小学3年生の時、クラスで何か生き物を飼おうということになった。
少し前までは「カイコ」を飼っていた。
2年の時、理科の観察に使ったので
行きがかり上、余生の面倒も見たわけだ。
お世辞にもかわいいとは言えないイモ虫達は、毎日たくさんの桑の葉を食べ
やがてひっそりとマユにこもり
さらには小太りな白い蛾となって、死んでいった。
おおっぴらには言えないけど
今度はもっとかわいいものを飼いたいという願望が
クラスには、あった。
学級会で、先生が言った。
「家で飼っている生き物で、学校へ持って来てもいいという人は
発表してください」
カエル、メダカ、金魚、ゲンゴロウ…色々な生き物の名前があげられた。
体温の無い生き物は、いまひとつ盛り上がりに欠ける。
その地味さに溜息が漏れる中、私は満を持して言った。
「カナリア」
…クラスで飼う生き物は、即座にカナリアと決定した。
家に帰って、その旨を家族に伝える。
うちにいる1羽のカナリアは、人が鳥カゴごと預けて行ったきり
長い間、取りに来ないものであった。
昔は「すぐに帰って来ます」と汽車に乗ったら、それっきり…
ということが、よくあった。
母チーコは「預かりものを勝手にはできない」とシブった。
「あんた、世話なんて、したことないじゃないの。
今まで、そこにいるかとも言わなかったのに、急に…」
しかし私とて、もう後へは引けない。
翌朝、鳥カゴを持って、意気揚々と家を出るが
その直後、早くも挫折。
昔の鳥カゴは、鉄製で重たいんじゃ。
ハンドバッグじゃあるまいし、快適に持ち歩けるようには、できていない。
持ち手の輪っかが指に食い込み、すっかりイヤになった。
チルチルミチルは、すごいなあ…と尊敬した。
これを持って旅までするんだから、たいした力持ちだ。
「ほら、ごらん!」
チーコの勝ち誇った顔。
父か祖父を呼び、車で送ってもらおうとするが
チーコに阻止される。
「自分で持って行くと言ったんだからね!最後までやりなさいよ!」
途方に暮れる私を見かねた祖父の発案で、1本の太い木の棒が用意された。
1メートル余りのこの棒に、鳥カゴの輪っかを通してぶら下げ
姉妹で肩にかついで運べと言うのだ。
気の毒なのは妹だが、我が家の場合
ひとつ違いの姉妹は、常に一蓮托生の雰囲気があった。
学校までは、そんなに遠くなかった。
500メートルほどだろうか。
それでも、鳥カゴが傾かないように、妹に高さを合わせたら
こっちはヒザを曲げて歩くことになる。
やらせている手前、仕方がないが、大変しんどい。
ようようの思いで学校へたどりつき
得意満面で教室にカナリアを持ち込むと
みんな、歓声をあげて喜んでくれた。
ああ、満足。
さっそくカナリアの世話をする、いきもの係を決めることとなった。
一人の男子から、もっともな意見が出る。
「いきもの係は、みりこんさんがいいと思います。
それは、カナリアの飼い方を知っているからです」
先生は、何か言いたげな表情だったが
他にめぼしい意見も出なかったので、私は栄えあるいきもの係に就任する。
実は、飼い方なんて、知ら~ん。
さわったこともない。
よく見たこともない。
それどころか、鳥は苦手じゃ。
しかし、いまさらそんなこと、言えやしない。
おっかなびっくり、カナリアを世話すること数日…土曜日がやってきた。
昔は、土曜日も昼まで学校があったのじゃ。
「日曜日は一日中、カナリアを放っておくことになる。
さて、どうするか」
という話になった。
そこでまたまた、もっともな意見が出る。
「かわいそうなので、係の人が家に連れて帰ったらいいと思います」
私もなるほど、と思い、鳥カゴを持って帰ることにした。
棒が無かったので、手で持つしかなく
重さと指の痛さで、2、3メートル歩いては休むを繰り返す。
友達に協力してもらうという手もあったはずだが
なにしろ、いきもの係としての使命感に燃えていたので、思い浮かばず
持ってやろうと名乗り出る者もいなかった。
家に着いた頃には、息も絶え絶えであった。
月曜日の朝、いきもの係としては、またもやカナリアを
学校へ運ばなければならない。
また妹に、文字通り片棒をかつがせる。
文句も言わず、ただ、かつげと言われるから
かつぐというさまが、少々フビンであった。
そして土曜日はすぐにやってくる。
えっさ、ほいさと、カゴ屋のような姿は
往復のたびに、道行く人々の失笑をかった。
「何かがおかしい…どこかが間違っている」と思ったが
当時、それが何であるかは、よくわからなかった。
休日が来るたびの棒かつぎは、1ヶ月ほど続いただろうか。
夏休みが始まって、棒かつぎも休憩だ。
そして新学期…
私はもう二度と、カナリア様をかついで練り歩く気にはなれなかった。
学校で級友に「カナリアは?」と聞かれるのを恐れたが
誰一人、カナリアの消息をたずねる者はいなかった。
その時初めて、みんな、どうでもよかったのだとわかった。
バカなことをした。
しかし、その教訓は生かされることなく、現在に至っている。
少し前までは「カイコ」を飼っていた。
2年の時、理科の観察に使ったので
行きがかり上、余生の面倒も見たわけだ。
お世辞にもかわいいとは言えないイモ虫達は、毎日たくさんの桑の葉を食べ
やがてひっそりとマユにこもり
さらには小太りな白い蛾となって、死んでいった。
おおっぴらには言えないけど
今度はもっとかわいいものを飼いたいという願望が
クラスには、あった。
学級会で、先生が言った。
「家で飼っている生き物で、学校へ持って来てもいいという人は
発表してください」
カエル、メダカ、金魚、ゲンゴロウ…色々な生き物の名前があげられた。
体温の無い生き物は、いまひとつ盛り上がりに欠ける。
その地味さに溜息が漏れる中、私は満を持して言った。
「カナリア」
…クラスで飼う生き物は、即座にカナリアと決定した。
家に帰って、その旨を家族に伝える。
うちにいる1羽のカナリアは、人が鳥カゴごと預けて行ったきり
長い間、取りに来ないものであった。
昔は「すぐに帰って来ます」と汽車に乗ったら、それっきり…
ということが、よくあった。
母チーコは「預かりものを勝手にはできない」とシブった。
「あんた、世話なんて、したことないじゃないの。
今まで、そこにいるかとも言わなかったのに、急に…」
しかし私とて、もう後へは引けない。
翌朝、鳥カゴを持って、意気揚々と家を出るが
その直後、早くも挫折。
昔の鳥カゴは、鉄製で重たいんじゃ。
ハンドバッグじゃあるまいし、快適に持ち歩けるようには、できていない。
持ち手の輪っかが指に食い込み、すっかりイヤになった。
チルチルミチルは、すごいなあ…と尊敬した。
これを持って旅までするんだから、たいした力持ちだ。
「ほら、ごらん!」
チーコの勝ち誇った顔。
父か祖父を呼び、車で送ってもらおうとするが
チーコに阻止される。
「自分で持って行くと言ったんだからね!最後までやりなさいよ!」
途方に暮れる私を見かねた祖父の発案で、1本の太い木の棒が用意された。
1メートル余りのこの棒に、鳥カゴの輪っかを通してぶら下げ
姉妹で肩にかついで運べと言うのだ。
気の毒なのは妹だが、我が家の場合
ひとつ違いの姉妹は、常に一蓮托生の雰囲気があった。
学校までは、そんなに遠くなかった。
500メートルほどだろうか。
それでも、鳥カゴが傾かないように、妹に高さを合わせたら
こっちはヒザを曲げて歩くことになる。
やらせている手前、仕方がないが、大変しんどい。
ようようの思いで学校へたどりつき
得意満面で教室にカナリアを持ち込むと
みんな、歓声をあげて喜んでくれた。
ああ、満足。
さっそくカナリアの世話をする、いきもの係を決めることとなった。
一人の男子から、もっともな意見が出る。
「いきもの係は、みりこんさんがいいと思います。
それは、カナリアの飼い方を知っているからです」
先生は、何か言いたげな表情だったが
他にめぼしい意見も出なかったので、私は栄えあるいきもの係に就任する。
実は、飼い方なんて、知ら~ん。
さわったこともない。
よく見たこともない。
それどころか、鳥は苦手じゃ。
しかし、いまさらそんなこと、言えやしない。
おっかなびっくり、カナリアを世話すること数日…土曜日がやってきた。
昔は、土曜日も昼まで学校があったのじゃ。
「日曜日は一日中、カナリアを放っておくことになる。
さて、どうするか」
という話になった。
そこでまたまた、もっともな意見が出る。
「かわいそうなので、係の人が家に連れて帰ったらいいと思います」
私もなるほど、と思い、鳥カゴを持って帰ることにした。
棒が無かったので、手で持つしかなく
重さと指の痛さで、2、3メートル歩いては休むを繰り返す。
友達に協力してもらうという手もあったはずだが
なにしろ、いきもの係としての使命感に燃えていたので、思い浮かばず
持ってやろうと名乗り出る者もいなかった。
家に着いた頃には、息も絶え絶えであった。
月曜日の朝、いきもの係としては、またもやカナリアを
学校へ運ばなければならない。
また妹に、文字通り片棒をかつがせる。
文句も言わず、ただ、かつげと言われるから
かつぐというさまが、少々フビンであった。
そして土曜日はすぐにやってくる。
えっさ、ほいさと、カゴ屋のような姿は
往復のたびに、道行く人々の失笑をかった。
「何かがおかしい…どこかが間違っている」と思ったが
当時、それが何であるかは、よくわからなかった。
休日が来るたびの棒かつぎは、1ヶ月ほど続いただろうか。
夏休みが始まって、棒かつぎも休憩だ。
そして新学期…
私はもう二度と、カナリア様をかついで練り歩く気にはなれなかった。
学校で級友に「カナリアは?」と聞かれるのを恐れたが
誰一人、カナリアの消息をたずねる者はいなかった。
その時初めて、みんな、どうでもよかったのだとわかった。
バカなことをした。
しかし、その教訓は生かされることなく、現在に至っている。
みりこんさん!
ごめんなさい、本気で笑いました。
だって、毎週でしょ?
私は1週間でやめると思います。
根性ナシですから(・´з`・)
うさぎや鶏がいましたよ。 飼育係ではないのに、が近いからと日曜日に餌をあげに行ってましたね。
鶏は怖かったんでお父さんにやらせてました。
果物見てきましたメロンも良いと言われました。安いのでも味は大丈夫と。 主人にはわたしの実家は浮気のこと知らないことになってます。
夏休みが無ければ、もっと続いていたと思います(笑)
ほんと、バカですね~!
1週間でわかれば、優秀ですよ(笑)
なんか当時は、水滴のついた葉っぱは与えてはいけないということで
うさぎは高学年担当で、鶏は低学年担当というムードがありました。
日曜日とか、どうなっていたんでしょうね。
ナチさんのように、誰かがエサをあげに言ってたんでしょうね。
ご近所に蚕を育てている家があり、葉を食べるのを見によく行きました。(何がおもしろかったのか、さっぱり今となっては、わかりませんが)
うちで鶏を飼っていて、私は貝殻を細かく砕いて、毎朝、餌としてあげていました。
イチゴやイチジク、キイチゴ、スイカ、野菜全般、いろんなものを祖母が自家栽培していたので、よく食べました。
夜店で買ったヒヨコ、せっかくある程度まで大きくしたのに、
ある日、いっしょに寝て、朝起きたら体で押しつぶしていたようです。
別に涙が出るわけでもなく、「ありゃ?」とクールで単に元気な子供でした。
のどかな田舎で、一年中、オママゴトや押し花、染色の材料には困らないほどの豊富な草花や木々に囲まれて、遊んでいました。
生き物よりも、お花のほうがずっと好きでした。
生き物は、情操教育には大切な役割を果たしそうですね。
やっちゃイケナイってわかってるけど
辞められず!息子の部屋を捜索。
以前有った 場所にはもう無かった。
で、それ以前の6個入りだった空箱を見つけ
更に馬鹿親だと 自覚。
あ~あ、子供は成長してるのに 私はダメだった~~~
わたしのMUSIC FILE アーティストに
”生き物係”
というアーティストがいます
名前の由来はもちろん生き物係だったそうです^^
お時間のある時にYOUTUBEで検索してみてください(笑)
子供って残酷なところがあるからね。
おまけに飽きっぽいときてる。
私は妹達の思いつきの犠牲になりました。
ハムスターやら十姉妹やら。
強面にしきのハズなのに、どういう訳か小動物(人間の子供も含む)から好かれました。
私自身もまんざらじゃなかったでしょうね。
最後まで面倒みたところをみると。
あ、そー言えばです。
やっぱり思いつき女王の双子の妹が、サボテンを誰かからもらってきまして、やっぱり私が世話係りになっちゃった時の痛い思い出。
縁側に置いてあったサボテンを眺めている時に、私の後ろを兄貴と喧嘩している妹がぶつかってきたんですよ。
ドンと押された勢いで私は前につんのめりました。
手をついた先にサボテンがぁ~・・・
両方の手の平にサボテンの棘が無数に刺さってしまったんですよ。
痛いのなんのって。
一つ一つ父親に抜いてもらいました。
それから妹達が何かもらってきたりすると父親が盾になってくれました。
痛い代償のお陰で我が家の生き物係りから卒業した次第です。
みりこんさんって目立ちがりや屋さんだったのかしら?
カナリアの一件でそんな風に思いました。
私はこうみえても陰に隠れて悪さをしたい性質だったので、すごく控えめにしてたんですよ。
ホントですってば。
さわると、すべすべしてました。
蛾になって、卵も生んだはずですが、いつのまにか
箱ごと消えてました(笑)
大人になって、大竹しのぶ主演映画の「ああ野麦峠」を見て
あのマユを糸にするんだ!と思いました。
ヒヨコ、買ってました(笑)
私は買うだけで、後は父が電球をともして温めて
可愛がって育ててましたね。
一緒に寝たくなる気持ち、わかります~!
つぶしたことはないけど、私もおそらく同じクールな反応だと思います(笑)
自然って、いいですね!