珍しく行きも帰りも時間ギリギリで写真が撮れませんでしたが、久しぶりに新幹線に乗りました。1泊2日の短い旅で、二代目はお仕事が忙しくお留守番。私は静岡在住のお友達3人(含む先輩)を訪ねるべく、ひとり静岡へ向かいました。
今回の旅で、またしても想いを強くした「名物ってもんはやっぱり旨いだよ」シリーズ、いってみよう。
かけつけ一杯。最初の海鮮丼。お刺身がねぇ。やっぱり大好きねぇ。
そんでもってこっちは鮪三色丼(大トロ・中トロ・赤身)。コトバは要らん。
お友達に頂いたお土産たち。お茶にわさびに……どんだけ名物あるんだ、静岡!
この出汁の元が、超美味で。試飲で一目惚れ♡ 先輩が買ってくれた♪
そうよ、定番こそ!自宅用に買って、もうあと2個しかない(ほぼ私が食べた)。
でも一番だったのは……、モチロン友だちとの「時間」。3人とも仕事の休みをとってくれて、体調的にもスケジュール的にも、正直わたしの都合のみの迷惑千万な訪問だったのに、そんな申し訳なさを忘れちゃってたな、滞在中。全身で歓迎してくれて本当にありがとう。ちびまるこちゃんが時々「たまちゃ~ん、大好きだよ~~」って言うけど、私も今なら照れずに言えそう。「みんな、大好きだよ~~」 (あ、まるちゃんも確か静岡の名物)。
水曜日は義父の七回忌でした。最後のあいさつで二代目が
「よく『早いですね、もう6年ですか』と言われますが、とても長かったです。」
って言ってたけど、ホントそう思う。6年間色々あったし、色々つまずいたし、乗り越えた。「おとーさんが居てくれたらなぁ……。おとーさんと二代目と影の二代目(義姉)の3本柱だったら、どんなに魅力的な写真館になっていただろう」って夢のように考えてしまう時もあったし。
でも何はともあれ七回忌。義父が仕事でいつもお世話になっていた地元の駅前ホテルでお清めの席をもちましたが、「松本さんの七回忌ですから」と、お料理がオーダーよりも相当豪華になって出てきて、ありがたいやら申し訳ないやら。業者という立場だけれど、お客様であるホテルの方が「もう6年、ですか……」と寂しそうにしてくださるのは、本当にありがたく、義父の人柄の良さがなせる業だよなぁ。ほんっと、いい人だったんだなぁ……と改めて思い知った一日でした。
義父を「滋ちゃん」と呼ぶいとこの方々や、「滋おじちゃんがお風呂屋さんに連れて行ってくれてねー」と話す甥っ子さんなどの話を聞きながら、法事ってちょっと大変って思っちゃうけど、すっごく意味のある時間なんだよなー、と改めて思いました。
で、お腹パンパンになっちゃったから、夕飯はこんな感じで。「尚美ちゃんは相変わらずお料理が苦手みたいですねぇ……」と苦笑いしているであろう義父のことを思い出しつつ。
こんな嫁なのに、本当にかわいがってもらいました。おとーさんの嫁として恥ずかしくないように、ちゃんと、生きよう。
とても久しぶりに新婚旅行のアルバムを見ていて、こんな写真を見付けました。 これ、橋なんですが、この数十メートル下は急流です。こんな橋を数回渡らなくては縄文杉までたどり着けないと前以て知っていたら、挑戦しなかったかもしれません。そのくらい怖かったです。「せっかく来たんだし……」という想いだけで渡りました。
「新婚旅行はフロリダ行って、バカップルっぽくきゃぴきゃぴ楽しむんだ♡♪」とイメージしていたのですが、「新婚旅行は国内で」というご主人さまのご希望で(笑)、「よーし、だったら超遠い国内にしてやるぅ。」と探していた時に偶然雑誌で見掛けた縄文杉。いま思えばそういうキッカケって殆ど奇跡みたいなもんだな、と思います。本当に屋久島を選んでよかった。体力的にも、休日日数的にも、そう簡単に行かれる場所じゃなかったんだと知るのは、行ってきちゃった後でしたから。それにしても、ネズミとアヒルの耳を付けて、「きゃーー」と楽しむつもりだった旅行が、雨合羽をすっぽりかぶって、途中から会話も無くなりただ黙々と9時間歩き続けるハネムーンになるとは……。ま、我々らしいでしょうかね。
今では「世界遺産」にも登録され、この橋も手すり付に整備されたと聞いています(真偽は確かめておりません!)。安全面的には、「そりゃあ、そうだろう!」と思うけど、なんとなくちょっと寂しいか、な。
金曜日、「さーて、合唱の練習にいくぞ。」と支度してたら、友人の訃報が届いた。1昨年の春に続いて、同じ寮友が、同じく癌で。44歳の女性が癌で亡くなる確率が一体どのくらいなのか数値的なことは知らないけれど、「ちょっとそれは無いんじゃないの」という気持ち。
京ちゃんのときは、本当に青天の霹靂だったので、聞いた直後から前後不覚の状態に陥り、泣きじゃくったままお通夜まで過ごしてた。そんな1年前の私を覚えていた二代目が、「合唱行かれるの?大丈夫なの?」と驚いたような顔をしたけど、私は自分でも意外なくらいに冷静だったな。「いつか来る」と、どこかで覚悟してしまってたのかもしれない。
入寮した日、同じ班になったひらめちゃんは同じ歳とは思えないほど落ち着いていて、ちょっと斜に構えて「よろしく。」なんて言う人だった。そしたら、入学式で新入生代表のあいさつをするとクールに言ったんだったな。「へ?入試で1番だったって……こと?」と驚く私たちに、「そうみたいね。」と嬉しいんだかどーでもいいんだかって態度で。クラスも偶然同じだったので、よく勉強助けてもらったなぁ。「賢い」って言葉がぴったりの人だった。美人さんだったし。
あぁ、「美人さんだった」だって。私はもうひらめちゃんのことを過去形で話してる。夏ころ、最後にメールをやり取りしたとき、「10月まで生きるのが今の目標だよ。」って最後に書いていたひらめちゃん。10月に入ったときメールしようかなと思いながら、何を書けば傷つけないんだろう?元気づけられるんだろう?私に今のひらめちゃんの気持ちなんて理解できるわけもないし……なんて逡巡してる間に、ひらめちゃんは居なくなっちゃった。
昨夜、ひらめちゃんから貰ったメールで携帯に残っていた分に全部保護かけた。そんなことしても、何の意味もないって分かってるけど、このまま日々雑多に紛れてひらめちゃんが消えて行っちゃうのが、勿体なくて。
ひらめちゃんが1回目の手術を受けたときから、私は必ず毎年マンモグラフィーの検査を受けるようになった。京ちゃんや、ひらめちゃんがもう居ない、会おうと思ったって会えやしないって思うと、自分が今元気にここに生きてることは、ほぼ奇跡に近いことのように思えてくる。ちゃんと生きなくちゃ。ものすごく生きたかったはずだもん、二人とも、お子さんたちがこれから成人式や結婚式を迎える日を一緒にお祝いしたかったはずだし、私たちと同窓会みたいなことするのを楽しみにしてたはずだもん。
ちゃんと生きなくちゃ。この世に居なさいって残されている間は、ちゃんと。
長野県松本市では、サイトウキネン・フェスティバルの真っ最中。数日前にはNHKニュースで小澤征爾さんもインタビューに答えていらっしゃいましたが、街に入るとそこここにポスターやフラッグが掲げてあり、泊まったホテルにも出演者の方々がお泊りのようで、壁には英語のスケジュール・練習部屋のご連絡などが貼ってありました(カッコいい!)。「この時期に松本に来たのに、チケット持ってないのぉ?こんなに素敵なプログラムが目白押しなのに、オペラもオーケストラも素通りしちゃうのぉ?お馬鹿さんねー。」と街の空気に言われている気がしました。だって、今年の夏に松本を訪れることになるなんて、自分でも知らなかったんだもん、ぐすん。
脚を怪我して、遠出・要徒歩・乗り物などの条件がすべてNGになり、「この夏は、旅行無しか……」としょんぼりしていたところ、上記フェスティバルに出演されるため、暫く松本市にご夫妻で滞在されているという音楽家の方(とっても素敵なメゾソプラノの方です。以前、コンサートにお邪魔した際、私がちょっと喉がイガイガしている……とフェイスブックに書いていたのをご覧になって、こんなお土産 を用意して下さっていました。そんな方です。んね、お声の優しさが想像つくでしょう?)が、こんなバスの存在をフェイスブックに載せていらっしゃいました。 アーティスト草間弥生さんのパッケージバス。超絶かわいい。
それほど「大好き!」という訳ではなかったのですが、その生い立ち、作品作りに向かうようになった軌跡を知ったときから、ずっと興味を持っていたアーティストの草間弥生さん。勿論、あの独特な水玉模様には目を奪われる強い魅力があって、大都市が似合う作風だなぁと感じていましたが(実際、NYや六本木などで個展をされることが多いらしい)、彼女の出身地である松本市立美術館にまとまった展示があると聞いたときから、「いつか行きたい場所」となっていました。こんなバスの写真を目にしたのも何かの縁!と、思い切って出掛けることにしました。
大した計画なしのゆるゆる旅の締めくくりに、「ゆっくり珈琲を一杯♪」と古きよき珈琲店に立ち寄ったら……
なんと、上記の音楽家ご夫妻にばったり遭遇!本当は今回の松本行きを決めてから、勇気を出してお食事をご一緒にとお誘いしたいなぁ、でもファンの分際で図々しいよな、でもご主人(もテノール歌手。私は密かに「王子」と呼んでます)がカメラ好きだって言ってたからそれを理由に誘ってもいいかも、いや待てよ、お二人は大事な本番が始まるんだから……と諦めていました。前の晩も松本のホテルからメールさせていただき、このお店を教えて下さったのも実はその方だったのです(もう一つ言うと、ランチもその方おススメの洋食屋さんへ。多分、私の心の声が、「その2軒に行けば、もしかしたらお二人にバッタリなんて可能性があるかもしれないぞぉ……」と囁いたのかも!)。お顔を確認した瞬間、「わーーい!」と、店内を疾走し(実際はひょこひょこ歩き)、ご挨拶してしまいました。
この幸運を合唱の修行に生かせるように、一緒に写真撮って頂けばよかった……と激しく後悔。今回、「是非、見たい。」と願っていた水玉バスに1回だけ出会えたのに、やったー!やったー!と大喜びして写真撮るのをすっかり忘れた私。本業の修行ですら、まだまだでした……。勿論、二代目はすかさず撮ってましたけどね(↑の写真です)。
昨日は3月11日でした。まだ3年という月日しか経っていないのです。つらい思いで過ごした方が大勢いらした事でしょう。昨日は、「復興」や「原発」のことを考えるよりも、ご家族を亡くされた(或いは探している)方々の悲しみだけを思って過ごしました。ただ、テレビは大相撲中継以外は、見ないようにしてしまいました。「忘れないようにしよう。」って訴えられるほど、誰も忘れていないでしょう?
「復興」に向けて、さまざまな事をしている人が沢山居ます。「原発」の後片付けが済まない以上、「復興」が完成することなんてあり得ないけど、でも前には進んでいると信じたいです。私たちが日々働いていることや、治めている税金が復興の原動力になっていると、信じたいです。信じていいのか、本当に不安でたまらないけど。
お財布に少し余裕が出来れば、市役所内に設置してあった募金箱に持って行っていました。でも、新聞を読んでいると、本当にちゃんと使われているのか心配になってきました。
だから、銀行に用事があったとき、お財布に少し余裕があれば、赤十字社に寄付を送ったりもしました。でも、新聞を読んでいると、どうやらそれも必ずしも安全な方法ではないみたいに思えてきました。
そう思って、ちゃりんちゃりんと溜めているだけになってしまった貯金箱が3つになりました。3年経った昨日、「どうしよう」と考えて、ふっと愉快な人たちの顔が浮かびました。私は笑うことは大好きなのですが、多分頭の回転が悪いせいで、「お笑い」が好きではありません。だから、芸人さんとかも全然知らないのですが、サンドイッチマンという芸人さん(2人組)が、東北の出身で、何か復興のための活動をしているとラジオで聞いたことがあったことをふっと思い出し、ホームページを探してみました。具体的な活動(親御さんを亡くされたお子さんたちへの教育資金基金)が信用できそうな気がしました。とりあえず、この窓口に送ることにします。
義援金という形でしか罪悪感をゆるめることが出来ない今の私が、かなり残念です。
26日は18回目?17回目?の結婚記念日でした(どう数えるのが正しいのか分からない……。1996(平成8)年だったんですけど)。
自営業だと、一緒に過ごす時間がものすごく多いです。結婚して数年は、お互いお勤めに出ていましたので、違いは歴然です。そのタイミングと同時に、足利へ引っ越し、仕事も変わり、環境も変わり、将来展望も変わり、とにかく何もかもが劇的に変化したので、「夫婦が一緒にいる時間が増える」などという小さな変化には、あまり気付いていない内に、それなりに受け入れていました。それでも、年がら年中一緒に過ごし、妥協は許さない仕事も一緒にやっていれば、争うことや誤解もたまにはあるでしょう。でも、基本的には仲良く過ごしていることに、感謝しています。
やっぱり夫婦は、何年一緒にいたって、もともと他人。誤解や、理解できないことも起こると思います。それを解決するのは、とにかくコトバだと思っています。長年一緒にいることで生まれる阿吽の呼吸というのが存在するとは思いますが、そこにはある程度の危険を孕んでいるようにも思います。夫婦生活18年より先の世界を知らないので、手にとるように相手の考えていることが分かる時が、いつの日か来るのかなとも思うけど、とりあえず今は毎日毎日べちゃべちゃべちゃべちゃお互い喋り続けようと思ってます。
今朝、いつもの通り(洗濯物を干しながら、首だけひねって)、「いってらっしゃーーい。気を付けてねーー。」と二代目を送り出しました。すると、彼がわざわざ戻ってきて、「気を付けて、って言われて出掛けた方が事故が少ないんだって。」と言って行きました。実はそこ、私も(統計的なことは知らないけど)そうだろうなって思ってました。だから、時々、ちょっとプリプリしてて、「気を付けて」って言わずに送り出して、帰りが遅かったりすると、妙に不安になったりします。『あー、今朝言わなかったんだよなー、気を付けてね』って。言わなくてもいいけど、言った方がちょっといいこと。そういうことを、言って行こうと思います。