世に言う『加藤の乱』
「死人に鞭打つ」わけではないが、いっときは「首相候補」とまで言われた氏は、
「先見の明」が無く、「55年体制崩壊」の一助にはならなかった。
盟友の小泉純一郎は非常にインパクトのある総理になった。
加藤紘一氏は、幹事長など重責を勤めながらも「なにかが足りない」お人だった。
まぁ、「理論家」が加藤氏なら、小泉氏は「直感型」と言えば良いのだろうか。
加藤の乱の時に加藤氏は、「もう自民党・社会党の時代ではない」と思ったのだろう。
そこで「踏み切るか・踏み切らないか」が、分水嶺だったと言える。
加藤氏と相反する政治家として上げられるのが、「小沢一郎」である。
まさに「理論派」VS「実戦派」とも言える。
「数が民意だ」とは、田中角榮の言葉だが小沢一郎もその言葉を引き継いでいる
と言える。
なにか、加藤さんは政治に対して「潔癖」だったように思う。
しかし、政治の中身はドロドロしていますので、
加藤の乱も「情」に引きづられて、結果的に「負け犬」となってしまった。
これ程の政治家ならば、総理ならずとも衆議院議長などの「重席」に着いても
おかしくはなかった。
どちらにせよ、今の議員にはない「知能・経験」を持ち合わせている若手議員は見当たらない。
南無三・・・
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