若女将の修行日記

『写真館の若女将・成長記録』のはずが、いつのまにか『若女将のおとぼけな記録』になっていました。

最終日、南部戦跡へ

2013-09-13 01:33:56 | 忘備録

楽しく冒険に満ちた3日間を過ごし、沖縄での最終日、フライトまでの時間に南部の平和祈念公園に向かいました。このブログには何回も書いてきましたが、私は日本に暮らす大人でありながら、あまりにも戦争について無知なまま生きてきており、ほんの数年前からやっと目を向けるようになりました。『ライフワークだ。』と公言しておきながら、兵隊さんが書き残した文章を読むということさえ遅々として進まず、ときどき読めば、その晩は悪夢にうなされる体たらくです。それでも、今回の沖縄旅行では、必ず南部へ行こう、全ての悲しい現場を目の当りにしなくても、自分が可能な範囲で訪れようと決めていました。

 

それなりに勉強してきていたので、知っていることも勿論ありましたが、知らないことが沢山あったことが驚きでした。「予想していたより酷い。」のではなく、「そんなことがあったなんて、全く知らなかった。」というレベルで。

 

捕虜になった島民はどんな生活を送ったのか。上陸してきたアメリカ兵が何に苦しんだのか。どうして沖縄上陸戦があんなに長かったのか。どうして中でも悲劇が南部に集中したのか。犠牲になった方はどうしてそうなってしまったのか。他にも、もっとたくさん知るべきことがあったと思うのだけれど、全て見る時間も根性も無くて、随分資料を飛ばしてしまいました(それでも、資料館だけで2時間くらいはかかりました。膨大な展示数です)。

 

この場所はものすごく綺麗なところで、大変広大な敷地です。海を見下ろして、「なんて綺麗な景色なんだろう。」と暫く眺めていたのですが、どうしてこんな目に合わなくてはならないのかも分からず、震えながらこの海を見ていたであろう人々のことを思い出したら、急に怖くなりました。海がものすごく綺麗にキラキラ輝いていたからこそ、なんだか、なおさら残酷なような気がして。

 

本当に、怖かっただろうなぁ。

 

 

 平和祈念公園から眺めた海。


食こそ旅!

2013-09-11 00:04:30 | 忘備録

沖縄旅日記もそろそろ終わりにしなくては。

 

ということで、今回は沖縄グルメ旅!行きます!

 ←これ、今回の旅でNo.1でした。コザの「チャーリーズ多幸寿(タコス)」 この皮、また食べたいです。おかわりしちゃいました♪

 ←定番ブルーシール!さとうきびアイスって、ほぼ黒糖アイスでした。

 ←沖縄といえば A&W。予想通り、ルートビアは二代目ド・ストライクでした。

 ←コンビニでゲット。クッキー&クリームみたいな感じ。

 ←ポーク&たまご。食文化にも横たわる『沖縄が一時期アメリカだったんだ』の歴史。

 ←二代目念願のグルクン唐揚げ。やっぱり塩焼きより美味しかったみたいねー(前回、離島旅のとき、居酒屋のお兄さんの静止を振り切り、塩焼きにしてもらった)。

 ←恐々トライした海ブドウ。この美味しさは意外でした。ポン酢でさっぱり。

 ←揚げたてサーターアンダギーとポーポー。黒糖の優しい甘みが心地よく。

 ←ガツンと南国デザート。マンゴー&パイナップル!旨い!文句なし!

 ←定番・沖縄そば。手前はさっぱり、奥はこってり。

 

ふぅ……。ちょっと太っちゃった(笑)。

ごちそうさまでしたーー。

 


琉球村

2013-09-10 17:32:00 | 忘備録

二代目が『台風高波に負けるな根性シュノーケリング・ツアー』(本当は、青の洞窟へ行く予定でしたが、それは無理と判断され、別のスポットへバスで連れて行かれたそうです)に挑戦している間、私は『琉球村』という場所で、さまざまな体験をして待っていました。

 

まずは、最近ハマっているビーズ作り。トンボ玉というビーズを使って指導のお姉さんとお喋りしながらブレスレットを作りました。 ←肘側の方です。

 

次は、沖縄民謡などで、カランカランと印象的なカスタネットのような楽器『サンバ(三板)』の体験(踊りレッスンつき)。琉球の伝統的なおうちを移設した建物の中で、ムードたっぷりに教えていただきました(わざとなのでしょうが、三線の方と踊りの先生が本気で琉球語で会話していると、私には何を仰っているのかサッパリ分かりませんでした)。  

 

そして、メインディッシュです。南の国で苦手の克服を決心し(図工・美術の成績はいつも最悪)、挑戦してきました『シーサー作り』体験です。先生の見本をガン見して、親切な先生のご指導をガッツリ受け(製作中は手がねんどねんどなので、カメラは使えず、終了後にイメージを撮らせて頂きました。手前のメガネをかけた可愛らしい方が先生でした)、必死で頑張ること1時間……こんな感じになってしまいました。性格が出るのかね、やっぱり(泣)。一カ月後に焼かれて届くのが、まぁ、楽しみです。

 

海で激しく遊んできた二代目と合流し、文化的な一日も終わりました。

琉球村、楽しかったさー。

 

 


青空☆感謝

2013-09-09 21:17:46 | 忘備録

今回の沖縄旅は色々事前予約などをして、かなりしっかり計画を立て、出発を待っていました。が、ひとつ、想定外だったことが。それは、『台風襲来』。「どうやら逃れたらしい。」と思いきや、突然新しいやつが襲って来たり、生まれたり。こんなに、携帯電話の天気予報を睨み付けた期間もないってくらいでした(おかげで、今もつい日本地図の下の方を見るクセがついちゃった!)。

 

最初は、

「ヒコーキさえ飛べば、御の字!」と言い、

「エイサー祭りさえやってくれれば、それでOK!」と言い、

 「青い海を一瞬でも見られたから、もう大満足!」と言い、

 「高波で透明度はいまいちとはいえ、なんだかんだ潜れたし!」と言い(二代目だけ)、

……ながら、結局滞在中の3泊4日間、一晩だけ嵐が通っただけで、後は青空でした。いつから、こんな晴れ男晴れ女カップルになったんだろう???友人に言わせれば、それはその土地に『呼ばれている』証拠みたいなものらしいのですが。とにかく、毎日5時にピタっと目が覚めて、カーテンをひき、「やったーーー!今日も晴れてるーーー!」の、幸せな3つの朝でした。

 

 

2日目の夕方、馬に乗ったあと訪れた暴風雨の首里城にて、決死の顔ハメ。チケットもぎりのおばさまが呆れて見てました…… 

 

 

 


海でウマ

2013-09-08 22:21:08 | 忘備録

馬とか牛とか、なんというか、大きくて目の優しい動物が好きです。新婚旅行のときも、宮崎県のガイドブックを彩る魅力的な観光地をすっ飛ばし、小さな牧場で時間を過ごしたほどに。

 

沖縄の離島旅行をした際、与那国島に渡ってこの与那国馬に乗る計画がありました……が、飛行機のチケットがとれず、泣く泣く断念。10年経って、ようやく夢が叶いました。とはいえ、私は「砂浜でのんびり優雅に乗馬」なイメージを持っており、申し込んだ際に牧場の方が、「暑いので、この季節は少し海に入るかもしれません。」と仰ったのも、「問題ないでーす。」と思っていました。

 

ところが、蓋を開けてみたら、それは相当ワイルドな娯楽でした(笑)。

 海の中をぽくぽく

 どころの騒ぎではなくなってきて、尻尾に捕まって泳ぐ

 台風接近中の荒波で、よくよく見てみればウマくんも相当キツそうです!

 

そして、塩水に入った後は、砂浴びが気持ち良いそうな!

 突然ひっくり返ったので、とても驚きました。

 

 

優しい優しい目をした与那国馬。  現在、故郷の与那国島では公式確認残数が60頭となっているそうです。大切に育てられ、増やそう、残そうと努力して、馬くんと一緒にお仕事をしていらっしゃったスタッフの皆さん(私たちを楽しませようという熱い情熱を、強く感じました♪)には、頭の下がる思いでした。ガイドブックには載っていませんが、一味違う沖縄のマリンスポー……ツ(と呼んでよいのか?)お奨めです♪

<うみかぜホースファームさんのホームページ>


イヤサッサー!アーイヤー!

2013-09-07 18:28:26 | 忘備録

沖縄エイサーに一目惚れした直後から、「自分もやってみたい」と言い続けていた二代目。そんな願いを、沖縄市(コザ)観光協会さんが叶えてくださいました。色々なアミューズメント施設等でも、「エイサー体験」はあるのですが大抵は、『団体様のみ』。でも、この観光協会さんは「2名~」と書いてある……ホントかなぁ、と思いながら問い合わせてみると、あっさりOK。「団体さんが居たら、そこに混ぜてもらう感じでもいいですよぉ?」とこちらが気を遣っちゃうくらいの『あっさりOK』でした。

いやーー。楽しかったーー!1日前のエイサー祭りに出演していた本場の先生方にマンツーマンでご指導を受け、しかも三線・生歌の演奏つき!なんて贅沢☆☆☆二人だけのために、こんなにしていただいて本当に恐縮至極でしたが、やっぱり嬉しかったな~!明らかに筋のない私にまで、懇切丁寧に熱血指導してくださいました。

奥が二代目!手前が若女将!

 

太鼓の重さを知り、その太鼓を手首で支えるつらさを味わい(筋肉痛が何日も続いた……)、リズムを間違えて一人ズレるカッコ悪さに身悶えし、地元の方々の「みんなにエイサーの素晴らしさを知って欲しい!」という深いエイサー愛♡ を知った貴重な時間でした。

 

グレートティーチャーの皆様!本当にありがとうございました!!

 


 

……そして、足利に戻った二代目と若女将……

二代目:観光協会さんで購入してきた練習用太鼓に、本当にたたき続けても壊れないよう独自の強化対策を施し、自分用特訓太鼓、鋭意製作中。

 

若女将:気分だけエイサー継続中。


夏の雲は忘れない <2>

2013-08-12 11:24:09 | 忘備録

<つづき>

朗読劇を見(聴き)終えて感じ、話し合ったことを忘備録として記します。

 

昨日は原爆や戦争を伝える内容としては、かなり控えめな表現だったと思います。もしかしたら、幼いお子さんが会場に足を運ぶことを想定しているのかもしれません。それでも、恐ろしい情景を脳裏に浮かべる描写表現や、写真も当然ありました。女優さんたちが、声を荒げて伝えようとしてくれた場面も。でも、先ほども書きましたが、私はそういった場面で泣くことも震えることもなく、実際に起こったことなんだ、と冷静に受け止めていました。日本人として生きてきた40年の中で、見聞きしたことが体に蓄積され、知識として知っているからでしょう。

 

ただ、一か所だけ、泣きました。それは若い女の先生が、教室で原爆による孤児たちと向き合う場面。ふっと、「こんなに明るいこの児童たちには、お父さんとお母さんがいない。」と再認識し、その先生が言葉を失って、立ち止まってしまうお話でした。そのお話の背後に写っていた、原爆ドームを背景にして、満面の笑顔をカメラに向けていた子供たちの写真には心が揺さぶられました。私たちと同じこの国に生まれた人たちが、明るく暮らしていたんだなぁ、とてつもない別世界で繰り広げられた悲劇ではなく普段の生活の中に突然起こったことだったんだなぁ、と見せつけられた気がしました。

 

感じ、哀しみ、思うだけでは何も変わらないと思います。でも、感じず、哀しまず、思わない世の中にならないように、強く願い、何か出来ることがあるならば、とそう想いを新たにしました。そうやって一人ずつ背筋を伸ばすとき、それが日本人にとっての8月という時だと思います。こと戦争について語るときだけは、真っ直ぐきれいごとを語りたい。私は、そう思います。

 


夏の雲は忘れない <1>

2013-08-12 06:41:31 | 忘備録

二代目は小学生のとき、県立図書館で広島と長崎に関するビデオを、お友だちと何本も見たそうです。原爆の悲惨さを直接的に伝える映像や、放射能がその後、人間にどれだけ怖ろしい影響を残したのかという事に至るまで。素直に、「それは、すごいな。」と思っていました。男の子と女の子という違いこそあれ、なんて強い子たちなんだろうと。

 

重松清著「最後の言葉」という本に、いろいろな偶然が重なって導かれてから数年経ちました。どうしても足が遠のいてしまいがちな本たちを、とりあえず開こうと努力する月、8月。気付けば買って、目につくところに置いている「戦地で実際に兵隊さんたちが残したコトバ」をまとめた本を8月になったら読むことが、私のライフワークだからです。それを、どうしようという訳でもない、ただ、日本人として何か一つでも出来ることないかなーと思っていた自分にしっくりきたから、静かにやっている、ただそれだけ。

 

その試みを始めたのち、後悔したことが2つありました。それは、広島と沖縄に行ったことがあるのに、私は戦跡をこの目で見ようとしなかった、ということ。原爆ドームだけは市内を走る車中から見えましたが、直視できなかったし、きちんと考えようとしませんでした。とても、怖かったのです。でも、私はもう大人だし、視的に飛び込んでくる戦争の記録から逃げるのは弱すぎたと、反省をしています。

 

昨日、『夏の雲は忘れない』という朗読劇に行ってきました(友人のT也が地元高校生として出演していました。あれが、あのT也かと疑うほど、立派だったよ)。広島と長崎に原爆が投下された後、現地で書き残された記録を、女優さんたちが舞台上で朗読していく、シンプルな舞台でした。「しまった、ハンカチ忘れた。」と、開演前に慌てていましたが、さほど涙は出ませんでした。当時の写真も背後にずっと映し出されましたが、大して目を背けることもなく、向き合うことが出来ました。私はもう準備が出来ていると、変な安心をしました。これで、沖縄で予定している戦跡めぐりを、私はきちんとすることが出来るな、と。そのことに耐えられるだけの強さは身に着けたな、と。

 

<つづく>


夏がくれば思い出す

2013-07-23 13:14:14 | 忘備録

 母方の祖母は夏に亡くなりました。暑かったなぁ、あの年も。自宅でお葬式をしたのですが、私は何の準備を手伝えばよいのか分からず、汗をだくだく流しながらひたすら拭き掃除をしていました。階段を拭いていたとき、母が階下から、「疲れるからそんなに働かなくていいよ。」と声をかけてくれて、私はその瞬間から堰を切ったように泣いたのをとてもよく覚えています。社会人デビューの1年半を一緒に暮らした祖母のことは幼いころから大好きで、彼女を失ったことは本当に悲しくて仕方なかったです。

 

私はこのブログをもう数年書き溜めていますが、私にだけ見えるところに、このブログの中で一番読まれたブログ・ランキングみたいなのが出てきます。最近、下記のブログがどうやら沢山読まれているようです。また、植村花菜さんが新曲でも出したのかな?この曲名で下記ブログにヒットした方は、「なんだよー。関係ないじゃーん。」って思っているでしょうけどね(笑)。

 

ただ、祖母が怒ってるだろうなって最近怯えているのは、先日、「天国に行ったら一番最初に誰に会いたい?」と尋ねられたとき、咄嗟に「遊……」と答えてしまったことを、根に持っている気がするんです。因みに、「遊」とは、本名「遊五郎」、幼いころ一緒に育った愛犬です。まぁ、仲良しだったので、多分二人(一人と一匹)は一緒にいると思うんですけど。

 

若女将の修行日記 2011年1月19日 祖母のことを書いた日。

http://blog.goo.ne.jp/oggu/e/b2f526d3887a9ef3919b468975635cb2?fm=entry_awp

 

 


おもてなし <松山の旅 最終回>

2013-06-30 23:31:15 | 忘備録

Mさんご家族は特別としても、何だか松山の人たちってみんな、とても親切でした。あぁ、これがお遍路さんをお迎えし続けた街の「おもてなし」なのかと深く納得した場面が幾つもありました。

 

秋山好古さんのお墓に向かってひたすら坂道を歩いていた私に「どこ行きよるん?好古さんのお墓?全然反対よ。何もないよ?墓石あるだけよ?地元の人は誰も行かないよ?」と話しかけてくれたおばさまも、

 

洗濯物を干しながらいきなり「大手寺へ行かれるんです?お気をつけて~。」と声をかけてくれたヤングママも、

 

「ありゃ酷い、こんなに喰われましたか。お城で?どこで?秋山さんの生誕地で?あー、そりゃ、あそこはいっぱい居たでしょう。でも、蚊に喰われるってことは血液が若いってことですよ。良かったですねぇ。」と励ましてくれた薬屋さんも、

 

「本当に忘れませんか?忘れちゃうといけませんよね?お手元に置いた方が?……(暫くその場を離れたのに戻ってきて)やっぱりお忘れになりそうですよね?お座席でも大丈夫ですよ?」と、どうしても薄い紙袋を上の棚に入れてくれなかったフライト・アテンダントさんも(松山の人に違いない)、

 

みんなとっても親切でした。旅行で知らない街を訪れる度に自分にとってスペシャルな街って増えていくけど、松山はその上位にぐぐぃ!と食い込みました。これから私は三ヶ日みかんに浮気することなく、愛媛みかんを食べ続けます!そして、勿論オレンジジュースはPON!で決まりです。

 

本当にありがとう!松山大好き♪ <松山城天守閣より>