一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

Ⓞ-3. 利休と一輪の朝顔~どう生けたのか?★

2022-07-27 07:00:00 | Ⓞ-茶道の精神と心得え
 今、我が家の庭には毎朝朝顔の花がたくさん咲いています。
朝顔の花を見ると、時折思いをめぐらすことがあります。
利休の花に関する逸話はたくさんありますが、なかでも有
名なのが、「茶話指月集」に書かれている朝顔の逸話です。


 トキの最高権力者=豊臣秀吉は、利休の屋敷にたくさんの朝顔が咲いていることを家来から耳にし、朝顔の茶の湯を所望したという。

 約束の日の早朝、秀吉一行が利休の屋敷を訪れてみると、ナント、
路地の朝顔は一株残らず引き抜かれて、何もないのです。あっけにとられ、また不信に思いながら茶室に入ると、床の間に朝顔の大輪が生けてあり、秀吉は利休の美学に感嘆したといいます。
 これは、利休の哲学や美意識、茶道の在り方を身をもって訴えている逸話です。客=秀吉が路地に並んだ美しい朝顔を鑑賞し、茶室に入ったとします。床の間に茶花として何の花を持ってくるか、とも利休は考えたと思います。路地にも朝顔、茶花も朝顔…では全く興ざめ!で、絶対避けるべきパターンです。
  
 
 天下人=秀吉は、路地の美しく豪快な朝顔をイメージしてやって
きました。そこには朝顔が全くありません。「これは何事ぞ!」とー。案内され、茶室で床の間を拝見したとき、その謎が一瞬で解けたのです。茶の湯では、客の立場に立った心理的な手法やアイディアが求められます。利休は、美しい朝顔をたくさん見せるのではなく、その中からよりすぐった最高の一輪だけを見せたのです。これが最高のオモテナシの一つと。これは、利休の求める「わび茶」の精神を、茶花で表現したものです。この逸話は、私たちの日常生活において、多くの示唆や教訓を含んでいます。

 さて、私は、利休の一連の行動は、秀吉に対する別な思いが隠されている気もします。もし利休の招いた客が秀吉でなく、知人・友人なら朝顔を刈り取ることはせず、茶花には今が旬の夏の花(何がイイか?)を生けたのではないかと思ったりします。この「朝顔の茶の湯」は、これから展開する利休の切腹!との関連の伏線になるかな?と、ちょっと深ヨミをしています。
 今回は、このことはさておいて、私が思いめぐらすのは、利休はどんな花器に、どのように朝顔を生けたのかということです。

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