今日はお弁当作る必要もないのに、いつも通り目がさめてしまって・・・・。
なんとなくベットの中でつらつら考えていたこと。
今まで生きてきた経験とか、団体で子どもと接する機会が多いので、気がついたことですが、愛されてるという気持ち(子ども本人は気がついてないと思いますが)それが安心感になって、素直な伸び伸びした子どもを育てているように、日頃感じています。
後から言うのはあまり好きではありませんが、昨日の女子フィギュアも歴史に残るような華麗な闘いでしたが、コーチが対照的だったなぁと思います。
ショートで真央ちゃんの後に演技をするキム・ヨナに対するコーチ。
とても穏やかで愛情のある瞳で、ただキム・ヨナを見守っていたのが印象的です。
見ているほうも、安心感を覚えました。
それに対して、昨日のフリーでは、真央ちゃんはキム・ヨナの演技後の大歓声をイヤホンの音楽で消しながら、1人で振り払うように見えました。
それでなくても、タラソワコーチのイメージは、アグレッシブで権威主義的で、威圧的なのに・・・・。
私が教えてるんだからっ」という暗黙のプレッシャーを見ているだけで感じてしまうのに。
1人でプレッシャーを振り払うように、リンクに飛び出して行った真央ちゃん。
もしあの時、キム・ヨナを見守ったコーチのように、誰かが彼女の気持ちを抱きしめて、安心していいよと思わせてあげたなら・・・・と思ってしまうのです。
あの20点の点差は、コーチとのパートナーシップの違いではないかと・・・・・
もし「最初から気持ちで負けていた」と叱るなら、確かに叱咤激励したほうが気持ちが切り替わる場合もありますが・・・・・、でもまずはその気持ちを受け止めて、安心感という土台を築くことで、力強く伸びやかな演技ができるのではないかと・・・・・
人のことをあーだこーだと言うのは容易いことですが、敢て言ってみたくなりました。
なんとなくベットの中でつらつら考えていたこと。
今まで生きてきた経験とか、団体で子どもと接する機会が多いので、気がついたことですが、愛されてるという気持ち(子ども本人は気がついてないと思いますが)それが安心感になって、素直な伸び伸びした子どもを育てているように、日頃感じています。
後から言うのはあまり好きではありませんが、昨日の女子フィギュアも歴史に残るような華麗な闘いでしたが、コーチが対照的だったなぁと思います。
ショートで真央ちゃんの後に演技をするキム・ヨナに対するコーチ。
とても穏やかで愛情のある瞳で、ただキム・ヨナを見守っていたのが印象的です。
見ているほうも、安心感を覚えました。
それに対して、昨日のフリーでは、真央ちゃんはキム・ヨナの演技後の大歓声をイヤホンの音楽で消しながら、1人で振り払うように見えました。
それでなくても、タラソワコーチのイメージは、アグレッシブで権威主義的で、威圧的なのに・・・・。
私が教えてるんだからっ」という暗黙のプレッシャーを見ているだけで感じてしまうのに。
1人でプレッシャーを振り払うように、リンクに飛び出して行った真央ちゃん。
もしあの時、キム・ヨナを見守ったコーチのように、誰かが彼女の気持ちを抱きしめて、安心していいよと思わせてあげたなら・・・・と思ってしまうのです。
あの20点の点差は、コーチとのパートナーシップの違いではないかと・・・・・
もし「最初から気持ちで負けていた」と叱るなら、確かに叱咤激励したほうが気持ちが切り替わる場合もありますが・・・・・、でもまずはその気持ちを受け止めて、安心感という土台を築くことで、力強く伸びやかな演技ができるのではないかと・・・・・
人のことをあーだこーだと言うのは容易いことですが、敢て言ってみたくなりました。