殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

今年の目標は…

2025年01月08日 14時20分06秒 | みりこん流
年が明けて日常が始まり、今年の目標やら決意やら

色々と考えたいところだけど、なかなか浮かばん。

介護ってマジ、人間の夢や希望を奪い去ってしまうものなのね。


その介護対象者、実家の母サチコに関する目標ならありますよ。

“今年は施設に入れる”。

実現するといいけど。


さて、この正月休みは久しぶりにのんびりできた。

サチコを入院させたため

デイサービスの送り出しに通わなくてよかったのもあるが

毎年正月の3日、同級生ユリちゃんのお寺で行われる

お雑煮会に行かなかったのも大きい。

「母のデイサービスと弁当が休みで

6日間、世話をしないといけないから無理」

そう言って断った。


嘘をついて欠席したわけではない。

ユリちゃんにそれを言った時、サチコの入院はまだ決まっていなかった。

決まったのは、その2日後。

私は、そのことをユリちゃんに伝えなかっただけである。


この5〜6年、正月の3日は毎年

ユリ寺で行われる初勤行に夫婦で呼ばれ

私は台所でお雑煮の鍋物を作っていた。

前日の2日は食材の準備に走り回り、当日は朝早く寺へ行き

べらぼうに寒い台所で震えながら、一人立ち働き

食べて後片付けをして夕方帰る…

2日と3日がこれで潰れ、4日と5日は疲れが残り

気がついたら、いつも正月休みは終わっていた。

お雑煮会を拒否しただけで、こんなに楽とは思わなかった。

めでたい!


来年以降も行かないと、改めて誓う。

物事を続ける努力は大事かもしれないが

年を取ったら、自分の身体を守る努力の方が大事だ。


思い返せば私は、自分を守ることを怠って生きてきた。

自分を守る気が無いから、つまらぬことを押し付けられたあげく

価値の無い雑事に追われるようになり

本当にやりたいことや楽しいことを後回しにしてきたように思う。

おそらくそれは、正しい生き方ではない。


今年になって急にそう思うようになったのは

サチコの実子マーヤからの年賀状。

楽しそうな家族旅行の写真付きである。

私がサチコからの電話攻撃に耐え

しょっちゅう呼び出されていた時期の写真だ。

「何よ!親を私に押し付けて!自分たちは旅行に行って!」

とは思わない。

わたしゃ何なのよ、とは思う。


悪魔の化身サチコに関わったら最後、五つ並んだ明るい笑顔が

一瞬で消えてしまうのはわかりきっているので

「犠牲者の人数は少ない方がいい」

このコンセプトにより、自ら魔境に身を投じたのは他でもない私。

文句を言うつもりは無い。


ただ人間って、苦境から一目散に逃げられる人と

グズグズして逃げられない人がいるんだな、と思った。

危険察知能力が高い人と、低い人がいる…

これは紛れもない事実。

私はどうも低いようなので、これは仕方のないこと。

能力の高い者は、お人好しの馬鹿がちゃんといることを

見極められるのかもしれない。


「いつもありがとう」

マーヤからメールでは言われるが口だけで

煎餅のカケラすら、届いたことは無い。

その「ありがとう」は、私に向けられたものではなく

母親の世話を回避できた安堵への感謝なのだろう。


決して、何か欲しいわけではないぞ。

浮世の義理を知らない者が選ぶ品はたいていズレていて

もらっても嬉しくない形だけの物と決まっている。

「こんなモンで誤魔化して!」

そんな怒りが生じる懸念は、無い方がいい。


「いつもありがとう」

サチコも言う。

そりゃ簡単に言うが、口だけだ。

労働に見合う金品を下賜されたことは無く

むしろこちらの持ち出しが多い。

忘れたら損することはしっかり覚えているけど

覚えていたら損することはすぐに忘れる、それが認知症。


なんだかんだ言っても、アレらが似た者親子なのは間違いない。

こういう小さな発見が、私には嬉しいのだから困った性分である。


そういうわけで、今年は“自分を守る”を目標にしたいと思う。

が、今までたびたび目標にしてきた“無口”も全然達成できなかったし

また目標だけで終わるかもね。
コメント (2)
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