桐野利秋と龍馬暗殺 後編と、続・龍馬暗殺に黒幕はいたのか?の続きで、もしかしまして、近藤長次郎とライアンの娘 vol9の続きでもあるでしょうか。
NHK歴史秘話ヒストリア 「坂本龍馬 暗殺の瞬間に迫る~最新研究から描く幕末ミステリー~」、直前まで、見るつもりはなかったのですが、なんとなく見てしまいましたら、これがけっこう面白かったものですから、書きます。
いや、なにしろNHKのやること!ですし、文句がまるでない、というわけではないのですけれども、今回、珍しくこういう歴史バラエテイを見て、これは……!と、せつない気分になりましたのは、実際に龍馬を斬った京都見廻組の桂早之助に焦点をあて、代々二条城の門番を務めた同心、という下級幕臣の家に生まれた男の哀感によりそって作られていたからでしょう。
しかしこの話、もしかしたら以前になにかで読んだかも……、と首をかしげ、木村幸比古氏が出演しておられましたので、ご著書なんだろうとさがしてみました結果、 PHP新書の『龍馬暗殺の謎』だったとわかりました。
って、これ、読んでいたはずでしたのに、さっぱり内容を覚えていませんでしたっ!!!
理由はおそらく……、不愉快だったので、途中で読むのをやめた!!!から、です。
なにが不愉快って、龍馬暗殺薩摩藩黒幕説を否定するに際しまして、根拠のない桐野利秋(中村半次郎)への中傷を、以下のように書きなぐっておられるんですっ!!!(笑)
「半次郎は、本来文字が書けず、研究者の中でもこの日記の存在自体を疑問視する声もある。半次郎には、よく宴席で他人に金を支払い詩文を作ってもらったという話もある」
どこのなんという研究者が、半次郎は文字が書けないので日記の存在自体が疑問だと言っているんですの???
そして、どこのだれが、半次郎は宴席で他人に金を支払い詩文を作ってもらったという話をしているんでしょうか???
私、桐野については相当に調べたつもりですが、木村先生が書いておられるような話を、寡聞にしてまったく存じません。
いいかげんなことを書きちらして、信用できない御仁だわ、と思いまして、続きを読みませんでした。
注記 誤解のないように申し上げておきますが、明治になりまして桐野が揮毫したとされます漢詩軸などは、どうも本人が書いたのではないのではないか、と思われるものが多数あります。
そして、ちょっと本が出てきませんで、うろ覚えで書いてしまいますが、後年の聞き書き本『維新史の片鱗』で、有馬藤太は「桐野が揮毫を頼まれて面倒がっているとき代筆したのは自分」というようなことを言っておりますが、友人ですし、有馬は文官(司法省勤務)で、「自分は給料がよかった」とも言っていますので、金をもらって書いたとは、とても思えません。
有馬藤太もそうですが、中井弘にしましても、漢詩作が得意ですし、桐野には複数、そういう友人がおりました。桐野が西南戦争で戦死してから、あるいは有馬藤太や中井弘が、「桐野の書だということにすれば高く売れるぞっ!」と、偽造して売っていたりした……、かもしれません(笑)
さらに今回、この本の「はじめに」を読んでいて、思い出しました!
私、中西輝政と半藤一利の幕末史観で、中西輝正氏が「薩摩藩あるいは長州藩にとって邪魔だったのは龍馬で、もしかしたら西郷や大久保が命令を下していたかもしれません。蓋然性、利害関係だけでいえば『薩摩説』というのは合理的です」などとと、とんでも俗説講義をなさっている旨を書いたのですが、どなただったかが電話で「中西氏、それ、同じ京都の霊山の木村幸比古氏に聞いて、信じ込んだんじゃないかな」とおっしゃっていたのですが、その可能性は高そうです。以下のようなことを、書いておられましたわ。
「(黒幕)薩摩説は、薩長同盟を遵守し武力討幕にこだわる薩摩が、龍馬の無血による大政奉還を目障りとしていたことによっている」
たしかに、西郷と親密な関係にあった龍馬のほうも、「西郷は理解に苦しむところがある」と周囲にもらしていたという。
だ・か・ら・あっ!!! なんだかもう、言葉を無くしてしまいます。
桐野利秋と龍馬暗殺 前編に書いておりますが、欧州帰りで、討幕派の桐野(中村半次郎)と親しい薩摩脱藩の中井弘(桜洲)は、大政奉還の建白書に手を入れてまして(佐々木高行の日記・慶応3年6月24日「薩の脱生田中幸助来会、建白書を修正す」)、薩摩も大政奉還の建白に賛成したわけですし、そもそも、大政奉還と武力討幕は、対立するものではないんですね。
そこらへんのことにつきましては、もうずいぶん以前に、井上勲氏が『王政復古』という名著を書かれておりますし、先日ご紹介しました知野文哉氏の『「坂本龍馬」の誕生』でも、龍馬の立ち位置を詳細に追っていますが、龍馬は薩摩の目障りになりますようなことは、まったくもって、なにもしてはおりません。
知野氏がおっしゃっていますが、西郷の方が龍馬より早く、大政奉還について述べていたりもします。
龍馬がどういう場面で、誰に、「西郷は理解に苦しむところがある」ともらしていたのか、寡聞にしてまったく存じませんが、お願いですから、とんでも電波を放射なさらないでください、木村先生っ!!!
で、怒りのあまり私、木村先生が『龍馬暗殺の謎』におきまして、桂早之助に関してはよく調べられ、よいお仕事をなさっている!!!ということに、いまのいままで気づきませんでしたわ。
広瀬常と森有礼 美女ありき11を見ていただければわかるのですが、私、森有礼夫人・広瀬常の実家を掘り起こすにあたって、幕末の同心についてけっこう調べたんです。
同心って、現代でいえば、平の警察官、でしょうか。
才覚があれば、樋口一葉の両親のように、農民が駆け落ちしてお江戸で同心株を買う、なんてこともあったんですし、決して給料がよさそうではなく、その生活は庶民的、ですよね。
私、続・いろは丸と大洲と龍馬にも書いておりますが、昔から、なんで龍馬暗殺についてはうんざりするほど、本や雑誌、テレビ番組で取り上げられるのに、龍馬が寺田屋で同心二人を射殺していることには触れないんだろう、と思ってきました。
同心は、命令に従ってお仕事で出向いて、殺されたんです!!! 親は泣いたでしょうし、妻子もいたかもしれません。
かわいそうじゃありませんか。
今回のヒストリア、珍しく龍馬が同心を射殺したことに触れていまして、見廻組・今井信郎の口供書をもとに、かつて寺田屋で逃げられたがため、捕縛に向かったのであり、手に負えなければ斬る、という治安維持活動だった、としています。
だとすれば、そうとはっきり言っていたわけではないのですが、剣にすぐれて、見廻組に取り立てられました桂早之助は、同心仲間の無念の死を胸に抱いていたのではないのかと、思えるような描き方、でした。
そして、その早之助自身も、28才の若さで、鳥羽伏見に戦死します。
私、自分の祖先が佐幕藩だということもあるのかもしれませんが、なんかもう……、見ていて、せつなくなりました。
私が気に入らなかったのは、中岡慎太郎の描き方、です。
確かに谷干城は、「中岡は新撰組だろうと言っていた」というようなことを、後年語っているのですが、桐野利秋と龍馬暗殺 後編に出てまいります高松太郎のリアルタイムの書簡では、「知らない奴らだった」と言っているだけなんです。
まきぞえで殺されたのは事実なのでしょうけれども、あまりにも軽く描きすぎで、こちらもなんともせつないことのはずなのですが、先に逝った数多の同志たちへの思いを含め、慎太郎が抱いた無念を、ちゃんと伝えてくれては、いなかったんです。
で、龍馬です。
しめくくりに、『龍馬史』
(「龍馬史」が描く坂本龍馬参照)の磯田道史氏が出て参りまして、もしかして、NHKが無理矢理しゃべらせたのかなあ、という感じはあるんですが、「龍馬は新政権における徳川家の位置づけも考えていたので、皮肉にも龍馬暗殺で徳川は不利になったといえるかもしれない」というようなことを、しゃべっておられたのですが。
これも、ですね。知野氏の『「坂本龍馬」の誕生』で、懇切丁寧に解説してくださっています。
要するに、「龍馬が慶喜を内大臣に押していた」という話ではないのかと思うのですが、知野氏によれば、これ、龍馬がなにか書き残しているわけじゃありませんで、尾崎三良の回顧録を坂崎紫瀾が脚色した、だけのようなんですね。いろいろ人選も考えてみましたよ、という以上のことではなく、当時の龍馬の真意は、続・龍馬暗殺に黒幕はいたのか?で、私、「男爵安保清康自叙伝」の記述から推測しておりますが、これで見るかぎり龍馬は、薩長と土佐藩の間に立って困惑し、当然のことながら、徳川のことなんぞ他人事のようなんですけれど、ねえ。
で、最後にヒストリアは、日本を今一度せんたくいたし申候事 という龍馬の手紙の有名な言葉を持ち出しまして、その後に続く言葉から、龍馬は常に死を覚悟していた!と、中岡慎太郎は放っておきまして、龍馬だけ、感動を誘うような描き方をするんですね。
するんですけれども、しかし。
実は私、近藤長次郎とライアンの娘 vol9を書くまで、日本を今一度せんたくいたし申候事という言葉が出てきます龍馬の手紙を、ちゃんと読んだことがなかったんですけれども、これって、外国に日本を売った(と龍馬が思い込んだ)幕府の役人を殺して、幕府のそうじをし、狂犬攘夷に励んでいる長州を助けるんだっ!!!って、話なんですよねえ。
越前藩邸であきれられるような無茶苦茶過激なクーデターをやらなければっ!!! というのですから、そりゃあ、いくら命があっても足らないでしょう。
いや、しかし、龍馬はほんとうに愛嬌のある、いい手紙を書きますし、私、その無茶苦茶さかげんを、とってもかわいい!と、思います。彼の人柄が愛されたのは、ほんとうによくわかるのですが、やはり、ちょっと美化のしすぎじゃないんでしょうか。
まあ、坂崎紫瀾の龍馬像は強し、というだけのことなのかもしれないのですが、NHKのシナリオを書いている方は、実際の書簡を読んで、つい、ほほえましく笑ってしまったりは、しないんでしょうかしら、ねえ。
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NHK歴史秘話ヒストリア 「坂本龍馬 暗殺の瞬間に迫る~最新研究から描く幕末ミステリー~」、直前まで、見るつもりはなかったのですが、なんとなく見てしまいましたら、これがけっこう面白かったものですから、書きます。
いや、なにしろNHKのやること!ですし、文句がまるでない、というわけではないのですけれども、今回、珍しくこういう歴史バラエテイを見て、これは……!と、せつない気分になりましたのは、実際に龍馬を斬った京都見廻組の桂早之助に焦点をあて、代々二条城の門番を務めた同心、という下級幕臣の家に生まれた男の哀感によりそって作られていたからでしょう。
しかしこの話、もしかしたら以前になにかで読んだかも……、と首をかしげ、木村幸比古氏が出演しておられましたので、ご著書なんだろうとさがしてみました結果、 PHP新書の『龍馬暗殺の謎』だったとわかりました。
龍馬暗殺の謎 (PHP新書) | |
木村 幸比古 | |
PHP研究所 |
って、これ、読んでいたはずでしたのに、さっぱり内容を覚えていませんでしたっ!!!
理由はおそらく……、不愉快だったので、途中で読むのをやめた!!!から、です。
なにが不愉快って、龍馬暗殺薩摩藩黒幕説を否定するに際しまして、根拠のない桐野利秋(中村半次郎)への中傷を、以下のように書きなぐっておられるんですっ!!!(笑)
「半次郎は、本来文字が書けず、研究者の中でもこの日記の存在自体を疑問視する声もある。半次郎には、よく宴席で他人に金を支払い詩文を作ってもらったという話もある」
どこのなんという研究者が、半次郎は文字が書けないので日記の存在自体が疑問だと言っているんですの???
そして、どこのだれが、半次郎は宴席で他人に金を支払い詩文を作ってもらったという話をしているんでしょうか???
私、桐野については相当に調べたつもりですが、木村先生が書いておられるような話を、寡聞にしてまったく存じません。
いいかげんなことを書きちらして、信用できない御仁だわ、と思いまして、続きを読みませんでした。
注記 誤解のないように申し上げておきますが、明治になりまして桐野が揮毫したとされます漢詩軸などは、どうも本人が書いたのではないのではないか、と思われるものが多数あります。
そして、ちょっと本が出てきませんで、うろ覚えで書いてしまいますが、後年の聞き書き本『維新史の片鱗』で、有馬藤太は「桐野が揮毫を頼まれて面倒がっているとき代筆したのは自分」というようなことを言っておりますが、友人ですし、有馬は文官(司法省勤務)で、「自分は給料がよかった」とも言っていますので、金をもらって書いたとは、とても思えません。
有馬藤太もそうですが、中井弘にしましても、漢詩作が得意ですし、桐野には複数、そういう友人がおりました。桐野が西南戦争で戦死してから、あるいは有馬藤太や中井弘が、「桐野の書だということにすれば高く売れるぞっ!」と、偽造して売っていたりした……、かもしれません(笑)
さらに今回、この本の「はじめに」を読んでいて、思い出しました!
私、中西輝政と半藤一利の幕末史観で、中西輝正氏が「薩摩藩あるいは長州藩にとって邪魔だったのは龍馬で、もしかしたら西郷や大久保が命令を下していたかもしれません。蓋然性、利害関係だけでいえば『薩摩説』というのは合理的です」などとと、とんでも俗説講義をなさっている旨を書いたのですが、どなただったかが電話で「中西氏、それ、同じ京都の霊山の木村幸比古氏に聞いて、信じ込んだんじゃないかな」とおっしゃっていたのですが、その可能性は高そうです。以下のようなことを、書いておられましたわ。
「(黒幕)薩摩説は、薩長同盟を遵守し武力討幕にこだわる薩摩が、龍馬の無血による大政奉還を目障りとしていたことによっている」
たしかに、西郷と親密な関係にあった龍馬のほうも、「西郷は理解に苦しむところがある」と周囲にもらしていたという。
だ・か・ら・あっ!!! なんだかもう、言葉を無くしてしまいます。
桐野利秋と龍馬暗殺 前編に書いておりますが、欧州帰りで、討幕派の桐野(中村半次郎)と親しい薩摩脱藩の中井弘(桜洲)は、大政奉還の建白書に手を入れてまして(佐々木高行の日記・慶応3年6月24日「薩の脱生田中幸助来会、建白書を修正す」)、薩摩も大政奉還の建白に賛成したわけですし、そもそも、大政奉還と武力討幕は、対立するものではないんですね。
そこらへんのことにつきましては、もうずいぶん以前に、井上勲氏が『王政復古』という名著を書かれておりますし、先日ご紹介しました知野文哉氏の『「坂本龍馬」の誕生』でも、龍馬の立ち位置を詳細に追っていますが、龍馬は薩摩の目障りになりますようなことは、まったくもって、なにもしてはおりません。
知野氏がおっしゃっていますが、西郷の方が龍馬より早く、大政奉還について述べていたりもします。
龍馬がどういう場面で、誰に、「西郷は理解に苦しむところがある」ともらしていたのか、寡聞にしてまったく存じませんが、お願いですから、とんでも電波を放射なさらないでください、木村先生っ!!!
王政復古―慶応3年12月9日の政変 (中公新書) | |
井上 勲 | |
中央公論社 |
「坂本龍馬」の誕生: 船中八策と坂崎紫瀾 | |
知野 文哉 | |
人文書院 |
で、怒りのあまり私、木村先生が『龍馬暗殺の謎』におきまして、桂早之助に関してはよく調べられ、よいお仕事をなさっている!!!ということに、いまのいままで気づきませんでしたわ。
広瀬常と森有礼 美女ありき11を見ていただければわかるのですが、私、森有礼夫人・広瀬常の実家を掘り起こすにあたって、幕末の同心についてけっこう調べたんです。
同心って、現代でいえば、平の警察官、でしょうか。
才覚があれば、樋口一葉の両親のように、農民が駆け落ちしてお江戸で同心株を買う、なんてこともあったんですし、決して給料がよさそうではなく、その生活は庶民的、ですよね。
私、続・いろは丸と大洲と龍馬にも書いておりますが、昔から、なんで龍馬暗殺についてはうんざりするほど、本や雑誌、テレビ番組で取り上げられるのに、龍馬が寺田屋で同心二人を射殺していることには触れないんだろう、と思ってきました。
同心は、命令に従ってお仕事で出向いて、殺されたんです!!! 親は泣いたでしょうし、妻子もいたかもしれません。
かわいそうじゃありませんか。
今回のヒストリア、珍しく龍馬が同心を射殺したことに触れていまして、見廻組・今井信郎の口供書をもとに、かつて寺田屋で逃げられたがため、捕縛に向かったのであり、手に負えなければ斬る、という治安維持活動だった、としています。
だとすれば、そうとはっきり言っていたわけではないのですが、剣にすぐれて、見廻組に取り立てられました桂早之助は、同心仲間の無念の死を胸に抱いていたのではないのかと、思えるような描き方、でした。
そして、その早之助自身も、28才の若さで、鳥羽伏見に戦死します。
私、自分の祖先が佐幕藩だということもあるのかもしれませんが、なんかもう……、見ていて、せつなくなりました。
私が気に入らなかったのは、中岡慎太郎の描き方、です。
確かに谷干城は、「中岡は新撰組だろうと言っていた」というようなことを、後年語っているのですが、桐野利秋と龍馬暗殺 後編に出てまいります高松太郎のリアルタイムの書簡では、「知らない奴らだった」と言っているだけなんです。
まきぞえで殺されたのは事実なのでしょうけれども、あまりにも軽く描きすぎで、こちらもなんともせつないことのはずなのですが、先に逝った数多の同志たちへの思いを含め、慎太郎が抱いた無念を、ちゃんと伝えてくれては、いなかったんです。
で、龍馬です。
しめくくりに、『龍馬史』
(「龍馬史」が描く坂本龍馬参照)の磯田道史氏が出て参りまして、もしかして、NHKが無理矢理しゃべらせたのかなあ、という感じはあるんですが、「龍馬は新政権における徳川家の位置づけも考えていたので、皮肉にも龍馬暗殺で徳川は不利になったといえるかもしれない」というようなことを、しゃべっておられたのですが。
これも、ですね。知野氏の『「坂本龍馬」の誕生』で、懇切丁寧に解説してくださっています。
要するに、「龍馬が慶喜を内大臣に押していた」という話ではないのかと思うのですが、知野氏によれば、これ、龍馬がなにか書き残しているわけじゃありませんで、尾崎三良の回顧録を坂崎紫瀾が脚色した、だけのようなんですね。いろいろ人選も考えてみましたよ、という以上のことではなく、当時の龍馬の真意は、続・龍馬暗殺に黒幕はいたのか?で、私、「男爵安保清康自叙伝」の記述から推測しておりますが、これで見るかぎり龍馬は、薩長と土佐藩の間に立って困惑し、当然のことながら、徳川のことなんぞ他人事のようなんですけれど、ねえ。
で、最後にヒストリアは、日本を今一度せんたくいたし申候事 という龍馬の手紙の有名な言葉を持ち出しまして、その後に続く言葉から、龍馬は常に死を覚悟していた!と、中岡慎太郎は放っておきまして、龍馬だけ、感動を誘うような描き方をするんですね。
するんですけれども、しかし。
実は私、近藤長次郎とライアンの娘 vol9を書くまで、日本を今一度せんたくいたし申候事という言葉が出てきます龍馬の手紙を、ちゃんと読んだことがなかったんですけれども、これって、外国に日本を売った(と龍馬が思い込んだ)幕府の役人を殺して、幕府のそうじをし、狂犬攘夷に励んでいる長州を助けるんだっ!!!って、話なんですよねえ。
越前藩邸であきれられるような無茶苦茶過激なクーデターをやらなければっ!!! というのですから、そりゃあ、いくら命があっても足らないでしょう。
いや、しかし、龍馬はほんとうに愛嬌のある、いい手紙を書きますし、私、その無茶苦茶さかげんを、とってもかわいい!と、思います。彼の人柄が愛されたのは、ほんとうによくわかるのですが、やはり、ちょっと美化のしすぎじゃないんでしょうか。
まあ、坂崎紫瀾の龍馬像は強し、というだけのことなのかもしれないのですが、NHKのシナリオを書いている方は、実際の書簡を読んで、つい、ほほえましく笑ってしまったりは、しないんでしょうかしら、ねえ。
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