Oggi che cosa hai fatto?

なんとなくな毎日

お盆の思い出

2016-08-13 21:59:11 | Weblog
小さい頃から、親戚や大人の集まる場所には「いやでも」「退屈」でも連れて行かれていたように思います。


それは大体が、祖父母の家。

お盆の季節になると、親戚中が集まってきて、広間に取り寄せた料理や祖母が付けた寿司やら、郷土料理のそうめんの皿鉢が並びました。

あまりに大勢なので、池に向かって座っている後ろ姿の男性を父だと思い抱き付いたら、
振りかった顔がまーーーたく知らない人だったので、泣きだしたり。 今だにあのおじちゃんは、どの関係だった人なのか分かっていません。 笑

今思えば、祖父母の家は風流な造りで、池の周りを囲むように廊下があり、池の反対側には風呂場やトイレ、祖父の書斎のような部屋がありました。

賑やかな座敷とは対照的に、池の向こう側の部分は暗く静かで、大人たちの会話に退屈すると、あっち側の部屋に冒険にいっていました。
小さい頃の私には、神秘的で電気の消えた暗い「向こう側」はドキドキするような場所だったのです。

渡り廊下を渡ると、右に風呂、左にトイレ、さらに奥に進むと2階へ続く階段。 
2階にある部屋は、母が独身の頃使っていたとか、あの当時には家具はなにもなく、隅に木彫りの鮭を加えた熊がありました。なぜか。

それから下に降りて、さらに奥にすすむと・・。 
確か、母からも行ってはいけないと言われていたように思います。 だから、とっても気にはなるし、怖くもあり。
時々こっそりのぞくと、小さな窓の向こうの緑と、そこから入る日の光と二宮金次郎さんの象のシルエットがみえました。

祖父がいる時についていくと、祖父はいいよと入れてくれ「これは二宮金次郎と言う人で」とどれだけ偉人かを教えてくれました。

庭にはもう一つ別の小さな池があって、その後ろには短い遊歩道と築山があり、夕方になると祖父が所々に置いてある石灯籠に灯を入れて回ります。 その池の向こうには小さなが倉があって、母は新婚当初、家ができるまでそこで暮らしていたとか。 池を巡る小道の灯篭や狸の置物、そして蔵にたどり着くコースも私には、ワクワクするような冒険でした。 
今思えば、そんなに広い物でも特別なものでもないのですが、小さい頃の私には何か沢山のものが見えた祖父の庭でした。

なぜか、妙に祖父母の家が懐かしくなったお盆です。


コメント    この記事についてブログを書く
« 高野豆腐 | トップ | Next »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。