大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

雑感 6

2009-06-16 14:00:00 | 日記



空を眺めて 一日暮らした
空の中には 空だけあった

    ある詩人の言葉

---------------
ぽっかり心のなかに穴があいたような奇妙な感覚。
それを空虚というのかもしれない。
もしくは疎外感というのかな。

このところ、放心状態に近い日々が続いたのですけど
なんとか気力が回復しつつある

まず、生きている、生かされていることに感謝してみる。
そんな風に心をコントロールしてみる。
そうするとなんとなく生きる勇気が湧いてくる。
どんなに気が重く体がだるくても、朝目が覚めた時しあわせだなぁと思ってみる。
正座して、信念に生きると心の中で反芻する。感謝の気持ちを何度も繰り返す。
嫌なことさえも感謝に切り替える。いつの間にか心が晴れてくる。

旭川にて 2(川村カ子トアイヌ記念館)

2009-06-15 16:48:23 | 旅行
先日時間がありましたので以前も訪れたことのある『川村カ子トアイヌ記念館』に行ってきました。

                  
                               川村カ子トアイヌ記念館
                               

記念館にAYNU(アイヌ)の説明があったので、紹介させていただきます。

『AYNU(アイヌ)』
アイヌとは「神」に対して「人間」という意味である。また、女性に対して「男性」、子に対して「父親」の意味もある。名前に付けるときは、立派な男性にのみ許される。民族名称として用いられるようになったのは明治以降である。アイヌ自らは、ヤウンクルと称した。日本人とは異なる文化を持った民族である。狩猟、採集、漁撈、交易を生活の術とした。
                 
                  
                                 復元したアイヌの家

         
                                                   展示品の一部

旭川にて

2009-06-14 07:00:00 | 旅行


何年か振りで旭川に立ち寄り、Kさんにお会いしました。
Kさんは、小熊秀雄の研究を集中的にされているとのこと。尊敬すべき人生の大先輩です。
数年に一度、テーマを決めて著書を発行されており、北海道を代表する優れた論客だとわたしはいつも思っています。
Kさんはクラシック音楽に大変精通されている方で、絵画の優れたコレクターでもあり、一言でいうと知性に満ちあふれた教養人ですね。
小熊秀雄の油彩をぼくもつい最近手に入れた経過を、Kさんにちょっとだけお伝えしました。
Kさんがこれから出版予定の小熊秀雄研究書は、いままでの小熊秀雄研究とはひと味違って、新たな角度から光が当てられる予感がしてとても楽しみです。Kさん、いつまでもお元気でいてくださいね。



空港へ向かう途中、三浦綾子記念文学館の看板が目に入ったので、いつもの通り、興味津々でふらっと立ち寄りました。だいぶ前に『塩狩峠』を読んだことがあり、いい機会でしたので展示されている著書と自筆の原稿を読ませてもらいました。すばらしい小説家であり、優れた人格者であることを思い知らされました。
『生きること ゆるすこと』という本と、『綾子・光世 響き合う言葉』(三浦綾子・三浦光世著/北海道新聞社)の2冊を買い求め、帰りの機内で読ませていただきましたが、上手く言葉に言い表すことができないくらい深遠な思想というか哲学を体感させていただきました。
『綾子・光世 響き合う言葉』という本は最新刊で、今年の4月に発売されたそうですが、表紙を開くと三浦光世さんの自筆で「愛は高ぶらない(聖書)」と記されておりました。また、『生きること ゆるすこと』という本の見開きにも「知恵は宝石にまさる」と三浦光世さんの自筆で書かれており、しみじみいい言葉だなぁと思いました。どちらもとてもいい本ですので、とりあえず10回くらい読んでみようかと思います。


  いずれにせよ、人生の一大事になればなるほど、
  資格証明は出ないから、お互いに失敗したり、
  傷つけ合ったりして、惨憺たる人生を送る。
  自由意志を与えられた人間の悲劇である。
  「自分には愛される資格はない、と言える人のみが
  愛される資格を持っている」
  と言った人があった。含蓄深い言葉である。
   ----------
  人生には確かに耐え難い苦難がある。
  しかしそれだけ尚のこと、
  感謝の種を数えて行きぬく者でありたいと
  思うのである。

  (三浦綾子のことば)

知床にて 2

2009-06-13 07:00:00 | 旅行


飛行機に乗るまでちょっと時間があったので、知床五湖巡りをしました。
少し小雨まじりでしたが、観光客もまばらな感じで、てくてく湖を眺めては、携帯で写真を撮りました。
とても水深が深く、湧水で誕生した湖らしいです。



知床五湖巡りをしていて、森のなかを歩いていたら、大木が枯れて根っこを歩道のほうに向けながら倒れていました。
根っこの直径は約2メートルくらいあり、あるアーティストの作品を思い出しました。



これは大木が横に倒れている光景で、自然界の儚さというか生命の終わりを象徴していて、ふと人生の散歩道という言葉が浮かんできました。



知床五湖巡りを熊にも遭遇せず無事終えて、親戚の方にお礼を述べ、旭川方面に向かいました。
約5時間の車の運転は、ちょっときつかったのですが、夜、旭川に無事到着しました。

知床にて

2009-06-12 19:00:00 | 旅行
   


オホーツク海を左手に眺めながら、海岸線沿いにひたすら車を走らせました。
親戚の好意で岩尾別温泉を目指しました。夜の7時すぎの知床半島の風景です。
   


時計の針が7時を回っていたのですが、まだ少し明るくて、知床岳から羅臼岳までの風景がとてもきれいでした。
知床国立公園内にある『ホテル 地の涯(ちのはて)』(TEL 01522-4-2331)は、羅臼岳の登山口にあり、5月から10月末まで約半年間の営業で、一昨年の11月に訪れたときは休業中でした。大昔は、きっと地の果てだったんでしょうね。

 

地の涯温泉のお風呂は、無色透明で写真では上手く伝えることができないのですが、森のなかをしばらく歩き、少し急な坂道を下って行くと、三つの露天風呂があり、大自然のなかでお湯に浸かることができ、温泉好きには、きっとたまらないと思います。個人的には、内風呂のほうが身体の芯から温まることができて、ナイス! ですね。
そうそう、露天風呂の岩場に長さ1メートルくらいの蛇の抜け殻があり、ギョッとしました(たまげましたね)。
ツイてるかも!


レッドカード  村上隆君

2009-06-11 07:00:00 | 美術
 ちょっと気になる村上隆君の話をしたいと思います。『芸術起業論』という本(以下この本)を3、4回ほど読んでみて率直に思うことは、村上隆君は自分では『芸術家』を自称しているが僕はちょっと違うんじゃないかな、本道を歩いている芸術家ではないんじゃないかな、と思っています。これは言い過ぎかな、、、彼の主張は「そうだよね、わかるよ。でもね、、、」という感じですね。この本の中で彼は、自らの芸術論を彼なりの理論付けと言うか体系付けながら、荒唐無稽な珍論文を書いてはいるけれども、”?”というか、疑問に思うことが多々あるように見受けられます。彼は彼なりに四年間の歳月をかけてこの本を制作したみたいですから、僕も四年以上の時間をかけて自分なりの芸術に対する『考え方の形』をこれからじっくり提示しようかなと思案しています。彼に何度かお会いする機会がありました。あるお店でたまたまお会いしたので、いい機会でしたからこの本について僕の考えというか感想(書評)をちょっとだけ述べたら、彼は「批判しないでください。」と僕に悲しそうな顔でぼそっとつぶやきました。その場にはロサンゼルスのブルム&ポーのディレクターお二人の姿もありました。その中の一人、ティム君はパーソンズのウィークエンドミュージアム、及びマーズギャラリー時代からの知り合いで久方ぶりに対面したのですけど、ティム君はしっかりと僕のことを覚えていて旧交をあたためあいました。
 ちょっと話が前後しますが、かなり昔、僕はティム君に「君はどんなテイストの作品が好きなの?」と質問したことがあり、その時の彼は「『ロ二・ホーン(roni horn)』という作家が好きだ」と返答したっけ。「じゃあ、奈良美智君や村上隆君の作品をどうして扱うの?」とすかさず聞いてみたら、ティム君は「彼らの作品は好きじゃないけど売れるから扱うんだよ」と商人として優等生らしい返事。明解かつごもっともな回答でした。奈良美智君も村上隆君も今ではある意味、日本を代表する『国民作家』として世界で評価というか持ち上げられています、、、
 
 少し横道にそれたかもしれないですけど、村上隆君に話を戻せば、彼は、もしも『芸術家』の中に真者と偽者というものがいるとするなら、僕は村上隆君は間違いなく、後ろの方に分類できる人だと思いますね。ま、いずれ、歴史が証明すると予言します。日本のアートディーラーで芸術起業論を読んでない人はいないことを前提にして、少し話そうと思います。例えば、第三章のP178の『アートシーンのない日本において、いちばん大衆に近い段階から新しいゲームのルールを作っていこうと考えました。新しい形のアーティストの輩出や、ギャラリーを介在させない形でのお客さんの開拓はできないものだろうか、と。』の箇所についてなんらかの異議を申し立てている、或いは声を大にして村上隆君を真正面から批判したアートディーラーは、寡聞にして僕は知らない。アートディーラーという職業にプライドと見識があるなら、はっきりと彼に「ナンセンス」と異議を申し立てるべきだと思います。日本のアートディーラーは、お金になる、利益が出る、という単純細胞かつ短絡的な思考方法しかとらないのかなと思いますね。もしかしたら村上隆君を完全無視か相手にするほどの芸術家と思っていないかもー彼は彼なりにおよそ哲学とは呼べもしないような主張を並べながら、自らの『迷妄する世界観』で芸術論なるものを書いており、もしかしたら『自らの成功』を誇らしく思い「貧困からの脱却」を運良く計ったつもりなのかもしれないけれど、僕から言わせたら、薄っぺらな『虚の成功』でしかないと強く思います。今のところはそれ以上は触れません。
 
 僕は村上隆君のようにアートを専門に勉強してきた人間ではありませんが、VOCA展で村上隆君がその当時ちまたでは”賞金狙い”と揶揄されたVOCA賞に見事落選の作品、『二重螺旋を刺激すると聞き慣れた声が聞こえる』(1999年制作、サイズ250×399)をVOCA展終了後しばらくたってからKギャラリーを通して購入し、しばらくマイコレクションしていたことと、作品の売買契約書その他諸々の理由から、「レッドカード!!」の発言をする資格は多少あるかな、と思うんですけどね。明らかに「村上隆君、お山の大将気取りでなにか勘違いしているんじゃない!好き勝手にいい過ぎ、 やり過ぎだよ。苦しかった時代を思い出して、もっと謙虚に改心したら?はっきりいうけどレッドカードだよ!君!」でもこの本は僕に読んで欲しいから彼が書いた論文じゃないと解釈すれば別に大した話じゃないよね!


恩人

2009-06-10 18:23:28 | 日記
 
                     花は自らの美しさを知らず、されば奥ゆかし

 とても大切な恩人と永遠の別れを終え、明日オホーツクから東京に飛行機で戻ります。生まれて初めて読経の時に泣いているお坊さんを見ました。まるで自分の父親のように親しくお付き合いしていたそうです。生かされている命の重さをしんみりと法話で語ってくださり涙がとまりませんでした。全ての儀が終わり、生前一人暮らしをしていた部屋の壁に上掲の色紙がありました。徳の高いレベルで生涯を生き抜いた大恩人でした。
                  

                    

珈琲の旅

2009-06-09 17:26:00 | グルメ
 2000年5月14日、『長崎出島・珈琲フォーラム 珈琲事始め』で、標 交紀さんがパネリストとして参加された「珈琲カップから世界がみえる」という講演録の中から、標さんがお話ししているモロッコの旅の部分を紹介させていただきます。

---------------
 モロッコは、まったくお茶の国なのです。ですから、ほとんど珈琲は飲めなかった。それで、私はガイドを雇いまして、するとその、国で指定するガイドの免許を持っている人は、国の恥ずかしいところは絶対連れて行かないのです。ところが珈琲屋っていうのは、そんなにいいところにあるものじゃないのです。大体、どうしようもないところにあるのです。特にうまい珈琲屋というのは。それで、ガイドに一日連れて行ってもらっていたわけですが、そのうち珈琲の匂いで、惹かれる場所があったので、そっちに連れて行ってくれというと、ここから向こうは絶対にだめだと、そして、その日別れまして、その翌日にそのあたりをうろうろしてたんです。行こうか、行くまいか…。そしていったら私の後ろに乞食がいて、その彼が、なんか言うのです。で、俺はそこの珈琲屋に行きたいのだと…。ちょうど白い壁がずうっとつながっていまして、ちょうど人が入れるくらいの穴があいているのです。中は真っ暗なのです。だからそこまでは行くのですけど、ぱっと戻ってきちゃうのです、怖かったものですから…行っちゃいけない場所ですから。そこで、この乞食と一緒ならいいだろうと、そこで話をしたら、俺はよく行っている店だと。私も乞食とおんなじ格好をしていればよかったんですけど、一応きちんとしてるんです。で彼はだめだというのですけど、チップを大枚をはたいて、彼に連れて行っていただいたんです。
 で、入っていったのです、ワイフと一緒におそるおそる。ワイフは外で待っているといったんですが、待たしているほうが危ないから、一緒に入ると、真っ暗なんですね。でも、珈琲の香りは凄いんです。そして、目がだんだん慣れてきたら、それこそ穴のあいたテーブルと、ただ、座れるという椅子があって、またその白い壁の向こうに、何か見えるのです。それでふっと見たら、みんな寝てるんですよ、珈琲を飲みながら、そこのご主人が、しょうがないのが入ってきたなという顔をして、立ち上がってきたわけなんです。で、乞食の彼が、彼らは珈琲を一杯飲んだら出て行くって言ってるのでつくってやってくれって言ってるんです。で、ご主人が珈琲を作ってくれて、一杯目は汚いガラスのコップに入ってきて、ワイフは、絶対私は飲まないと、で、私は飲んだんです。これがまったく胸にしびれてくるような珈琲なんです。それでワイフに飲めと、で、そのときの私の顔と動作を見て、飲んだらもう一杯お代わりと、でも乞食はもうだめだだめだと、でももういっぱい飲んで、つくり方も見たいじゃないかと、で、ご主人は商売ですから、炭がこう、おきているところにイブリックを重ねて、で、私が興味を持って見てたもんだから、ご主人は天上を指すんです。ふっと見たら、もう古ぼけた、そこのご主人の若い頃の写真があったんです。美味しい珈琲店っていうのが30年位前に出たのでしょう、その新聞も飾ってあって、やっぱり美味しかったんだなあと。
 そして飲んで、そこで終わればいいところが、ふっと向こうを見たら、日本人がお酒を飲む枡が、山のように並んでるんです。あの枡はなんなのかと思っていたら、寝ながら珈琲を飲んでいるから珈琲がこぼれちゃうのです。で、珈琲のグラスを枡に入れて、珈琲をちびりちびりと飲んでいるのです。それで、私は間仕切りからは彼達のほうには入りきれなかったから、そこに枡をおいて、珈琲を置いて、写真を撮ったのです。そしたら彼らは、自分達の写真を撮ったと、で、私の胸ぐらをつかむので、そうじゃないと…、そこはそのご主人と乞食とでおさまったんです。で、それでやめればいいところを、また主人が器と一緒に俺を写真に撮れよといって撮った時に…ちょうど起き上がった方がいて、彼が写真を撮ったとものすごい剣幕で怒ってきて、ただ、私はイスラムの方は口じゃ凄いけど、絶対に手を出さないと知っていたので大丈夫だと思っていたら、何か胸から出した物があたって、私の顔から血が出てたんで、頭に来ちゃって、そいつを思いっきりひっぱたいちゃった。それで、ワイフと乞食の手を取って夢中になってホテルまで逃げたわけです。そんなことがありましたけど、そのときの珈琲は最高でした。(笑)

グルメぶりっこ 4(一杯の珈琲)

2009-06-08 17:20:59 | グルメ
 日本で最も美味しい琥珀色のコーヒーをたててくれた人として僕は標交紀さんのことを懐かしく思い出します。彼のたててくれたダイヤモンドのようなコーヒーはとても美味しく絶品だったなと思いますね。とても温厚な方で素敵な人柄でした。彼はNHKの”ウィークエンドサロン”という番組の中で珈琲について「味の世界というのはお金がいくらあっても造れないと思います。」と述べ、また「コーヒーの中で目立ちたがり屋の豆だとか、どうも控え目の豆だとか、味は全く馬鹿みたいな豆だとか、そういうコーヒーがあるんです。そういう馬鹿なコーヒーだけど、ちょっと入れることによって、他のコーヒーをグゥーと引き出させてくれて、おいしくさせてくれる豆があるんです。それをブレンドする。ひとつの味にしてから何回も何回も飲んで、お客様に出す前ですよ。そこでどっか飽きたら偽物だということなんです。それを何年間飲んでも「飽きないな、うまいな」って思って初めてメニューに値段をつけてお客様に提供する。これが私は大事だと思うんです。」と徹底した彼独自のこだわりの美学を披露しています。
 吉祥寺の井の頭公園への入り口ちょっと手前、坂の途中に自家焙煎店『もか』という喫茶店がありました。何年くらい通ったかな。風格のある店構えで数ある喫茶店のなかでチャンピオンというか、横綱と呼んでもいいお店だったんじゃないかなと思います。おそらく標さんのたててくれたコーヒーを目当てで、都内はもちろんのこと、日本中に標ファンがいたんじゃないかなって思います。彼が焙煎した「サンハラールモカ」と「アディナブレンド」のお豆を買い求めるのが至福の喜びでしたね。約2年前に亡くなられ、信じられない気持です。僕は標さんとは割と親しくおしゃべりさせてもらいました。標さんはおいしい珈琲を求めて世界中を旅行されたそうです。全存在をかけて、究極の珈琲を追い求め珈琲の達人として、美しい生涯を終えたのです。
                       

 明日、今は亡き標さんの旅のエピソード『長崎出島・珈琲フォーラム 珈琲事始め 講演録』の中で標さんがお話ししているモロッコの旅の部分を紹介させていただきます。とても痛快な話です。

読書について (浅学菲才な私 8)

2009-06-07 07:00:00 | 気になる本のこと
 最近読んだ本は、小林理子著『アイスランド紀行?氷と火の島から』と、斎藤一人さんの本を数冊読み、稲盛和夫さんの最新刊の本を2度ほど読み返しました。だいたい朝方、1、2時間で1、2冊を読み終えて、心の糧に、というか生きる指針に自戒の念を込めながら、ちょっと勉強したフリをしています。本を読み込むというのは、割と体力がいるというか精神を集中させなきゃいけないので、読み終えると心地よい疲れが感じられますね。気のせいかも…
 斎藤一人さんの『地球が天国になる話』という本(以下、この本)を久しぶりに読み返したのですが、コンプレックスについての洞察というか考え方が述べられていて、心底驚くべき洞察力というか目からウロコの連続ですね。さすがに日本一の大商人は、人間の本質というか本性について鋭く洞察しており、偉大な人だなと思います。もし悩んだり困難な事案を抱えている人がいたら、ぜひ読んでみたらいいです。銀座まるかんでは、斎藤一人さんの肉声による講演記録がCDになって発売されているので(もちろん利益は度外視されていてCD1枚100円です)、入手してみるといいですよ。何度も言うようですけど、わたしはこの話をCDで聴いて命拾いしましたので。何十回かCDでは聴いていたのですが、久しぶりに今朝、この本を読み返してみて、正直、読み込みが足りないことを痛感しました。2、3日中にしっかりと重要な箇所はノートを取ろうと思います。
 『齋藤孝のざっくり!日本史』(祥伝社)という本は、だいぶ以前に一度読んでいたのですが、改めてさあーっと読み返してみると、歴史の文脈を見つけていく上で、かなり重要なポイントを押さえており、独自の視点というかスタイルで鋭く本質を指摘していてとても有意義です。知識としては知っていても、歴史的な深い意味を理解できていない学生がとても多いと、齋藤さんは危惧します。
-----
 以下、齋藤孝さんのことば すごいと思えなければ、勉強ではない。すごいと思えることをひとつではなく、三つそろえてみることが大事だと説きます。
人が話を面白いと感じる基準というのは三つあって、最初は、ほう!と感心するのですが、次にへぇ、なるほど!という感じになり、とどめは、これはたしかにすごい!と心底納得というか共感する、結論を言うと『きちんと腑に落ちる』。ワンツースリーの三重奏の知識が人間の限界というか許容範囲らしくて、齋藤さんが目指しているのは、「話を聞いた人が、聞いた話をもう一度自分の言葉で再生できるようにすること」だそうです。
 もし歴史の文脈を勉強したいなという気持のある方は、このざっくり!日本史の太字の部分だけでも流し読みするといいかもね。
 これから読もうと思っている本は、『アイスランド小史』(早稲田大学出版部)と、中村稔著『ヴァイオリニストの系譜』(音楽之友社)と、シャルル・ミュンシュ著『指揮者という仕事』(春秋社)という本は再読、寺山修司の初期作品集を4、5冊まとめ読みしようかなと思っています。あと諸々、お能関係の本を数冊読んだり眺めたりという感じですね。かけがいのない時間を工夫して、顔晴る(ガンバル!)よ!

グルメぶりっこ 3

2009-06-06 17:26:50 | グルメ
                  
                  
                  
                 (この写真の光景は改装する直前、記念撮影してみました。)


 この素敵なお寿司さんに何度足を運んだかよくは覚えていないけど、初めて暖簾をくぐって店の中を眺めた時はのけ反る位衝撃的でした。第一印象はスカッとしている、センス抜群!施主と大工さんの美学が貫かれており、格好良かったな!勿論S大将の人柄も申し分ない。Sさんの生い立ちを伺えば僕以上に苦労した経験があるかも知れない人物である。2004 年12月に銀座に進出してついこの間休業し全面改装中です。正直もったいないなと僕は思うけどSさんの決意は固く強い職人の意地というか凄みを感じ恐れ入りました。このお店には楽しいエピソードがいくつもあります。近々今までとは全く違ったSさんのこだわり抜いた宇宙が完成し披露されるとのこと。時々金槌の音が聞こえくる。楽しみにしているね。


備忘録 1

2009-06-05 17:45:00 | プロフィール
 小学生の頃、公共工事といえば、ある冬の道路工事のことを思い出す。その頃の農村というか田舎町では、農閑期に農家の女たちは、現金収入が目当てで間違いなく日当が出るというので、冬の厳しい寒さの中、道路の整備、たしか砂利を引いてその上からアスファルト舗装する作業を人海戦術で行っていた。ずいぶん昔の話です。最近は、大型ブルドーザーやコンクリートミキサー、最新鋭の工作機械がいろいろ開発されており、少人数で効率のよい道路工事が実現可能になったことを思うと、隔世の感がする。

 いまでは年老いて、背中も曲がってしまった母も、若い頃、現金目当て、所謂日銭稼ぎで、私の生まれた田舎町ではその当時、大金持ちの御大臣様といわれていた会社、O工務店で、日雇い労働者の役回りをしていたことをぼんやりと記憶している。
 O工務店には、中学生の時同じクラスメートでTさんというとても素敵な女性がおり、副委員長をしていて成績も良かった。その後、Tさんは東京方面の大学に進学し、1、2度、街なかで偶然お会いした。艶やかな着物姿でとても幸せそうな様子でした。
 それから数年後、業績を順調に伸ばしていたO工務店は、多額の負債を抱えて倒産してしまった。その会社もTさんの自宅もすべて更地になってしまい、Tさんの消息は不明…

 私の弟は卒業後、お国関係の仕事に数年奉公したあと、ある大手ゼネコン系の会社に入社し、ブルドーザーやバックホーンなどを操縦していたのだが、何を思ったのか心機一転、猛勉強し始め、1級ーー管理者とか数多くの資格をとり、管理職のポストを得て数多くの下請け会社を傘下に置く役職につき、公共工事の進捗状況を管理指導する立場になった。もちろん、工事現場の労働者と接することも日常茶飯事だった。世の中には、不思議なことがあるものである。奇縁と呼んでもいいかな。人生の悪戯というか運命の巡り合わせとでも言うべきか、倒産してしまったO工務店の社長と奥さんが日雇い労働者として老体に鞭打ちながら、弟の管理する工事現場で働くことになったそうです。その話を聞いたときに、小学生の頃、多くの農家の女たちに混じって、工事現場で母親がスコップやツルハシを握っていた姿を一瞬、思い出した。運命の皮肉を感じた。

 私は、それほど経済的に恵まれた家庭環境ではなかったが、人生の悲哀というか人の痛みというのは、多少なりとも原体験レベルで、共通理解できる人間の部類に属していると思っている。
 備忘録として書き留めました。

雑感 5

2009-06-04 15:51:35 | 日記
 時々お金持ちと時間持ち はどちらがいいか、偉いのかと自問する事がある。でもこのような問いのたて方はちょっと間違っているように思われる。確かにお金も時間もあれば理想的な幸せの形と言えるかもしれないけど世の中で最も大切なのは、通俗的な言い方ですが、いかに豊かな心を持っているか、ということといい友達に恵まれているかということじゃないかなぁ!そんなふうに想いながら暮らしています。(笑)


雑感 4 (ある遊園地の話)

2009-06-03 18:53:13 | 日記
 一昨年の夏頃の話です。実際にあった話ですが慎重に文字を選んで文章を綴ります。お許し下さい。群馬からお母さんと一緒に小学校の女の子が浦安の有名な大人も子供も楽しめると言われている大アミューズメントテーマパークを遊びに行った時に発生した出来事についてです。女の子がトイレにはいったのですが、その時にお母さんは外で待っていたのだそうです。いくら我が子を待っていてもでてこないのでテーマパークの係員に急いで知らせたそうです。設置されている監視カメラのモニターをじーっと見ていたら若い男が二人で、女の子を背負いながらテーマパークを出ようとしていたそうです。髪の毛はばっさりと切られていたのですが、朝女の子にはかせてあげた靴下の模様をお母さんはしっかりと記憶していたので、その靴下がきっかけで二人組の男は御用になり、女の子は間一髪命拾いしたそうです。この話をたまたま群馬のおまわりさんがある会合で、「こんな事件」が千葉県の浦安であったことを紹介し、ある方面の関係者に十分に注意を喚起するように求めたそうです。その会合にいた人は学校関係者の方々もいたのですが、「こんな事件が起こるなんて怖くて仕方ない」と血相を変えて憤慨していたそうです。「この事件」はマスコミには一切話題にものぼらず内々で処理されたのですが、ここから読み取れることはT・Dィーズニーランドと浦安のおまわりさんの上層部の間では何らかの公にできない密約があったのではないかと思われます。お縄になった若い二人組の背後には大きな闇の組織が介在していて、金銭で雇われた二人組は節度も節操も何もないレベルの人たちです。私はこの件に関して何人かのマスコミ関係者にしゃべってしまいましたけれどもなんらの話題にもなりませんでした。あやうくミッシングになる寸前に救出された女の子は運がよかったと思います。でもこの様な氷山の一角というか表沙汰にならない闇に葬られる事件が日本中の津々浦々で行われているのではないかと思うと日本はある意味、堕落した真の『危険国家』とよばれても仕方がないんじゃないでしょうかね。
 余談ですがこの少女の『誘拐未遂』の真の目的は何だったと思いますか?どうも海外での臓器売買が目当てだったようです。海外でも類似の事件が頻発しているみたいですが、日本人の子供の内臓は第三世界の子供と比べてとても綺麗な状態なんだそうです。つまり、人気というか需要があるそうです。これから夏休みに向かうので注意というか常日頃の用心を怠らないようにしたいものですね。前からずぅーと気になっており、いつか話そう話そうと思っていて思い切って今日正直に概略だけをお知らせすることができて、やっと胸のつかえがとれました。

追伸
つい今しがた、10数年来の雑誌編集部の知人から雑感4 の件で電話がありTDランドがひた隠しにしており東京の一部の人々は事件が起こったことを知っているよとのことでした。貴重な情報提供ありがとうございます。6月4日4時現在


浅学菲才な私 7(中村天風さん イ )

2009-06-02 19:00:00 | 日記
 中村天風さんのこと

 暦は水無月、数日前に全く予期していないある出来事が生じてしまいました。いずれ詳細はお知らせしたいと思いますが、、、

 相も変わらず読書第一、第二は秘密、第三が仕事という優先順位で毎日ゆったりとマイペースで生きているのですが、自称“読書人階級”の一員として、顔晴って(がんばって)います。中村天風さんの『成功の実現』(以下『この本』とします)を5回目にトライしています。100回読む予定ですので、100m短距離走に例えるとスタートラインからまだわずか5mしか前に進んでいないわけですね。この本の存在を知ったそもそものきっかけは、江戸川区にある『読書のすすめ』というちょっと気になる名前の書店の主人が自分の著書のなかで、この本を強く推薦していて、100回読む気力のない人は『この本』を別に買わなくてもいい、というような挑発的というかちょっとユーモラスな持論を展開していて、ついつい面白がって買ってしまったことが”100回読み”というチャレンジにいたっているわけです。あと95m、先が長いですね。(誰か100回この本読んだ人いるのかな?)

 中村天風さんの略歴は凄くて、波瀾万丈というか壮絶な生涯、一言ではとても表現することができない凄まじい生き方について、もし興味のある方は、本屋さんで中村天風さんの本を見かけたらどんな本でもいいですから、是非一度手に取ってみて下さいね。各界の著名人というか名士はもちろんのこと、信じられないくらい数多くの人々にいろんな意味で計り知れない影響を与え続けている方だと思います。(中村天風会というのが護国寺にありますよ。)
 念のため、私見をちょっとだけ申し上げると、中村天風さんの若き青春時代の素行はいただけませんね。彼が実業家を辞してからの生き方が断然光り輝いています。とても深淵な思想というか哲学めいたものを掘り下げていく、というか人生を極め続けた賢人としてこれからも歴史に残る偉人だと思いますね。

(つづく・・・)
----------
少しだけ中村天風さんのことばを紹介させてください。

 こころ (『成功の実現』より)

 「箱根山、駕篭に乗る人かつぐ人、してまた、その草鞋をつくる人」。この世の中はもち合いです。ところが、因縁あって知り合いになったという不思議なあいだがらで喧嘩している奴がいるんですね、喧嘩する人間ぐらい下等な奴はないぜ。

 「犬畜生でさえ同じ家庭に育てられると喧嘩はしないんだ。それが人間同士で「あん畜生、おれの顔を見やがって、眼(がん)つけやがった」とか、「あの野郎の言うことが癪にさわる」とかで喧嘩する奴は、犬畜生にも劣った奴だよ。

 それを考えてみたら、お互いみんな世の中は助け合い。だから、かりそめにも自分の気持ちのなかに、あの人が憎いとか、あの人が気に入らないとか思っている人がいたら、その人は悪魔ですぜ。人間の世界に憎む相手はないはずなんです。すべてはみんな自分と同じに考えなければだめなんですよ。もしも自分を人が憎んだらどうなるか考えてごらん。

 どんな場合があっても、すべてが自分と同じ人だと思って、生きている命に対して敬意をはらって、たとえ向こうがどう出てこようと、こっちはあくまでも菩薩観音の気持ちで人生に生きなければ嘘よ。自分の気持ちのなかをすさびたものにしてはいけない。自分の気持ちというものは、自分の命を守ってくれる心のなかから出ているということを考えてみたら、その心を大事にしなければ。この世の中に自分を守ってくれる人間に足蹴をしたり唾をひっかける者はいないだろう。心が自分の命を守っているんだ。尊いものなんだ。
 だから、常にできるだけにこやかな人生に生きて、何ごとに対しても感謝を先にして、そして喜びの人生を生きなさい。そうすると、この世の中、変わっちまうんですよ。何という、ほんとうに明るいうれしい、光明の輝く世の中だろうというふうに。宗教も何にも信じる必要ないんだもの。人生は心ひとつの置きどころ。




在りし日の中村天風氏