運転手にオペレーターをさせるのだから、長男のダンプは動かない。

すると長男の代わりに、チャーターを1台余計に雇わなければならない。

夫と一緒に配車をしている次男は、長男が抜けて多忙のため

藤村への牽制が手薄になるかもしれない。

そこですかさず、配車をカバーしてやるという名目で勝手にM社を呼ぶ。

一度呼んだら最後、以前のようにガンガン呼べばいい。

夫が出社する頃には、形勢逆転済み。

藤村が軽い頭に描いた図なんぞ、容易に想像できる。


しかし、この策は失敗だ。

なぜなら夫は長い社会人生活で、有休を取ったことが一度も無い。

義父の会社だった頃は、有休をわざわざ取るまでもなく

自由にデートや駆け落ちをしていたし

今の会社になってからも有休とは無縁だった。

そもそも休みたいと思ったことが無いので

自分に有休があるのかどうかすら考えたことも無いのだ。


有休を取れと言われたことも無いし

取りたいとも思わないまま10年が過ぎた。

義父が死んだ時は、3日だか4日だかの忌引き休暇で済み

あと先はお陰様でこれといった厄災も無く、健康に働かせていただいている。

夫にとって有休は、猫に小判。

目の前にぶら下げられても、興味が湧かないのだ。


一方で終わった男、藤村にとって夫の有休は

返り咲きのために残された貴重なチャンス。

有休消化を促す時期や権限は、この際関係ない。

嘘でも何でも、とにかく邪魔な夫を休ませる必要がある。

連休が取れると吹き込んでやれば、飛びつくはず…

藤村は、怠け者の自分と重ね合わせて考えた。


しかし、面倒なことがある日や叱られそうな日を選んで休み

早々に有休を使い切る藤村と、雨の日も風の日も必ず出勤する夫では

ハナから勤労意欲が違うのだ。

もっとも夫の場合は、家に居ると女房から邪魔にされ

グズグズしていると母親から厄介な用事を言いつけられるので

仕事の方がマシと思っているのかもしれない。



こうして藤村の作戦は、長男のブロックもあって不発に終わった。

このように些末な手口を思いつくからには

藤村もいよいよ手詰まりになっている様子。

しかし我々は、バカどもにかまけているわけにはいかない。

なにしろ4月1日から、クラッチ名人が入社しているのだ。


で、そのクラッチ名人だが

入社してみたら、知り合いのヒロミじゃんか。

ガ〜ン!

私と薄い交流のあった20年前は、確か宅配便の営業所に勤めていた。

ヒロミは珍しくない名前だし、離婚して姓が変わっていたので

入るまで気がつかなかったのである。

《続く》
コメント (6)
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