幕末維新はエリザベートの時代 vol1の続きです。
子供のころ、ディズニーアニメを見て、シンデレラの王子さまがなぜ軍服を着ているのか、不思議に思っていました。
戦前でしたら、日本でも皇族方の正装は軍服で、妃殿下はロープデコルテでしたから、なにも不思議がることはなかったんでしょうけれども、なにしろ私は、戦後生まれです。
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上の「シンデレラ」は、一昨年公開されたディズニー実写版なんですが、王子様の軍服がおとぎ話風に装飾され、勲章も肩章もありません。1950年公開のもともとのアニメの方は、上着が白でズボンが赤。肩章つきで、いかにも軍服なんです。
ディズニーアニメに遅れること4年、若き日のロミー・シュナイダーがシシィを演じて大ヒットしたオーストリア映画があります。「プリンセスシシー」です。
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この映画のフランツ・ヨーゼフ皇帝の衣装、ディズニーアニメ「シンデレラ」の王子さまの軍服によく似ているんですよね。
[Trailer]エリザベート 愛と悲しみの皇妃
「エリザベート 愛と悲しみの皇妃」は、2009年、イタリア・ドイツ・オーストリア共同製作のテレビドラマだそうですが、ここでもフランツは、白い上着に赤いズボンの軍服を着ていますから、オーストリア皇帝の軍服が、史実としてこの色だったんでしょうか。
そして、どの場合も、二人が手をとって舞踏会で踊るのはワルツです。
私、確か以前にも、19世紀とおとぎ話とワルツについて書いたような気がしたのですが、思い出しました! 19世紀の舞踏会とお城です! なんと10年以上前の記事で、モンブランの情報が欲しくて書いてたころですね。モンブランのことも、このときの疑問はほとんど解けたのですが、以下の部分。
老夫婦が、貧相な屋根裏部屋で、時代遅れの王朝風の鬘をかぶってメヌエットを踊り、それを月が影絵として映し出す、といった情景だったと記憶しているんですが、なにに書かれていたのか思い出せなくて、しばらく考えあぐねて、ふと、あれはアンデルセンの『絵のない絵本』ではなかったかと思ったのですが、記憶ちがいでしょうか。
私の記憶ちがいでした! モーパッサンの短編「メヌエット」だったんです。
19世紀、フランス革命も昔話となったパリのリュクサンブール公園で、前世紀の亡霊のように、優雅にメヌエットを踊る老夫妻を描いた、影絵のようなお話です。
そして、以下の部分。
舞踏会もまたそうでして、男女が抱き合った形で踊る円舞曲(ワルツ)は、王朝文化から見るならば、近代的で野卑なものであったわけなのですが、イメージからするならば、シンデレラが王子さまと踊るのはワルツですね。結局のところ、「玉の輿」は身分制度が崩れてこそ成り立ちますので、ここは『山猫』のように、ワルツでいいんでしょう。
実はこれを書きました前日、映画『山猫』の円舞曲を書き、古典舞踏を解説してくれていたサイトさんを紹介していたのですが、現在、消えています。
ワルツが近代的で野卑だといいますのは、言い換えれば、19世紀ヨーロッパはブルジョアの時代であり、ワルツはそれを代表する舞踏であって、決して王朝文化の産物ではない、ということです。
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さて、その映画「山猫」のワルツです。
バート・ランカスター演じるシチリアの大貴族・サリーナ公爵が、クラウディア・カルディナーレ演じる成り上がりのブルジョア娘・アンジェリカに誘われて、ワルツを踊ります。
アンジェリカは、サリーナ公爵の甥・タンクレディ(アラン・ドロン)の婚約者なのですが、タンクレディは、「変わらずに生き残るためにこそ、変わらなければならない」というモットーのもと、貴族階級に属しながら、イタリア統一運動の先頭に立ち、旧支配打破の戦闘に身を投じて、しかもほどのいいところで身を引き、新興ブルジョアの娘と婚約します。
サリーナ公爵は、甥の、あまり貴族的とはいえない、ぎらぎらとした変革と保身のエネルギーを容認し、伝統を壊すその婚約を擁護して、シチリアの貴族社会を黙らせるために、あえてアンジェリカと踊るのですが、それが、前世紀の貴族の価値観からすれば野卑な、しかし流行の最先端の感覚でいえば優美な、ワルツなのです。
山猫のアンジェリカは、新興ブルジョアの娘が旧貴族の御曹司と正規の結婚をするという意味において、18世紀にはありえなかったシンデレラですし、意識してかどうか、「プリンセスシシー」のシシィのドレスに似た、白いふわふわとしたクリノリンスタイルの衣装をまとっています。
実のところをいえば、シシィもシンデレラでしょう。
シシィの実家は、バイエルン王家の傍系です。
バイエルン王国誕生の話は、普仏戦争と前田正名 Vol7、普仏戦争と前田正名 Vol8に書いておりますが、バイエルン王国は、フランス革命とナポレオンの中欧席巻の中で生まれた、いわば新興国でした。
初代バイエルン王となりましたマクシミリアン1世は、当初、ナポレオンに協調して領土をひろげ、ナポレオン没落後も懸命の外交で、王国を保ちます。
またマクシミリアンには多くの子女があり、王女たちの結婚を、うまく外交に役立てることができました。
長女アウグステは、ナポレオンの養子・ウジェーヌ・ド・ボアルネと結婚。
三女カロリーネ・アウグステは、オーストリア皇帝フランツ1世の四度目の妃。
四女エリーザベト・ルドヴィカは、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世妃。子はできませんでしたが、およそ20年王妃の座にあり、シシィの名付け親となりました。
五女アマーリエ・アウグステは、ザクセン王ヨハン妃。
六女ゾフィが、オーストリア大公フランツ・カールの妻。姉の義子に嫁ぎ、皇帝フランツ・ヨーゼフを産みました。
七女マリア・アンナは、ザクセン王フリードリヒ・アウグスト2世の再婚の妃。つまり、姉の義兄に嫁いだわけです。
そして
八女マリア・ルドヴィカはバイエルン公爵マクシミリアンに嫁いで、シシィを産みました。
バイエルン公爵家は、日本でいえば明治時代の宮家のようなものでして、バイエルン王家からは数代血筋が離れていますが王位の継承権はあり、ルドヴィカは王女でありながら、いわば明治天皇の皇女たちが宮家に嫁いだと同じように、対等の身分とはいえない分家に嫁いだわけです。
若くして皇帝になりましたフランツ・ヨーゼフの母ゾフィは、数多い姉妹の嫁ぎ先から嫁をさがしていて、本命はプロイセン王家の娘でした。
しかし、ドイツ統一の盟主の座をオーストリア帝国と競っていましたプロイセンは、王族の婚姻関係でしばられることを嫌い、またプロイセン王妃エリーザベト・ルドヴィカには政治力が無く、断られました。
次善の候補が、シシィの姉・ヘレーネだったのですが、フランツ・ヨーゼフは、15歳のシシィの方を気に入り、結婚の運びとなります。
シシィとフランツ・ヨーゼフは、母方からいえばいとこで、本来ルドヴィカの思惑では、シシィはフランツの弟カール・ルートヴィヒにどうだろうということだったようでして、それならばつり合いがとれていたのですが、なにしろ相手は皇帝ですから、保守的なオーストリアの大貴族たちには、王女ではなく公爵家の娘では、と批判するむきもあり、シンデレラといえば確かにシンデレラ、でした。
しかし、映画「山猫」に即していうならば、です。
イタリア統一戦争当時の若きシシィは、その若さにもかかわらず、アンジェリカではなく、サリーナ公爵でした。
自分たちの滅びを見通し、「変わらずに生き残るためにこそ、変わらなければならない」とわかっていながら、保身のための転身には怖気をふるい、身の置き所に窮していたのではないかと、思えます。
「山猫」の舞台は、イタリア統一戦争時のシチリア。幕開けの1860年といえば、万延元年。横浜開港の翌年で、桜田門外の変が起こった年です。明治維新まで、あと8年。 と 映画『山猫』の円舞曲で書いたのですが、シシィは23歳、篤姫は24歳。
ともに激動をくぐりぬけました二人のシンデレラは、ともに滅びの側に身を置いていました。
直接、二人の人生がまじわることはありませんでしたけれども、30代、美貌を誇ったシシィは、宮中午餐会の席で、さる日本人の隣に座し、ちょっとびっくりするような問いを発しています。
ウィーン宮廷には、シーボルト一族も大きく関係していますし、もう少し、シシィの生涯を追ってみたいと思います。