小学生の頃、公共工事といえば、ある冬の道路工事のことを思い出す。その頃の農村というか田舎町では、農閑期に農家の女たちは、現金収入が目当てで間違いなく日当が出るというので、冬の厳しい寒さの中、道路の整備、たしか砂利を引いてその上からアスファルト舗装する作業を人海戦術で行っていた。ずいぶん昔の話です。最近は、大型ブルドーザーやコンクリートミキサー、最新鋭の工作機械がいろいろ開発されており、少人数で効率のよい道路工事が実現可能になったことを思うと、隔世の感がする。
いまでは年老いて、背中も曲がってしまった母も、若い頃、現金目当て、所謂日銭稼ぎで、私の生まれた田舎町ではその当時、大金持ちの御大臣様といわれていた会社、O工務店で、日雇い労働者の役回りをしていたことをぼんやりと記憶している。
O工務店には、中学生の時同じクラスメートでTさんというとても素敵な女性がおり、副委員長をしていて成績も良かった。その後、Tさんは東京方面の大学に進学し、1、2度、街なかで偶然お会いした。艶やかな着物姿でとても幸せそうな様子でした。
それから数年後、業績を順調に伸ばしていたO工務店は、多額の負債を抱えて倒産してしまった。その会社もTさんの自宅もすべて更地になってしまい、Tさんの消息は不明…
私の弟は卒業後、お国関係の仕事に数年奉公したあと、ある大手ゼネコン系の会社に入社し、ブルドーザーやバックホーンなどを操縦していたのだが、何を思ったのか心機一転、猛勉強し始め、1級ーー管理者とか数多くの資格をとり、管理職のポストを得て数多くの下請け会社を傘下に置く役職につき、公共工事の進捗状況を管理指導する立場になった。もちろん、工事現場の労働者と接することも日常茶飯事だった。世の中には、不思議なことがあるものである。奇縁と呼んでもいいかな。人生の悪戯というか運命の巡り合わせとでも言うべきか、倒産してしまったO工務店の社長と奥さんが日雇い労働者として老体に鞭打ちながら、弟の管理する工事現場で働くことになったそうです。その話を聞いたときに、小学生の頃、多くの農家の女たちに混じって、工事現場で母親がスコップやツルハシを握っていた姿を一瞬、思い出した。運命の皮肉を感じた。
私は、それほど経済的に恵まれた家庭環境ではなかったが、人生の悲哀というか人の痛みというのは、多少なりとも原体験レベルで、共通理解できる人間の部類に属していると思っている。
備忘録として書き留めました。
いまでは年老いて、背中も曲がってしまった母も、若い頃、現金目当て、所謂日銭稼ぎで、私の生まれた田舎町ではその当時、大金持ちの御大臣様といわれていた会社、O工務店で、日雇い労働者の役回りをしていたことをぼんやりと記憶している。
O工務店には、中学生の時同じクラスメートでTさんというとても素敵な女性がおり、副委員長をしていて成績も良かった。その後、Tさんは東京方面の大学に進学し、1、2度、街なかで偶然お会いした。艶やかな着物姿でとても幸せそうな様子でした。
それから数年後、業績を順調に伸ばしていたO工務店は、多額の負債を抱えて倒産してしまった。その会社もTさんの自宅もすべて更地になってしまい、Tさんの消息は不明…
私の弟は卒業後、お国関係の仕事に数年奉公したあと、ある大手ゼネコン系の会社に入社し、ブルドーザーやバックホーンなどを操縦していたのだが、何を思ったのか心機一転、猛勉強し始め、1級ーー管理者とか数多くの資格をとり、管理職のポストを得て数多くの下請け会社を傘下に置く役職につき、公共工事の進捗状況を管理指導する立場になった。もちろん、工事現場の労働者と接することも日常茶飯事だった。世の中には、不思議なことがあるものである。奇縁と呼んでもいいかな。人生の悪戯というか運命の巡り合わせとでも言うべきか、倒産してしまったO工務店の社長と奥さんが日雇い労働者として老体に鞭打ちながら、弟の管理する工事現場で働くことになったそうです。その話を聞いたときに、小学生の頃、多くの農家の女たちに混じって、工事現場で母親がスコップやツルハシを握っていた姿を一瞬、思い出した。運命の皮肉を感じた。
私は、それほど経済的に恵まれた家庭環境ではなかったが、人生の悲哀というか人の痛みというのは、多少なりとも原体験レベルで、共通理解できる人間の部類に属していると思っている。
備忘録として書き留めました。