今、実家通いが慌ただしい。
母サチコは入院中なので、彼女に手がかかっているわけではない。
介護用に、実家の玄関その他を修繕しているためだ。
自分の育った家ではあるものの、今やサチコの物件となった実家は
嫌いな人が住むよその家という感覚。
サチコが居ても居なくても、何だか不気味で居心地が悪い。
玄関の方は昨年9月末、サチコが3ヶ月の入院を経て退院した時に
これから始まる介護生活に向けて家を見に来た
小規模多機能型居宅介護施設のケアマネから、きつく言い渡されていた。
「玄関を普通のドアに変えてください」
ケアマネの主張は、もっともである。
なにせ実家の玄関は、元が自動ドアだった。
店舗兼住宅というわけではない。
「家に出入りする時は、たいていカバンや荷物を持っているから
自動で開く方が便利」
という祖父の考えで、大昔に新築した際、そうなった。
父の代になってから、いつしか自動ドアの電源は切られ
手動で開閉するようになった。
会社を閉じて夫婦二人暮らしになり、来客も減ったし
人が来ると勝手に開く自動ドアでは物騒だからだ。
ただし全面ガラス張りの大ぶりな自動ドアという構造上
普通の玄関にはならなかった。
鍵は内鍵しか取り付けられず、外からは鍵をかけられない。
そのため家を留守にする時は、まず玄関に内鍵をかけ
外から鍵のかかる台所の勝手口から裏庭に出たら
隣との境の狭い路地を抜けて表へ回る。
不便だけど、両親はじきにお迎えが来る予定で
この厄介な外出方法に甘んじていた。
父は思惑通り早めに旅立ったが
残ったサチコにはお迎えが来ないまま20年。
今じゃあの世でなく、デイサービスからお迎えが来ている。
介護施設の人はデイサービスの送迎や
1日2回の弁当配達のたびに裏口へ回らなければならず
サチコが一人で外出する際も、こんな長道中では危ないと言う。
ケアマネの話では、要介護の独居老人の家って
玄関が外から施錠できない家が多いという。
スムーズな介護のために
そういう所は直してもらうことになっているそうだ。
古い家に住む古い人が要介護になると
住環境を整える必要が生じるのはわかった。
しかしまた一方、場当たり的な改造を繰り返したあげく
家相が悪化して、要介護と孤独にさいなまれる晩年を過ごす
サチコみたいなケースもあるのかもしれない…
などとチラッと思ってしまった。
ともあれ私もまた、サチコに手がかかるようになった数年前から
食べ物や洗濯物、あるいは実家で出たゴミなどの大荷物を持って
狭い路地を行き来するのに辟易していた。
よって、玄関を普通のドアに替える指示を二つ返事で承諾した。
さっそく建築業をしている同級生、通称モトジメに相談。
彼はサッシの業者を呼んでくれたが、問題はサチコ。
手すりやスロープの設置と違って
こういう大掛かりなリフォームに介護保険は出ないので、自腹になる。
施設の指示に従わなければ面倒を見てもらえないため
言う通りにするしかないのだが、サチコにはそれが理解できない。
「継子が友だちの大工とグルになって、私から金を取るんじゃ!」
そう言って激しく抵抗し、モトジメが来る度に鬼の形相で暴言を吐いた。
友だち価格で工事費を安くしてくれた上に
よその婆さんに怒鳴り散らされるのだから、たまったもんじゃないが
認知症の母親を25年も世話したモトジメの気は長い。
その度に、サチコを優しくなだめてくれるのだった。
さて何処も同じらしく、サッシ業者は
介護が始まった老人宅の玄関をやり替える仕事に追われているそうだ。
そのため、工事は年明けということになった。
「え〜!そんなに先かよ?」
去年、聞いた時はそう思ったものだ。
私が1日おきに実家へ通い、デイサービスの送り出しをしているのは
サチコが行きたがらないのに加え、この不便な玄関のためでもある。
普通の玄関であれば鍵を1本、施設に預け
職員はそれで玄関を開閉してデイサービスの送迎をしたり
弁当を持って来て家に入り
弁当と一緒に薬を飲ませることになっているからだ。
「玄関が直るまで、娘様が送り出しに通ってください」
そう言われたら、通うしかないじゃんか。
しかし今となってみれば
サチコの入院中に工事が済むのはラッキーだった。
アレが家に居る時に工事をしたら、暴れるはずである。
玄関の方は、先日終わった。
しかし、今まで酷使していた勝手口のドアにも無理がきていて
開かなくなるのは時間の問題。
今度はそっちを直すことにした。
1月6日の予定だったサチコの退院を延長してもらった私だが
ついでに彼女がいない間、家をあちこち直して
工事が終わったら退院させるつもりだ。
請求書が来たら怒り狂うのは決定事項だが、そしたらこう言ってやる。
「わかった、今後一切あんたとは縁を切る」
工事費を払いたくないと言ったら、手切れ金代わりに私が払ってもいい。
そして携帯は着信拒否、家の電話は消滅させる。
電話が命の義母ヨシコには、携帯を持たせよう。
老人、特に認知症の老人、さらに鬱病の老人は
“変化”という現象に対して強い抵抗感を持つ。
サチコが退院した時、激変した家を見てどんな反応を示すか
今から楽しみだ。