若女将の修行日記

『写真館の若女将・成長記録』のはずが、いつのまにか『若女将のおとぼけな記録』になっていました。

精神力>体力

2008-10-08 15:36:05 | その他
昨日は平日だというのに、結婚式の撮影でした。ホテルでメイク→織姫神社で十二単のお式→ホテルで披露宴のコースをずっと追いかけて撮影する、いわゆるスナップというものです。二代目と2人で、いつも1000枚近い写真を撮影しています(納品するのは選りすぐりの600枚くらい)。

織姫神社での撮影をすべて終了し、「さぁ、ホテルへ!」と駆け足で機材を片付け、車に飛び乗った途端に、激しい痛みに教われました。足のふくらはぎがツったのです。それも、今までに経験のない激しいツりっぷりで、涙が出てきました。とりあえず発作が去ってからも、何かで殴られた記憶が足に残っているような鈍痛がその後も残ったほどです。でも、不思議と仕事が始まれば、カメラを担いで階段をダッシュ!することも出来るのですから、人間の精神力というものはなかなか素晴らしい。

二代目のアシスタントを始めて間もない頃。30~40カットくらいの商品撮影を終えて、帰りにファミレスに寄りました。「いやー、疲れたねー」などと、ゴハンを食べて、さぁ帰りましょうとなった時、ウソみたいに体が動かないのです(詳しく言うと、足と足の付け根が他人のモノになったような感覚)。あの時は本気で、びっくりドンキーに救急車を呼ばなきゃならないかと思っちゃいました。1日中あんなに元気に動き回っていたのに、私のカラダもなかなか健気だなぁと感じたのでした。

とはいえ、撮影の最中に足がツるようでは、マズイね。カラダが資本のこの仕事。本気でトレーニングせな、あかんね。

読む

2008-10-06 13:16:29 | その他
昨夜、宮本輝氏の『にぎやかな天地』を読み終えました。彼は若い頃からずっと読んでいる数少ない作家です(年齢と共に、読む本の趣味が変化しているため)。

本、特に小説は、何か知識を得よう、利口になろうという思いで読んでいるわけではありませんが、宮本氏の小説を読んでいると、軽い座右の銘的なコトバが沢山出てきて、いつも「ほぉ」と思います。それは、「そうだったのか!」と新しい知識を得るというよりは、ずっと自分の頭や心の中にあった漠然としたモノが実際のコトバとして目に触れる、という感覚です。

今回の「ほぉ」は(記憶なので、文章がそのものズバリではないかも)、『いい仕事をする人間は、自分の仕事に後ろめたさが無い。だからいつも堂々としていられる』、『勇気は湧くのではなく、出すもの』、『(文章に)書いておかないと消えてしまう』、『死というものは生のひとつの形なのだ』。

子供のころ、国語のテストで、『ココで作者は何を言いたかったのでしょうか』という問題が出る度、「私はこうだと思うけど、作者が本当に言いたかったことなんて、私にも先生にも分からないんじゃないかな?」といつも思っていました。でも今は、作者がココで何を言いたかったのか、というのは、「自分はココで何を受け取ったか」、ということだったのだろうな、と思うのです(その解答に対して点数をつける先生も大変だ)。

写真、音楽、絵画などの芸術の世界に比べると、文章はある程度共通の意味をもったコトバを材料にしている分、直接的に作者の意図が伝わってくるし、『作者は何を言いたいんだろう、ココでのメッセージは何?』と考え込んでしまいがちでした。でも、最近は、「作者の投げてきたモノ」を読者(私)が受け取るとは限らない気がするけど、それでもいいや、この本を一冊読むことによって、何かを私が受け取れば充分、と思うようになりました。

上記の本の主人公が、週に数日は、糠漬けと納豆だけの夕食にすると体調がいいと、言っていました。そういうことで、今夜は納豆ゴハンだよ、二代目。


オケピ!

2008-10-05 04:15:02 | その他
数日前にTVで偶然ブラッド・ピットを見かけ、思い出しました、友人Aからすっごい前に借りていたビデオのことを。三谷幸基氏の舞台『オケピ!』です。

3時間半と聞いて、「うわ、長っ!」と感じ、登場人物も変化せず、舞台も全く変化しないので、前半は「うわー、コレ3時間半見られるかな」と思っていました。もともと日本語のミュージカルが苦手だという思いもあったし、キャストの全てが歌の専門家という訳ではなかったので、画面で冷静に見てしまうと、音のズレとかが妙に気になってしまって。

でも、結果としては、かなり面白かったです。まさか自分が布施明氏の歌で涙する日がくるとは夢にも思いませんでした(親の世代の歌手というイメージ強し)。

劇中の台詞、『どんなくだらないミュージカルでも、感動する曲が一曲はあるもの』(⇒どんなヒトにもイイところが必ずあるもの、というメッセージだったのかもしれない)。素直に確かにな、と最近の自分を振り返ると思います。

現代音楽なんて苦手だと思っていたのに、超現代音楽なステージにカラダが震えるほど感動する自分、人前で一人で何か披露するなんて無理と思っていたのに、台詞を言ったり踊ったり歌ったりすることに高揚感を覚える自分、日本語のミュージカルは苦手と思っていたのに、画面に向かって小さい声で「ブラボー」と言ってしまう自分、そんな自分を発見する度に、無理って思わないことの大切さに気付かされるのです。自分で線外に追いやってしまったことにより失う(取り損なう)イイことって沢山あるんだよな、と。

仕事でも、音楽でも、お酒でも、人間関係でも、『無理』って思うことはやめようっと。ポジティブ・シンキングで!(観た人だけに分かるオチでごめんなさい)

包んで、くるんで

2008-10-04 11:55:34 | その他
この冬(まだ秋か)初の肉まんを食べました。実はこの中華まんというヤツが私は大好物で。中華街で、大きな豚まんを頬張るなんてのは、もう至福の時間で。

どうやら、私は『包んである食べ物』が好物なようです。同じ中華グループで言うと、餃子・焼売・小龍包(いわゆる飲茶)、他にも、生春巻・タコス・ラビオリ・京都の生八橋・足利の虎谷のポナペ(亀屋万年堂のナボナに似た感じのチーズクリームが入ったお菓子)……などなど。

中でも、クレープへの愛は深く、子供のころに買ってもらったお菓子作りの本を見て、よく作っては、配っていました。バザーに出品して完売した時の歓びは今でも忘れられないですね。友人(や、ちょっと気になる男の子)にもよくプレゼントしていました。大人になってからサッパリ作らなくなってしまったなぁ。あの本、今でも大事にとってあるから、作ってみようかな。

「大学生になって東京に住んだら、原宿に行ってクレープを食べるんだ」という田舎の子どもらしい可愛い夢がありました。残念ながら、東京を通り越して、『あと一歩で小田原ですよ』という街の大学に行ってしまったので、原宿までの時間は足利とさほど差は無かったのですが、張り切ってクレープを食べに行きました。

ところが、足利でいつも食べていた『デイリーファーム』(1坪くらいのお店)のクレープの方が、全然美味しいじゃん、とガッカリ。焼きたてで、生地がふわふわしてて、クリームもチョコもアーモンドも溢れんばかりズッシリ入ってて!足利の隠れた名店ですよ。

包んで、くるんで、中には美味しいモノが詰まってる!人間も、外見と中味に意外性があって、予想以上に中味が美味な人に惹かれちゃいますもんねー。


味が分かる幸せ

2008-10-03 11:35:02 | その他
クンクンクスンクスン……食事中に二代目が鼻をならすのは、彼が『味が分からない症』に陥ったサインで、それは『寝不足による疲労度超過』を意味します。昨日、朝ゴハン中に、隣でクスンクスンとやっているので、「あぁ、秋がきた」と実感してしまいました。

昔、祖母が味が分からなくなる病気になりました。塩をなめても、砂糖をなめても同じ味がすると言って、周囲を心配させました。本人は祖父を亡くしたショックが原因だなどとは、最後まで絶対に認めませんでしたが、多分そうだったのでしょう。

もともと食べることが大好きだった(超小型だったので、量は少なかったけど)祖母は、分からないなりに毎食きちんと食べており、お10時もお3時もきちんと摂る姿は、尊敬に値するものでした。

足利に行道山という山があり、その頂上には寝釈迦さまが奉ってあります。祖母と一緒にお散歩がてらお参りに行き、お賽銭を備えて、一休みし、写真を撮りました。一休みした時になめたいちごキャンディーの「味が分かる気がする」と祖母が言い、「すごいね、もう効果が出たんだね」と笑って下山しました。ところが、その日から彼女は本当に味が分かるようになり、2年間苦しんだその症状はウソのように消えて無くなったのでした。

今は、栄養ドリンクや、爆睡で、味覚を取り戻すことが出来る二代目。いざとなったら行道山だ、と私は心の片隅で思っています(因みに、昨日撮影後に寄ったお気に入りのラーメン屋さんでは味が分かったそうです。タフマン恐るべし)。

後日談。祖母が写真を現像してみると、置いたはずのお賽銭が写っていない、と。「角度が違ったから写ってないだけだよ」と笑った私ですが、今でも心の中で『お釈迦様はきちんと代金をとって仕事をしたのか』という可能性をぬぐいきれずにいるのでした。

民営化

2008-10-01 10:42:17 | その他
今朝、ある金融機関さんの民営化初日の記念に、とお客様&社員さんの集合写真を撮影しました。10月1日、今日からいくつかの組織が、こういったリスタートをきっているんですよね。

新卒の私が、社会人生活を始めた銀行も今日から株式会社になりました(⇒日本政策投資銀行)。私が銀行員だった頃、『民営化』という話が出始めて、まるでモンスターが襲ってくるような、恐ろしい且つ縁遠い話、という印象でした。でも、数年前に本当のコトとなったことを新聞で読み、様々な変化が古巣で起こっていることを小耳に挟み、少し心配していました(転職した身ですが、私はあの銀行が好きだったのですよ)。

1年位前、銀行の方々にお会いする機会が何回かありました。その時に、今ではすっかり偉くなってしまったかつての同僚や上司達が、将来への期待を口にしていたこと、以前は「絶対に民営化なんて!」と反対していた先輩が、「わくわくする」と言っていたこと。そういった話を耳にして、あぁ、民営化は今やモンスターではなくなっているんだな、と感じていました。

もう関係なくなってしまった銀行だけど、いつも応援しています。社員のみんなが、「ウチの銀行ったら、スゴイのよ」と胸を張れるようなカッコイイ組織に、なっていって欲しいと心から願っています。私にとっては、まさに母校のひとつなので(大して仕事が出来た訳でもなく、様々な知識や技術を仕込んでもらったことを思えば、まさに学校だったかもしれない。何だか、給料頂いて、申し訳なかったなぁ、今思えば)。