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原材料は二条大麦、麦麹を使い、仕込み水は超軟水である尾鈴山系の伏流水を使用、樫の木の樽で3年から5年熟成、出来上がったアルコ-ル度40%の琥珀色の液体は、香り高くまろやかでブランデーのようです。
肴には、肉良し、魚良し、更に漬物でもチーズでも良い、肴を選ばない焼酎です。敢えて選ぶとすると、日本珍味五種のひとつ同じ九州、唐津の松浦漬が好きです。焼酎の味や香りを楽しむのに邪魔になりません。
百年の孤独が恒例となっている新年会がありますが、ビールや日本酒とチャンポンにしたり、ウーロン茶で割ったりするのを見ると悲しくなります。
陛下もご愛飲とのこの焼酎、やはり少しキザな飲み方をすべきでしょう。例えば、薪ストーブの柔らかい炎の前で、ロッキングチェアーに揺られながら、静かなジャズをBGMに、ちょっと難しい小説を手に、ロックで一人静かに飲む・・・キザ過ぎますか?
尾鈴山の話は、別の酒話で。
18.june.2008
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アスター、千日草、百日草2種、ケイトウの苗、総計約1,200本を植えました。作業の後のビールは、格別の美味さでした。開花が楽しみです。
18.june.2008
麻績村の下井堀地籍に、高さ80cm位の「嫁の泣き石」と「化粧井戸の址」があります。
『昔、善光寺街道を歩いて来た嫁入り行列が、この石の前を通り過ぎようとした時、突然嫁がこの石にしがみつき、嫁に行くのが嫌だと泣き崩れた。そしてしっかりと石に抱きつき、泣き続けてこの世を去ったという、悲しい伝説の石である。
それからの嫁入り行列は、この石の前は通らずに南側に迂回し、細い作場道(=農作業道)を300mほど歩くようになった。
迂回して街道に合流する地点には井戸があり、その水面に顔を映し乱れた化粧を直してから行列は進んだ。』・・・
長老渡辺先生の現地講義は、街道、伝説、神社・仏閣、古墳など幅広い内容で、善光寺街道筋で生きてきた人々の暮らしが目に浮かぶようでした。
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さて、この「嫁の泣き石」伝説、現代の農村にも通じるような気がします。
“農村へは嫁ぎたくない”=“農村の嫁不足”、それは当時の「農村の過酷な労働」よりも深刻な原因があると思います。
“嫁不足”と共に、なぜ“若者不足”なのか。各家庭が、そして地域が、自治体が、国が、今、最優先に考えるべきだと思います。原因が自分たちにあることも含めて。
山を守り、水を守り、農地を守り、食糧を生産し、人々が支えあい地域文化を守る、かつてはできた農村の当り前の生活が、今なぜ難しくなっているのでしょうか・・・。
農村には都会にない魅力が沢山あります。“若者が住みたくなる村、嫁の来たがる村”、実現に向けみんなで農村の魅力を掘り興そうではありませんか。