実家の母サチコの退院が近づいている。
年末年始にデイサービスと日に2回の弁当配達が休みになるため
かかりつけの精神病院に頼んで一時的に入院させてもらったものの
本人が「まだ入院していたい」と言うので
今月末まで延長してもらっていた。
この約2ヶ月、デイサービスの送り出しに通うこともなく
頻繁な電話や呼び出しからも解放されて
数年ぶりにのんびり過ごせた私は、体重が少し増えて元気を取り戻した。
だが退院の日が近づくにつれて
「こうしてはいられないのではないか…」
そんな焦りにも似た気持ちが湧き起こる。
91才、認知症と鬱病で要介護2のサチコが
2ヶ月も病院で暮らした後で、急にまた一人暮らしに戻れるだろうか。
…無理のような気がする。
「一人だと不安で安眠できない」
「昼と夜の弁当は届くが、朝ご飯は自力なのが億劫」
「デイサービスに行ったり来たりするのはしんどい」
日頃、そう主張するサチコがおとなしいのは
その三大問題を入院生活が解決しているからだ。
サチコと離れて暇ができると
私はしきりに隣のおばさんを思い出すようになった。
前回の記事でお話ししたが、90才を迎えて一人暮らしがつらくなり
3年前に広島市内の息子さんの所へ引き取られたおばさんだ。
引き取られる1〜2年前は、忙しかった。
家電が動かない、虫が出た、気分が悪いなど
様々な理由で呼び出されては、ほぼ毎日通っていた。
行けば一人ぼっちの我が身をとめどなく嘆き
クスン、クスンと幼児のように甘えた泣き真似をする。
幼児なら可愛いけど、何しろ相手は当時90の婆さんだ。
それを聞くたびに寒気を感じたものだが、今思えばサチコとそっくり。
あの頃、私は確かに思っていた。
ひょっとしたら、おばさんは隣の私をわざとこき使って
息子さんに苦情を言わせたいのでは…。
「いくら隣でも、こう毎日世話をさせられたんじゃあ困ります。
何とかしてくださいっ!」
私が息子さんに抗議すれば、彼は動かざるを得ない。
広島の家を処分して、自分の元へ帰ってくれるはず…
おばさんは、そう考えていたのではないだろうか。
「隣の若奥さんが怒ったから、息子が帰るしかなくなった」
彼女は、この状況を目指していたような気がする。
悪者は私で、息子さんは被害者。
そしておばさんは、年寄りだから何も知らないという立ち位置。
なぜこんなに手の込んだことをするかというと
息子さんと自分の仲だけは、良い状態に保ちたいから。
帰れ帰れとうるさくせがんでも息子さんに嫌われるだけなので
第三者の口から言わせる魂胆だ。
実際、彼女の言動は時々芝居がかっていて
こちらを思い通りに動かそうと画策する計算高さを感じたものである。
おばさんには、鬱病の入院歴があった。
そしてあの頃の彼女は、認知症が始まっていた。
つまり、今のサチコと似たようなものだ。
認知症と鬱病が重なると、皆がそうなるわけではないと思うが
よく考えたら、おばさんとサチコの言動には共通した部分が多い。
ボンヤリしていたかと思えば泣き、泣いたかと思えば
ニタリと笑ってギョッとするようなことを口走る…
物腰が柔らかくナヨナヨしたおばさんと
歩く凶器サチコとは全くの別物と認識していたが
症状は同じと言えるかもしれない。
だとすると、サチコが私を無料の召使いとして
無体に扱う理由もわかるというもの。
誰だって他人より我が子の方がいいので当然だが
サチコは実子のマーヤを実家に呼び戻して、そばに置きたいのである。
あまりのワガママに私がサジを投げ
「もう手を引く!」
そうマーヤに宣言したら思うツボ。
「継子が逃げたので、娘が関西から帰ってくれました」
この状況に持ち込めるというわけ。
この際、マーヤが仕事を辞めようが家族と別居しようが
サチコの知ったことではない。
サチコ自身は決して悪者にならないまま、悲願は叶うというわけだ。
こんな悪質な老婆の面倒を、この先見続けることができるのだろうか…
サチコも、再び始まる一人暮らしに耐えられるのだろうか…
そう思い始めた私は、施設探しに着手した。
《続く》
みりこんさん!
老婆の悪知恵侮るなかれ!
私の想像の上をいってるババ連ですね!
私婆ネタ大好き!
老獪な婆の手の上で転がされないよう
がんばれ〜
みりこんさん!
アレら、想像の上を行きますよ。
認知症と侮ってはいられません。
ほんと、老獪という表現がピッタリ。
介護ブログと化しつつある昨今
申し訳ない思いで恐縮しながらアップしていますが
婆ネタが大好きと言っていただいて
ありがたいてす。
初めて踏み入れた介護界は私にとって
驚愕に値するほど上辺だけの世界でした。
人間がこんなに長生きすること自体が初めてなので
無理もないことだと思います。
今は老人や介護と関係ない人でも
親も自分も年を取るわけですから
先で何かの参考になればと思っています。