郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

テレプシコーラ舞姫第2部

2009年01月09日 | 読書感想

 明けまして、おめでとうございます。
 って、ご挨拶、遅すぎでしょうか。
 さらに、書きかけのものをあまた放って、今日はちょっと、どうしても叫びたいことがありまして。
 トゥネラの舞姫の続きです。

テレプシコーラ/舞姫 第2部1 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)
山岸凉子
メディアファクトリー

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 テレプシコーラ第2部がはじまりまして、現在、コミックスででているのは上の1巻だけなのですが、最近、待ちきれないで、雑誌ダ・ヴィンチを買って、連載を読んでいます。
 主人公の六花は16になり、精神的にも成長して、ローザンヌに挑戦します。
 で、そのローザンヌで、中国系アメリカ人の天才的なバレリーナ、ローラ・チャンと出会うのですが。
 なんといううかつなことでしょう。
 私、今月号まで、まったく気づきませんでした。
 どうやら、ローラ・チャンは空美ちゃん!!!なんですっ。
 そう思って、「ローラ・チャン 空美」で検索をかけてみましたら、みなさん鋭い!!! 最初からそう思った方は、けっこういたみたいです。

 亡くなった姉さんがかつてコンクールで踊ったスワニルダを、ローラ・チャンが踊る。それを見ていた六花が「え? え!? こ この踊り… わたし… 見たことが…ある!?」と驚くところで、今月号は終わっているのですが、私は、これで初めて、あっ、ああ!!! 空美ちゃんだったんだあっ!!!と気づいたような次第でして。
 かつての醜いいじめられっ子が、とても美しくなっているのは、成長なのか整形なのかわかりませんが、空美の伯母は、落魄れてはいましたが、かつては海外で活躍していたプリマだったんですから、おそらく、なんですが、海外にもファンはいたでしょうし、例えば、元ファンだった中国系アメリカ人が、空美の才能を見込んで養女として引き取った、とか。

 まあ、ともかく、みなさんすごいですっ!!! 上のAmazonのカスタマレビューにも、すでに去年の夏、「オリエンタルビューティーは空美ではないか?」と書いている方がおられますね。


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日出処の天子

2008年01月21日 | 読書感想
日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)
山岸 凉子
白泉社

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 風邪が治りません。パソに向かい合うのもかったるく、えー、私のパソは馬鹿でかいPower Mac G5。寝床で見るわけにはいかないもので、失礼をしてしまっております。
 あー、関係ないですけど、近々発売予定のApple MacBook Air 13.3/1.6GHz Core 2 Duoが欲しい!!!
 去年、発売と同時にApple iPod touch 16GBを買ってしまった新物食いです。しかし、アップルの初物はどんな不具合があるやら怖いですし、MacBook Airはtouch とちがってものすごくいいお値段だし、さて、どうしたものですか。

 で、本日は「日出処の天子」です。風邪が治らないので、先週の金曜日に医者に行きまして、ついでに週刊新潮を買い、お薬を飲んで、寝床に入って、ぺらぺらとめくっておりました。そうしたら、

 ベルばら「池田理代子」の聖徳太子マンガに「盗作疑惑」が浮上

 という記事があったんです!
 いや、池田理代子氏の聖徳太子漫画は読んでないんですけど、見出しを見たとたんにピンと来ました。
 山岸凉子さんの「日出処の天子」は、私にとっては、少女漫画というより、すべての漫画の中で……、といいますか、おそらく日本古代史を素材とした小説、映画、TVドラマなどの創作物をすべて集めた中で、ぬきん出て衝撃を受けた作品で、好みのペスト1といえるものだったんです。
 それから数年後、同じく聖徳太子を主人公とする作品を池田理代子氏が書いたということは、週刊誌か新聞記事かで読んで、本屋でその本を見かけたんですけど、その表紙絵が、どこからどう見ても、「日出処の天子」を模倣したとしか思えないもので、「まあ、少女漫画にするとああならざるをえないのだろうか」と思いつつ、なにしろ池田さんの絵はバタ臭いですから、違和感を覚えて手にとる気にもならなかったのですが、「盗作疑惑」って、山岸さんの「日出処の天子」を盗作したってことだよねえ、と思ったら、やっぱりそうでした。
 しかし、なんでいまごろ? ということなんですが、池田理代子氏は去年、朝日新聞紙上で聖徳太子を語り、はっきりとわかる形で、「日出処の天子」を批判したんです。
 この記事を読んだ人々の間に波紋がひろがり、ネット上で池田理代子氏の方こそ盗作ではないのか、という批判が延々とくりひろげられ、ついに去年の暮れには、「あきらかな盗作だろう」という話になったというのです。
 いけません。みなさんに失礼をしながら、好奇心がおさえきれませんで、寝床からぬけだし、パソを立ち上げ、検索をかけてみました。
 批判は2ちゃんねるで行われていたらしいのですが、一発でまとめページが出てきまして、詳細に資料があげられていました。
 漫画『聖徳太子』(作 池田理代子)盗作疑惑検証サイト
 これは、朝日新聞のコラムの書き方そのものがよくないですわ。
 飛鳥をめぐる人物像、ということで、聖徳太子を取り上げ、池田氏の写真と彼女の描いた聖徳太子のカット(あきらかに山岸聖徳太子の模倣です)が載っています。

 池田は91年~94年、漫画「聖徳太子」を発表した。「ベルばら」から約20年たっていた。「太子の顔に特定のモデルはありません」。しかし、史実にまじめに向き合った。

 太子の顔に特定のモデルはありませんって、なに??? と私でも疑問を感じます。
 どう見ても、山岸聖徳太子に影響を受けているんです。
 史実にまじめに向き合ったって、飛鳥時代です。史料が少なすぎまして、なにが「史実」やら、学者にもわかりようがない、といいますか、史実とやらに忠実であるなら、学者によればああいう説もある、こういう説もあると列挙するしかなく、一つのストーリーにはならないんじゃないんでしょうか。
 以下、朝日のコラムから続いて引用です。

 東京教育大(現筑波大)の哲学科に学び、「学者になりたかった」という池田は、歴史を徹底的に掘り起こして作品にすることを信条とする。「ベルばら」の時は、断頭台に送られるマリー・アントワネットらを調べ上げた。

 ええ? そうなの?
 実を言うと、「ベルばら」は妹からコミックスを借りて読んだだけで、詳しくは覚えてないのですが、当時の私の印象では、
シュテファン・ツヴァイクの「マリー・アントワネット 」 (河出文庫)をベースに、といいますか、そのまんまの世界に、池田氏の想像上の人物であるオスカルとアンドレを置いて遊ばせた、ツヴァイク作品へのオマージュでした。
 ただ、ツヴァイクの「マリー・アントワネット」への傾倒ぶり、といいますか、その世界が好きでたまらない、という熱気が感じられましたし、戦後民主主義的な価値観のもとで育ちました私たち少女漫画の読者にとって、オスカルという架空の男装の麗人を出してきて、お姫様の世界に置きながら、最後の最後に革命軍の側に立たせる、というのは、少々通俗的にすぎる気はしますが、ツヴァイクが描くヨーロッパの過去の世界に、感情移入しやすくしてくれるうまい手だよなあ、と感心したのは覚えております。
 実際、中学生の私は、夏休みの宿題にツヴァイクで読書感想文を書こうとしたのですが、おそらくは教師から要求されるだろうと私が想定した価値観と、私の正直な感想の間に、大きな乖離があって、どうにもうまくまとめることができませんでした。
今でこそ、ロココと化政文化をくらべてみるとか、うまいごまかしようがあったろうに、と思うんですが。
 しかし、等身大のマリー・アントワネットで書きましたように、すでにツヴァイク描く「マリー・アントワネット」に、おそらくは池田氏とは少々ちがう感覚で夢中になっていた私にとっては、自分でコミックスを買って読むほどのものではなかったんです。
  以下、引用を続けます。

 大阪そだちの池田にとって、聖徳太子は身近すぎて作品の対象にならなかった。 飛鳥は父親の故郷で、子どもの頃から飛鳥に何度も来た。四天王寺、法隆寺など、太子ゆかりの寺にも親しんだ。 ところが、ある漫画家が、聖徳太子と蘇我毛人との霊的恋愛を描いた。 『違和感をおぼえました』 。池田は文献を読み、仏教学者の中村元らに助言を受けた。

 違和感をおぼえるのはいいんですが、この朝日のコラムの書き方だと、「日出処の天子」がろくに文献も読まず、史実を無視して描かれた作品だから違和感を覚えた、ということになりませんか?
 それどころか「日出処の天子」は、驚くほどあれこれ、文献を読み込んで練り上げられた作品です。
 読み込んだ上で、取捨選択し、山岸さん独自の世界が造りあげられているのです。
 「ベルばら」がツヴァイクの「マリー・アントワネット」に影響を受けて描かれたように、山岸さんご自身が、梅原猛氏の「隠された十字架―法隆寺論」 (新潮文庫)に影響を受けた、とおっしゃっておられるのですが、すでに「隠された十字架」を読んでいた私にとっても、「日出処の天子」は、梅原猛氏の描く古代の世界ともまったくちがう、山岸さん独自のものが、強烈に感じ取れました。
 いえ、「日出処の天子」を読む前から、古代史には興味がありましたし、それほど詳しく文献を読みこんでいたわけではないんですけれども、現在、自分のサイトの女帝の夢庭園に載せていますように、「蘇我蝦夷は実は聖徳太子と同年代ではなく、その長男の山背大兄皇子に年が近かったんじゃなかろうか」とか、自分なりにあれこれ想像をふくらませていたりもしたのですが、それがすべてふっとんでしまうほどだったんです。

 えーと、つまるところは、です。蘇我蝦夷の年齢でさえも、史料ではわからないのです。
 蘇我蝦夷が、甥(妹の子)であるにもかかわらず、なぜ山背大兄皇子の即位を支持しなかったのか、については、なんの史料も存在しないのですから、私のように、「蘇我蝦夷は通常考えられているよりも若く、山背大兄皇子の母の刀自子郎女と同母ではなく、田村皇子(舒明天皇)に嫁いだ法提郎女と同母ではなかったのか」と想像してみることも可能ですし、史料を読み込んでなお、それと大きく矛楯しないように、さまざまな想像が成り立ちます。
 したがって、物語に「聖徳太子と蘇我毛人との霊的恋愛」を想定したからといって、史料を読んでいないことにはなりませんし、史実を無視したとも、言えないでしょう。

 とはいえ、「日出処の天子」という作品のすばらしさは、もちろん、史料を読み込んでよく勉強した歴史ものである、というようなところにはありません。
 今回、久しぶりに、寝床で読み返しましたが、20年も前の作品であるとは、とても思えませんでした。
 なんといえばいいんでしょうか、漫画であるにしろ、小説であるにしろ、映画であるにしろ、です。創作物であるかぎりに置いては、現代に生きる私たちにも通じる、普遍的なテーマがなければ、読者の心に響くことはないんじゃないんでしょうか。フィクションだけではなく、あるいはノンフィクションにおいても、です。
 「日出処の天子」には、確かに、それがあります。
 と同時に、山岸さんの作品の構成のうまさにも、あらためて脱帽しました。

 物語の冒頭は、敏達12年(西暦583)、蘇我馬子一家の描写です。
 馬子は土建屋の社長さんタイプ、政治家でいえば田中角栄のような、ワンマンで精力的なイメージです。
 物部から嫁いできた馬子の正妻は、地味で堅実な感じ。
 二人の子がいます。兄の蝦夷は、書を好み、読書にふける秀才タイプ。
 子供にしては覚めている感じで、父親の愚痴にも、他人事のように客観的な観察で応じます。
 娘の刀自子は活発で、泥にまみれて戦遊びをするようなお転婆。
 一家の話題は、10歳の子供でありながら、すでに学者よりもの知りだという厩戸王子(聖徳太子)。
 
 この導入が、現代にでも普通にありそうな家庭での一こまのように描かれ、それでいて、この時代の政治状況をリアルに感じさせてくれるため、読者はごく自然に、蝦夷の視点になじみ、物語世界へ引き込まれていきます。
 蝦夷は散歩に出かけて、池で泳ぐ美少女に出会い心引かれます。やがて、どうやらその美少女こそが厩戸王子だと知り、しかも美しい王子は、もの知りどころか、人間離れした超常能力を持ち、しかもその能力で大人顔負けに政治をきりまわしていこうとしているのだと、気づくのです。
 途中まで、読者は、日本書紀の世界が、くっきりとリアルに、しかし斬新な切り口で解き明かされるのに幻惑されます。しかしやがて蝦夷とともに、厩戸王子が大きな欠落を抱えていることに気づき、王子に魅せられるのです。

 これは、欠落の物語です。
 厩戸王子を筆頭に、主要登場人物は、みな欠落をかかえています。
 一番わかりやすいのが、刀自子でしょうか。
 おそらく彼女は、女として生まれたくはなかったのです。女として生まれたことが、彼女の欠落です。
 
「男に生まれたかった」と思う、活発で、才気にあふれたお転婆娘。
 これは少女漫画にかぎらず、「私がんばる!」タイプの少女の描き方の典型的なパターンでしょう。
 現在の大河ドラマ「篤姫」で、宮崎あおいが演じている篤姫も、そうですよねえ。
 小松帯刀が出てくるので、我慢して見ていますが、こうまでパターン通りにやられると、勘弁して! と悲鳴をあげたくなります。
 「ベルばら」のオスカルもそうですよねえ。
 しかし、なんといいますか、近代の賭場口、フランス革命の時代に、貴族のお姫様が近衛兵だかなんだか、軍隊を指揮するって、リアリティなさすぎです。たいした葛藤も摩擦もなく、軍隊の指揮官にしてもらって、じゃあ女を捨てたのかと思えば、アンドレでしたっけ、ちゃんと男にも愛され、女としての喜びも手に入れる。
ご都合主義にすぎる感じなんですが、まあ、少女(あるいはおばさん、でしょうか)の夢の世界だと思えば、確かに、きらびやかな宝塚の題材としては、ぴったりでしょう。
 ただ、少女のファンタジーだというならば、です。私は、パステル調「マリー・アントワネット」で書きましたソフィア・コッポラ監督の映画の方が、根も葉もある感じを受けるんです。

 「日出処の天子」が描く刀自子は、ものの見事に、「私がんばる!」のパターンをはずしています。
 がんばったところで、生物的に女が男になれるものではないですし、それは、実現不可能な願望なんです。そのことを刀自子は、もっとも無惨な形で思い知らされます。
 蘇我と物部の戦争の最中、母親の実家である物部のもとにあった刀自子は、物部の奴たちに輪姦され、身ごもり、自ら堕胎するのです。
 犯されたら身ごもる可能性がある、という女の性は、どんなにジェンダー、社会的、文化的な性のありようが変わろうとも、変わるものではありません。現実にこの現代においても、民族紛争の中で女が犯される話は、世界中に転がっています。
 刀自子にとっての自己実現が、男になること(あるいは兄になること)だったのだとすれば、それはあまりにも無惨な形で砕かれ、彼女は他者を他者として愛することができず、救いを、同母兄である兄への恋情に求めます。
 最後に、蝦夷が厩戸王子に告げるのですが、王子の蝦夷への激しい恋情が、他者への愛ではなく、自己の欠落を埋めるための自己愛であったように、刀自子の兄への恋情も、そうなのです。
 だからこそ、王子は自嘲しながら、刀自子を苛みます。王子にとって、刀自子の存在は、鏡に映る自分の姿でしかないのです。

 厩戸王子にとっての自己実現とは、なになのでしょうか。世界を思のままにあやつること、なのだとすれば、王子の苦しみは、天才的な創造者の苦しみでしょう。
 精魂込めて一つの作品を作るということは、作者が、その作品世界に君臨する、ということでしょう。創造に打ち込む、といいますか、天才的な人間が内的欲求に突き動かされて、創造にとらわれてしまったならば、おそらく、それと引き替えに、その天才は、ごく普通の人としての喜びを失うのです。
 そして逆説的なことに、作品創造の内的な欲求とは、渇望です。渇望のないものに、創造はできません。
 その超常能力ゆえに、母に受け入れられなかった王子は、シジフォスの神話のように、永遠に満たされることのない渇望をかかえて苦しみます。
 王子にとっての救いもまた、刀自子と同じく蝦夷への恋情でした。

 厩戸王子の孤独を理解し、王子に魅せられようとしていた蘇我蝦夷もまた、欠落をかかえていたのではないでしょうか。
 蝦夷にもまた、王子と共鳴することを条件に、超常能力があります。
 どこか普通ではないものを抱えていたがために、一歩引いて世の中を見てしまい、現実に自己が置かれた蘇我の長子、跡取りという立場に違和感がある。
 しかし、優等生タイプの蝦夷は、普通の人として、自らの生を引き受けようとします。
 そうしたときに、蝦夷の欠落を埋め、満たされることのない渇望を押さええた相手が、布都姫でした。
 石上の斎宮で、蝦夷の母方の叔母にあたる布都姫は、物部氏の没落で、石上に留まることがかなわなくなります。
 この人は、斎宮として、欠落を強いられ、人としての普通の情愛から、遠ざけられていた人でした。
 彼女の欠落は外部からやってきて、そして、すでにその外部の強制が失われたときに恋をし、超常能力は失われます。
 例えば、ピアノやバイオリンに優れた才能を持った女の子が、猛烈なステージママに強いられて、演奏活動にすべてを捧げて打ち込み、恋も普通の遊びも知らないで大人になったところが、ぽっくりママが死んでしまった、という状況に近いでしょうか。
 普通の少女時代を過ごしていないのですから、彼女にも欠落はあります。
 内的な渇望はないにもかかわらず、世間を知らないがために、普通の人として生きることへの違和感もあります。
 二人は、引かれあうべくして引かれあったのであり、おたがいに他者として認め合いながら、欠落を補いえる相手であったのです。
 
 しかし物語は、厩戸王子の壮絶な絶望に染め上げられ幕を閉じます。
 カタルシスがない、といえば、そうなのです。
 王子はすでに、国家をデザインすることにさえ情熱は抱きえません。満たされない渇望に呑み込まれて、母に似た狂気の少女に慰めを見出す。
 しかし、ここまで突き抜けてしまうと、これもまたカタルシスです。
 続編の「馬屋古女王」 (あすかコミックス・スペシャル―山岸凉子全集)は、厩戸王子、聖徳太子の死に始まり、一族の散華を予感して終わるのですが、この短編は、王子の悲劇の謎を解く鍵であるとともに、挽歌でしょう。

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トゥオネラの舞姫

2007年01月29日 | 読書感想
舞姫(テレプシコーラ) 10 (10)

メディアファクトリー

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それほど詳しいわけではないのですが、その昔、少女漫画のあけぼのの時代から、バレー漫画は定番であったようです。

【図書の家】少女漫画研究室

昭和20年代に『赤い靴』という題名が見えますのは、モイラ・シアラー主演、昭和23年製作の名作バレー映画『赤い靴』の影響でしょうか。
『赤い靴』は、子供の頃、テレビで見た覚えがあるんですが、あまりに子供で、内容をよく覚えていません。ただ、モイラ・シアラーのバレーが美しかったことは、とても印象に残っています。
バレーに憧れたのも、小学校にあがる前後のことで、バレー漫画はほとんど読んでおりません。
山岸涼子氏の『アラベスク 』の第2部が、最初に読んだバレー漫画でした。
この『アラベスク 』、第1部は『りぼん』連載で、第2部は『花とゆめ』連載。この二紙では、ダーゲットとしていた年齢が、多少ちがうのではないかと思うのです。第2部があまりに面白かったため、第1部はコミックスを買って読みました。
第1部の方は、少女漫画の王道をいくような設定ではないかと思うのです。
主人公のノンナ・ペトロワは、キエフでバレー教師をする母の元、優等生で母の期待を一身に受ける姉とともに、バレリーナを志しています。母に認められないため、自分に自信がもてず、それでもバレーへの思いが消せないノンナが、ある日、真夜中のバレー学校で練習をしていますと、突然、すばらしい男性パートナーが現れ、ノンナは夢のようにきれいに踊ることができたのです。闇で顔も見えなかった男性は、かき消すようにいなくなりますが、その翌日、その男性の正体がわかります。レニングラード・バレー団から地方視察に来ていたソ連若手有数の男性ダンサー、ユーリ・ミロノフだったのです。
そして、優秀だった姉ではなく、ノンナが、レニングラード・バレー学校へさそわれ……、そこからは、ライバルと戦い、挫折を繰り返しながらも、プリマへの道を歩むノンナが描かれるのですが、醜いアヒルの子が白鳥になってはばたく、という大筋は、まさに少女漫画の王道ですよね。
ただ、山岸涼子の場合、非常に丁寧にバレーそのものの魅力と、ノンナの心理を描いていて、引き込まれる感じでした。ソ連が舞台というのも、当時の日本では、プリマをめざすということ自体が特殊で、現実感がなさすぎたのでしょう。それによって、リアリティーのある物語に仕上がっていたんです。
第2部は、まだ学生でありながらすでにスターとなったノンナの、新たな成長の物語なのですが、心理描写はさらに細やかになり、絵も細密に美しくなってきまして、クラシック・バレーとはなんぞや? という本質的な問いかけにまで、お話は深まります。
お話の終盤近く、ノンナが到達したラ・シルフィードの忘我の舞い。これはもう、何年たっても忘れられない美しい画面でした。

で、数年前のことです。なにかの書評で、山岸涼子氏がまたバレー漫画を書かれていると知り、慌てて買いに走りました。それから半年に一冊、つい先日に発売されましたこの10巻で、『テレプシコーラ』第1部が完了です。
最初は、はっきりと気づかなかったのですが、基本的な設定は『アラベスク 』に似ているのです。
舞台は日本ですが、バレー教室を開いている母の元、姉の千花は天賦の才と身体能力、美貌と負けず嫌いの根性をあわせもち、母の期待を一身に背負っています。妹の六花は、身体能力に欠け、のんびりとして気が弱く、母の関心が自分にはないことに、寂しさを感じています。
『アラベスク 』においては、そういった親子姉妹の葛藤は、物語の冒頭でわずかに語られるだけなのですが、『テレプシコーラ』では、少女にとってはもっとも重いはずのその肉親の相克の心理が、ごく身近な日常的な場面を丁寧に描くことで、ずっと物語の底流に響いているのです。
私が、最初にそれに気づかなかったのは、最初の三巻の間、もっと衝撃的な登場人物にスポットが当てられていたからでした。
千花、六花の姉妹は、バレー教室を開いている母親の実家は裕福ですが、父親は地方公務員で、少々経済的には恵まれていますが、ごく普通の家庭の子供です。
ところが、六花の小学校に、非常に貧しく、容貌にも恵まれず、性格もどこかゆがんで、いじめの対象になる少女が転校してきます。その少女、空美に六花の関心が引きつけられたのは、彼女がバレーにおいては天才的な能力を持ち、しかもしっかりとした基礎を身につけていたからです。実は空美は、今は足を悪くして落魄れたかつてのプリマの姪だったのですが、この落魄れたプリマが、テネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』の主人公ブランチのパロディのような人物なのです。いえ、元プリマはかわいがっている猫にブランチと名付けていますから、あきらかにパロディなのでしょう。
その落魄の描き方も壮絶なのですが、元プリマの弟、空美の父親のだめ男ぶりが強烈で、空美は児童ポルノ写真のモデルまでやらされる、というすさまじさですから、これはもう、こちらの方に気をとられてしまいます。
とはいえ、コンクールなどの山場は実に華やかですし、読み進むにつれ、六花は身体能力には恵まれないものの、どうやら別な才能、別な才能とはコリオグラファー(振り付け師)なのですが、があるのではないか、という展開が見えてきます。すべてに恵まれていたはずの千花が、次々に災難に見舞われる一方で、六花は少しづつ弱気を克服して、成長していきます。
年齢を経て、より緻密に、よりしっかりとした心理描写を、それも大上段にふりかぶらず、さりげなく重ねていく山岸さんの腕には、ただただ脱帽です。そして、ほんとうにバレーがお好きなのでしょう。実に美しい絵によって、細かなバレー技法の解説がけっして邪魔に成らず、むしろ確かなリアリティーと臨場感をそえてくれます。
途中から、大筋は読めてきたのですが、ぐいぐいと引き込まれ、半年に一度の新刊を、いつも待ち望んでいました。
母親に期待される姉と、期待されない妹。よくある話ですよね。しかし、よくある話であるだけに、作者が思春期にまだ近い時期には、それを綿密に表現することが、むつかしいのかもしれません。
今回は、期待される姉の側の苦悩をも、見事に描ききっておられました。
そして、第1部の最後は……、六花が自らの振り付けで舞う、トゥオネラの白鳥です。「あの世とこの世の境を流れる河トゥオネラ」。
ノンナの到達した舞いも、「妖精が生身の人間であってはならない」という言葉で言い尽くされていますように、観客を魅了してやまない舞踏の魔力は、結局、彼岸に心を遊ばせ、生身の人間ではなくなる忘我の境地にあるのだと告げていたのですが、いささか抽象的で、観念に流れていた感がありました。
しかし六花は、生身の女の子として日常を生き、傷つきながら衝撃を乗り越え、涙とともに得た表現欲で、トゥオネラの白鳥を舞うのです。
第二部で、六花は三巻で消えてしまった空美と出会うんでしょうね。
第二部での再会が、待ちきれない気持ちです。


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宮廷料理と装飾菓子

2006年12月31日 | 読書感想
宮廷料理人アントナン・カレーム

ランダムハウス講談社

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宮廷料理とはなんぞや? という話が、とあるサイトのとあるスレッドで出ました。
もとはといえば、どうやら『宮廷女官 チャングムの誓い』に啓蒙されたらしきお方が、「日本にはなぜ宮廷料理がないの?」と問いかけたことにはじまった論争だったんですが、「ほんとうに日本には宮廷料理がないのか」というところから、「宮廷料理とはなんぞや?」という話になり、私の結論としましては、「王とその家族の日常食を基本として、そこから発展した宮廷宴会料理」でした。
王とその家族の日常食は、王のいない国にはありませんので、今現在を言うならば、日本には宮廷料理がありますが、韓国にはないことになります。問題は、「そこから発展した宮廷宴会料理」です。
レストランで「宮廷料理」と銘打ったものは、過去の宮廷料理のレシピを元にした再現、創作なのですが、レシピには秘伝の部分が多いですし、韓国料理にしろ中華料理にしろ、どこまで過去の宮廷料理を再現できているかは疑問です。
では、国賓をもてなす料理、いわば外交料理ですが、これが現代版宮廷宴会料理に相当するとしまして、です、現在、世界共通の外交宴会料理はフランス料理で、日本の宮廷も明治からこれを取り入れ、宮中晩餐会はフランス料理が基本、ですよね。どなたかが、「王の臨席しない外交晩餐会の料理を宮廷料理とは言えないだろう」とおっしゃって、これには、頷かされました。
つまり、「そこから発展した宮廷宴会料理」にしましても、王族の臨席がない場合は、宮廷料理とはいえないだろう、ということなのです。

で、宮廷料理人アントナン・カレームです。
この本、たしか、鹿島茂氏の書評を読んで買ったんですが、レシピが載っていて、とても楽しめました。
宮廷料理人といっても、アントナン・カレームは、ルイ王朝の宮廷料理人ではありません。1783年ころ、フランス革命がはじまる6年ほど前、パリの貧しい一家の16番目の子供として生まれました。貧しい夫婦は素朴に王族に憧れていたのでしょうか、王妃マリー・アントワネットにちなんでマリー・アントワーヌという名を息子につけ、アントワーヌが縮んで、アントナンとなったのです。
ほどなくはじまった革命は、やがてパリを無法地帯にしました。なぶり殺されたのはなにも、貴族だけではありません。カレーム一家も不幸にみまわれたらしく、父親は、10歳そこそこの息子を捨て去るのです。
途方にくれたアントナンを救ってくれたのは、忙しい料理人でした。下働きとして雇われ、寝床と食事を得ることができました。王妃マリー・アントワネットが処刑台にのぼる、少し前の出来事であったようです。

一般に、パリのレストランはフランス革命をきっかけに誕生したといわれます。
革命以前のレストランはスープのみを出すところであり、当時のスープとは、食事の一環ではなく、呼吸器の病気を和らげるために飲む嗜好品だったのだそうです。
また、トゥレトゥールと呼ばれる総菜屋も存在したのだそうですが、排他的なギルドに守られたもので、発展の余地にとぼしく、美食を追求するような場ではなかったようです。
ところが、革命によってギルドの制約は解消し、また、貴族に雇われていた料理人たちの大多数が失業しました。そして、首都パリには、フランス各地から代議士たちが単身で押し寄せ、外食の需要が飛躍的に増えたため、料理人たちは、それまでのトゥレトゥールとは一線を画して、スープに力を入れつつ、他の総菜も楽しむことができる「レストラン」を開業するようになったのです。
しかし、現在の感覚からいえば、ちょっと不思議なんですが、当時のパリでもっとも注目を集める料理人といえば、パティシエ、つまり菓子職人だったんだそうです。
いえ、不思議ではないのかもしれません。中世から、宮廷宴会料理の中心となるのは、装飾菓子、ピエスモンテなんですね。

中世ヨーロッパの饗宴~もてなしの儀式

上のサイトさんはかなり詳しいのですが、洋の東西を問わず、古代、中世の宴会料理というのは、非常に儀式色が強いんです。神への捧げものの変形、といえると思うのですが、その宴会の主題にちなんだ装飾菓子が、食卓のメインとなります。装飾菓子は、その大部分は食べることができる材料で造りますが、基本的には食べるものではなく、食卓を豪華に飾るものなのです。
洋の東西を問わず、と言いましたが、その場で食べることを目的とせず、菓子や果物を飾る風習は、中華宮廷料理や李朝宮廷料理、そして古代から中世にかけての日本の宮廷料理にもあります。



上の水原華城と李朝宮廷実録 で説明しました写真、当時(ちょうどフランス革命の頃)の李朝宮廷宴会料理の果物飾りを再現したものです。奥の方には、模様を描きながら菓子を積み上げたものも再現されていたのですが、写っていません。
李朝では、幕末に近い時期でもこういう素朴な、積み上げ式の飾りものなのですが、中華王朝では、南宋あたり、つまり日本で言えば平安朝あたりから、蜜づけの野菜だかで動物などを彫刻した飾り、などもあったそうです。
手元の『中国名菜ものがたり?中国・飲食風俗の話 』に、12世紀半ば、つまり平安末期ころ、南宋の王族が皇帝を招いて開いた宴会のメニューが載っています。並べられた184種類もの豪華な料理のうち、半分ほどは以下のような飾り物でした。

八種類の新鮮な果物を星のようにきれいに積み重ねたもの、一二種類の乾かした果物、十種類の良い香りの花、十二種類の蜜漬けを材料にして小動物、鳥類などを彫刻したもの、十二種類の乾かした果物に香薬をまぶしたもの、十種の乾燥肉、八種類の殻をむいた松の実とか落花生、または銀杏などの乾果。

このうち、「蜜漬けを材料にして小動物、鳥類などを彫刻したもの」は、中世ヨーロッパ宴会料理の「マジパンやパイ皮で英雄や怪物、動物などを形作ったお菓子(装飾菓子)」と、あまり変わりがないわけです。
日本の場合は、どうなのでしょう。鎌倉時代あたりまでは、やはり素朴に積み上げていたようなのですが、例えば菱葩餅(ひしはなびらもち)、俗に言う花びら餅などの細工菓子になってからは、積み上げることはあまりなくなったのではないかと思うのですが、私にはよくわかりません。ただ幕末まできますと、ちょっと気になる話があります。
明治維新の直前、リュドヴィック・ド・ボーヴォワール伯爵というフランスの青年貴族が来日し、『ジャポン1867年』という紀行を記しているんです。
その中に、フランス公使館で催された「日本式の大晩餐会」の様子が見えて、日本式の「ピエスモンテ」(フランス語の装飾菓子、英語ではエクストラオーディネール)が出てきます。

離れておかれた数個のテーブルの上に、日本人の非常に愛好する「ピエスモンテ」を嘆賞することができた。
そのひとつは、たっぷり1メートル四方はあったが、鶏卵、魚類、花、人参等々でひとつの風景をあます所なく表して居た。そこには、長ねぎの細い繊維でつくった数本の川、かぶらを彫刻し、けばけばしい色を塗りたくったおしどり、生野菜の野、人参の煉瓦でつくった橋があった。
別の台は漁を表していた。マヨネーズの波のただ中に没し、卵の白味を泡立たせたクリームの泡に覆われたじゃがいもの岩山の上に、ひとりの漁師が、かぶらで網目をつくった長居網を曳き、縮んだかきと跳びはねる棘魚とを数限りなく寄せ集めていた。
最後に一匹の大きなひらめが前に出る。魚は数本のマストと微風にふくらむ数枚の頬で飾られ、ガリー船に変えられていた。
それを箸をつかって、われわれは全部平らげたのである。

マヨネーズ??? 日本の料理なの? と疑問なんですが、中華料理では現在でも、野菜やゆでた肉などで、大皿に鳳凰を形作ったり、という飾り料理がありますし、日本料理でも、大皿に刺身を盛る場合、いろいろ趣向を凝らすことはありますよね。これは、いってみれば、積み重ね飾り料理の変型でしょうし、菓子ではないにもかかわらず、ボーヴォワール伯爵が「ピエスモンテ」と言ったのは、なかなか鋭い表現なのかもしれないんですよね。

日本古代の宮廷宴会料理が、干し物や菓子ばかりが多くて、ろくに食べるものがないように言われていますが、それは、記録に残るものの多くが飾り物であり、また宴会といえば、料理よりも、だれがどういう音楽を演奏し、どういう舞いを舞ったかが重視され、実際に食べた料理の記録が少ないからでしょう。
洋の東西を問わず、前近代の宴会というものは、歌舞音曲などの出し物と、その場で食べるわけではない飾り料理が主役なのではないんでしょうか。

17世紀、太陽王ルイ14世治下のフランスに、ヴァテールという伝説的な料理人がいました。
『宮廷料理人ヴァテール』という映画がありましたが、これは、コンデ公がルイ14世をもてなすために、ヴァテールに任せて開かれた3日間の大宴会、という実話を元にしたお話しです。ヴァテールはやはりピエスモンテ製作の名人で、映画でも、食べるわけでもない砂糖菓子の花が重要なアイテムとして出てきます。また、ヴァテールは料理を取り仕切るだけではなく、機械仕掛けのスペクタクル、アトラクションの演出まで手がけていまして、どうも、当時の名料理人というのは、そういうものであったようですし、宴会料理の花は、ピエスモンテ(装飾菓子)だったのです。
このコンデ公の大宴会というのは、1671年4月のことです。日本で言えば江戸時代の前期、4代将軍家綱の時代。
中世ヨーロッパでは、砂糖は貴重品でしたので、王侯貴族といえども大量消費はできませんでしたが、16世紀、新世界に砂糖キビのプランテーションが開かれ、やがて生産量が上がり、17世紀のこのころには、爆発的に供給量が増えるんですね。
砂糖が潤沢に使えるようになるにつれ、ピエスモンテ、砂糖装飾菓子も巨大化し、非常に凝ったものになっていったのではないのでしょうか。
グリム童話、ヘンゼルとグレーテルの魔女のお菓子の家は、巨大なピエスモンテなんですよね。

そして、フランス革命後もなお、宴会料理の花はピエスモンテでした。野心と向上心に燃えたアントナン・カレーム少年も、菓子職人に弟子入りし、ピエスモンテで名を成して、やがて、美食家で、ナポレオンの元で外務大臣を務めたタレーランに見込まれるんですね。フランス外務大臣の宴会料理を任されただけでなく、タレーランの後押しで、ナポレオンの宮廷宴会料理にもかかわり、名を売ります。
その後の職歴は華麗で、イギリスの摂政皇太子、ロシア皇帝アレキサンドル1世、ウィーン会議中のオーストリア宮廷などに雇われ、宴会料理の総指揮をとるんです。
そして、その晩年、最後に雇われたのは、ナポレオン戦争で成り上がったユダヤ系金融ブルジョワ、ロスチャイルド家でした。
この本は、1829年のパリ、ロスチャイルド家が催し、アントナン・カレームが取り仕切った晩餐会の描写にはじまるのですが、目玉のピエスモンテは「列柱の王妃」。マジパンをホウレンソウで緑に染め、苔まではやした、やはりマジパンの岩石庭園の上に、繊細な砂糖細工、飴細工で、写実的に、古代ギリシャ風の神殿を造りあげるんです。もちろん、この時代になってきますと、実際に食べる料理も実においしそうなんですが、しかし、それでもやはり、メインはピエスモンテ、装飾菓子だったんです。
ピエスモンテは、砂糖菓子といっても、土台は菓子ではなかったりしますし、長持ちのする、建築物のようなものである場合が多いんですね。1871年の普仏戦争のときまで、アントナン・カレームが最後に作ったピエスモンテがパリに保存されていたそうなんですが、砲撃で失われたのだとか。


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等身大のマリー・アントワネット

2006年12月27日 | 読書感想
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『マリー・アントワネット』

早川書房

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イギリスの歴史文学者、アントニア・フレイザー著の『マリー・アントワネット』です。
一月に公開される映画の原作本。


映画マリーアントワネット 公式サイト

中学生のころにシュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』を読んで、夢中になった思い出があります。なにがよかったって、やはりあの贅沢です。なによりも、プチ・トリアノンのお庭造り。ああ、もちろん、うってかわった以降の運命の転変が、よけいつかの間の贅沢に、かけがえのない甘い蜜の味を加えてくれていたんですけどね。
夢は、消えてしまうはかない夢だから、よかったりします。
王太子妃のころ、皇女のプライドを持って、ルイ15世のお妾さんデュ・バリー夫人とやりあうあたりは、大奥を思わせてドラマチックでしたし、フェルゼンとのしのぶ恋も、大奥の古典、吉屋信子の『徳川の夫人たち 』と、通じるものがある感じでした。最後に、誇りを守って断頭台にあがるあたりもそうなのですが。
あまりにも、そのイメージが強すぎまして、他の作品を読む気がしなかったのですが、今度の映画がおもしろそうでしたし、本屋で見かけて、つい原作を買ってしまいました。

等身大のマリー・アントワネットかな、という感じです。
著者は、かなりツヴァイクを意識している感じでして、まあ古典ですから、意識する方があたりまえなのでしょうけれど、ツヴァイクのしくんだ悲劇性、物語性は、かなり薄められています。
それだけに、すらすら夢中になって読める、という感じではないのですが、皇女でも王妃でもなく、一人の女としてのマリー・アントワネットが、ごく身近に感じられます。そして、その身近さゆえに、フランス革命の野蛮な側面が、より強く迫ってきたりもするのですが。
ともかく、原作を読んだことで、映画がより楽しみになりました。
『下妻物語』の乗りで、「ロココ、それは十八世紀のおフランスを支配した、もっとも優雅で贅沢な時代」を、楽しめそうな予感がします。
ソフィア・コッポラ監督なら、「やがて哀しき」もうまく表現してくれていそうかな、と、思ったりするのですよね。



余談になりますが、マリー・アントワネットの肖像は、いやに頬が赤いんですよね。
私はまた、失礼ながら赤ら顔なのか、とずっと思っていたんです。
この本で初めて知ったことですが、当時のフランスでは、高価な紅で頬を真っ赤に塗る化粧法が、男性をも含む貴族の礼儀だったのだとか。ヨーロッパの他の宮廷には、そんな化粧法はなく、マリー・アントワネットは嫁入り先の風習に従っていただけだそうで。
この当時のフランス宮廷は、すでに欧州ファッションの中心になって久しいですし、大方の流行は他国の宮廷もまねるのですが、真っ赤な頬、というのは、ねえ。やはり、やりすぎの感が強かったんでしょうか。
ま、真っ赤な頬はともかく、当時から、フランスのファッション産業は、欧州各国の貴族、富裕層を引きつけて、経済の大きな柱だったわけですし、フランス王妃たるもの、ファッションリーダーとなってこそお国の役に立てるというもの。
フランス経済の行き詰まりは、アメリカ出兵の戦費によるところが大なのですから、稼ぎ頭の美の産業に貢献する王妃の贅沢に、文句をつけるのは馬鹿げていますよね。


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おじさんはなぜ時代小説が好きか

2006年12月24日 | 読書感想
『おじさんはなぜ時代小説が好きか』

岩波書店

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「おじさん」ではなく、うちの母は時代小説が好きです。
買ってくる文庫本は、ほとんどが時代小説。昔はけっしてそうではなく、結婚前からの蔵書は世界文学全集的なものでしたし、私がまだ学生だったころには、時代物といっても、永井路子氏の古代ものだとか、歴史もの、といっていいジャンルしか読んでいませんでした。
ところが現在、母が読んでいる時代小説は江戸時代ものの完全なフィクションが主で、藤沢周平が一番のお気に入りです。
私は、現在母が好んで読んでいるような、いわゆる時代小説が、とりわけ好きというわけではないのですが、NHKの再放送で『蝉しぐれ』を見て、これはなかなかいいわ、と、母の本棚から原作をひっぱり出して読みましたところが、たしかに、しっくりとくる、いい小説でした。
年をとっての母の時代小説回帰、といいましても、母は若い頃にたいして時代小説を読んでいたわけではないので、回帰といっていいものかどうか、なのですが、ともかく、「なぜ?」と思っていたところへ、この本『おじさんはなぜ時代小説が好きか』が出まして、著者が関川夏央ですし、手にとってみたような次第です。

やはり、といいますか、当然のように藤沢周平は取り上げられていますし、それも『蝉しぐれ』が中心となっています。
関川氏いわく、「時代小説『蝉しぐれ』はきわめて洗練されたおとぎ話だともいえます。友情と名誉、恥、約束、命のやりとり、忍ぶ恋、そういうものは、命のやりとりを除いて現実に私たちの生活の中にあります。たしかにおとぎ話ですけれども、根も葉もあるおとぎ話です」
『蝉しぐれ』の舞台は、江戸の文化、文政期なのですが、この時代は、関川氏によれば、江戸の文化が爛熟した最盛期で、現代日本の原型がすでに成り立っていて、なおかつまだ幕末の動乱ははじまっておらず、現代と同じように平和な日々が続き、日本の原風景を描くにふさわしい時期なのだ、ということなのですね。
時代小説、といっても、現代の作家が描くわけですから、基本的には現代の物語なのですが、現代を舞台にすれば、生々しすぎたり、そらぞらしくなったりしかねない物語が、江戸を舞台にすることで、根も葉もある大人のおとぎ話になるのだというのです。

山本周五郎、吉川英治、司馬遼太郎、藤沢周平、山田風太郎という、すでに故人となった大家を一章ごとに取り上げ、七章は趣向を変え「侠客」の成り立ちを論じ、最後の八章で、「おじさん」はなぜ時代劇が好きか、という本質的な問題に立ち返ってしめくくられています。
うならされたのは、幕末維新における明治新政府の姿勢を評して、「ひとくちにいって、完成し成熟していた日本型近代を、やや野蛮な西洋型近代に強引に転換するというものでした」と、断言されていたことです。
実際、文化、文政期に至った江戸は、「日本型近代」といってよく、やはり、日本人のおとぎ話の舞台であるにふさわしい「極楽」だったのだと思えるのです。

最後に、関川氏の関川氏たるゆえんは、第三章の司馬遼太郎の項目と最終章で展開されている、「日本は大陸アジアではない」という視点でしょうか。
司馬遼太郎氏の短編に、『故郷忘じがたく候』という、薩摩藩の朝鮮陶工を題材にしたものがあります。
秀吉の朝鮮出兵に際して日本へつれてこられ、薩摩郷士として根をおろしながら、半島の祖国に望郷の念を抱き続ける朝鮮陶工のお話なのですが、荒川徹氏が、『故郷忘じたく候』(代表作時代小説〈平成15年度〉収録)という、朝鮮半島を故郷とは思いたくなかった人々の物語を書いておられるとは、はじめて知りました。
「たんに司馬遼太郎作品の倒立ということではなく、秀吉出兵と俘囚の歴史問題を、戦後的歴史観で処理しようとする日韓両国の通念に対する異議申し立てでもあります」と関川氏。
なるほど。『故郷忘じたく候』、さっそく購入して感慨深く読みました。
しかし、えらく値段が上がっていますねえ。
とりあえず、この問題に詳しいコラムが毎日新聞のサイトにありましたので、リンクしておきます。 第55回 異説「故郷忘じがたく候」


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『ナルニア国物語』と『十二国記』

2006年03月02日 | 読書感想
昨日、ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女 で、『ナルニア国ものがたり』は異世界もの、と書いたのですが、最近の日本のファンタジーで異世界ものの代表をあげるならば、小野不由美さんの『十二国記』シリーズではないでしょうか。

実は、映画の『ナルニア国物語』なんですが、原作2巻目『カスピアン王子のつのぶえ』の映画化が決まり、2007年公開予定だそうで、ざっと読み返してみたんです。
今回の『ライオンと魔女』より、あるいは映像向きかな、という気がしないんでもないんですが、うーん。
あらためて、願わくは、戦いではなくファンタジー的な部分を、もっと丁寧に描いて欲しいなと、感じました。

それはさておき、読みながら、『十二国記』シリーズの『月の影 影の海』を思い出しました。
似ているといっても、お話の骨格といいますか、基本的な構造が、なんですが、さすがにナルニアは古典だなあと、感心したような次第です。


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男女逆転のパロディ『大奥』

2006年01月29日 | 読書感想
ちょっと用事があって街へ出かけ、本屋さんに寄りました。
よしながふみ著の漫画『大奥 (1)』が平積みになっていて、つい目について買いました。
最近はあまり漫画を読まなくなって、よしながふみさんのものは初めてです。
たしか、同人作家出身だとか、誰かが言っていたよーな気がします。
おもしろい! 笑えます。実に巧みなパロディです。
お鈴廊下に朗々とひびく、「上様のお成ーりー!!」。
ひれ伏すは、三千人の美女ならぬ美男。だって、上様は女なのです。

下敷きにしているのは、きっちり、吉屋信子の『徳川の夫人たち』上下巻、『続 徳川の夫人たち』上下巻(ともに朝日文庫)です。
戦前の少女小説作家、人気女流作家として知られる著者が、その晩年に時代小説に取り組み、昭和40年から朝日新聞に連載しはじめた『徳川の夫人たち』は、たちまちベストセラーになり、舞台化、テレビドラマ化されて、大奥ブームを巻き起こした、のだそうです。
本書は、この大奥ドラマの古典を、見事にパロディ化しています。

男女の性を入れ替えるだけで、ここまで皮肉になるものかと目から鱗、脱帽でした。
『徳川の夫人たち』の楽しさは、絢爛豪華な衣装にもあったのですが、三代将軍家光の側室、お万の方の衣装にまつわる原作のエピソードを、そのまま借りてきて、「お万好み」ときっちり種明かしまでする手際は、さすがにパロディを書き慣れた漫画家さんならでは、です。
もちろん、元ネタを知らなくても十分に楽しめる漫画ですが、元ネタを知れば、なお楽しめます。

関連記事
TVが描く幕末の大奥


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『ウズベキスタンの桜』

2006年01月02日 | 読書感想
久しぶりに、街の本屋さんで単行本を買いました。
中山恭子氏の『ウズベキスタンの桜』です。
この方が、最初、拉致事件で登場なさったときには、妹と二人顔を見合わせて、
「な、な、なんか上品で、皇室の方みたいねえ。北朝鮮相手にだいじょうぶなんかな?」
「拉致被害者に冷たいって政府の評判が悪いから、やわらかく、うまくごまかそうと、起用したのかも」
なんぞと、勝手なことを言い合っていたのですが、間もなく、その芯の強さと的確な判断力にうならされ、すっかりファンになってしまいました。
官房参与として拉致事件にかかわられる以前、中山氏がウズベキスタン大使を務められ、そのとき、キルギスでの日本人拉致事件において、解放に大きく貢献されたという報道にも、なるほど、と納得したものです。

そのキルギス事件の真相を、中山氏がこの本に書かれているというニュースは、以前に聞いていたのですが、なんとなく買いそびれていましたところ、たまたま本屋さんにありました。
きれいな表紙でしょう? 中身もきれいで、カラー写真が多く入れられています。
サマルカンド、タシケント、ブハラ、フェルガナ。
昔憧れたシルクロードの国々って、いまはこのウズベキスタンだったんですねえ。
「ウズベキスタンの人々は顔つきやしぐさが日本人に似ている」と中山氏はおっしゃいます。
ふと、日本語の成り立ちの話を、思い出しました。

日本語はどうしてできたか、をめぐっては、もちろん、さまざまな説があるのですが、日本語と高句麗語の数詞は似ている、のだそうです。
高句麗は、いうまでもなく古代朝鮮半島の一国です。
実はこの高句麗語、幻の言語なんですね。
といいますのも、現在の朝鮮語、韓国語は、半島を統一した新羅の言語が元になっていて、高句麗語の数詞も、朝鮮語、韓国語には、似ていないのです。
それはなぜか、についても、さまざまな説があるようです。
とりあえず、私が納得させられた説のみを、ごく簡単にご紹介しますと、高句麗を建国した扶余族と祖先を同じくする民族が、おそらくは弥生時代に日本列島へ渡り、その言葉が、列島の縄文語とブレンドされ、日本語の元になったのではないか、というのです。

ここからは、私の想像なんですが、弥生時代に列島で出土する多紐細文鏡(たちゅうさいもんきょう)と小型銅鐸の原形となったものが、現在の中国東北部から朝鮮半島にかけて、出土するんですね。
また、現在のロシア南東部で発掘された古代人骨が、弥生時代の列島出土人骨に似ている、などという話もあります。
あるいは、ウズベキスタンに近いあたりから、はるばるステップロードを超えて、私たちの祖先の一部が旅をして、旅の途中で代を重ねて、とても長い時間を経て、日本列島へたどり着いた、ということも、ありえなくはない、ですよね。

ともかく、この本を読んでいますと、汗血馬やペルシャやチムール帝国や……、極彩色のシルクロードの幻に、「古き良き時代の日本に来たかと、ほっとした気持ちになる」という現代のウズベキスタンの面影が重なって、思わず引き込まれます。
中山氏が、人質解放に全面協力してくれた、ウズベキスタンと隣国のタジキスタンの人々について、「品格がある」と結んでおられるのが、とても印象的です。

ウズベキスタンは旧ソ連領ですから、敗戦後、シベリヤに抑留された日本兵が多数移送され、強制労働させられていました。ここでの日本兵は、発電所や道路、炭坑、公共施設と、さまざまな建築や生産に従事し、「勤勉で几帳面な日本人が地域の発展に貢献してくれた」という、暖かな思いを人々に残したのだそうです
もちろん、多くの日本人が望郷の念を抱いたまま、命を落としました。その墓地は、ソビエト時代、2箇所を残して整理するようにという指示が中央からあったそうなのですが、残すことを許された2箇所は、地元の人々がきれいに整備して守り、他にも、整備はできないまでも、命令を無視して残された墓地が多数あったといいます。

私の住んでいる町には、日露戦争で捕虜になったロシア人たちの墓地があります。ずっと地元で守ってきて、今も地域の人々が清掃奉仕をしていますが、ロシアで日本兵の墓を、そうして守ってくれていた、という話は、これまで聞いたことがありませんでした。
ウズベキスタンの人々は、ほんとうに品格のある人々なんですね。
整備がされていなかった多くの墓地について、中山氏は、ウズベキスタンに縁の深い日本人などの協力を得て、整備を進めようとウズベキスタン政府にもちかけたところ、すべての費用をウズベキスタン政府が持って整備すると、他国に前例のない好意を持って、政府が取り組んでくれたのだそうです。
こうして、そのために日本で集めた募金の一部は、墓地とタシケントの公園などに、桜を植えることに使われました。
若くして異国の地で果てた日本兵たちは、故国の春の満開の桜を夢見ていたのです。
この本の題名は、ここからとられています。

ぬけるように青いシルクロードの空に咲く桜。
行ってみたい国が、また一つ増えました。
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極東の攘夷と漢文

2005年12月17日 | 読書感想
村田雄二郎 C・ラマール編 『漢字圏の近代 ことばと国家』 東京大学出版会

今日届いた本です。先日TBいただいたところで紹介されていまして、ちょっと興味を持ちました。
これもまだざっととばし読みです。とりあえず、私が多少知っているのは韓国の部分だけですので、そこだけはきっちり読みました。
簡略なガイドブックで、全体に要領よくまとめられてはいるのですが、詳しくなってくるとイデオロギー色が濃くなるような感じですね。
韓国に関しては、ごく短い文章です。これで細かく解説するのは無理だろうな、とは思ったのですが、よく知られたことばかり、でした。
ただ一つ、教えられたことがあります。
解放後すぐに、軍制をしいた米軍が漢字廃止令を出したということです。教科書はハングル専用、横書きで、ということだったそうなのですが、これは知らなかったことで、笑いました。
アメリカのすることって、昔からこうなんですね。

日本の敗戦で解放され、朝鮮半島でなにがはじまったかといいますと、さびれていた村の漢文私塾に、入門する子供が激増し、素読の声が響き渡ったんですね。これは、尹学準氏が『韓国両班騒動記』で書かれていまして、氏は、現実にその状況を体験なさったんです。
これは、なにで読んだか忘れましたが、台湾でも同じことが起こったそうです。
日本の朝鮮半島、台湾支配は、近代化の押しつけでした。朝鮮の解放闘争というのは、主に両班に担われていまして、ずっと攘夷運動の趣が強かったんですね。
漢文私塾というのは、郷班、村に住む貧乏な貴族階級が、私塾を開いていたのですが、これに、解放運動をした層が重なるというわけです。
つまり庶民層は次第に近代化を歓迎するようになっていて、攘夷感情を暖め続けたのは土着の知識層であり、漢文教育は解放闘争のシンボルとなっていたんです。

米軍の漢字廃止令から5年後、教科書は漢字ハングル混用にもどったというのは、当然のなりゆきでしょう。

どうもいけません。ほんっとにいいです、ギャルドの軍艦マーチ。
くり返し聞き続けてしまって、本が読めません。
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