久しぶりに仕事をしていまして、その仕事が、首都圏向けの松山市の観光広報のような記事でした。
11月には萩に旅行し、花燃ゆも終わり、あと一回はブログを書くつもりでいるのですが、今日は、華のおもてなしin松山城「假屋崎省吾の世界」の写真記事です。
カレンダー2016 假屋崎省吾の世界 花 (ヤマケイカレンダー2016) | |
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古い記事ですが、「坂の上の雲」の幕末と薩摩の続き、ということになるでしょうか。
本丸広場です。なにしろ山頂にありますから、眺望は抜群で、市街地の向こうには、瀬戸内海が見えます。
天守閣は、現存12天守(江戸期までに建てられた天守が残っているもの)の一つで、昭和になって焼けた他の部分も、木造で再建されていますし、ミシュラン観光二つ星。
最近では、外国からのお客様が増えています。
下は天守閣の玄関です。
天守閣の内部が、たくさんの華で飾られました。
二日間、通ったのですが、いつもの倍から三倍の人出で、天守閣の狭い階段に絶え間なく人が続いていました。
春には、本丸広場は桜で埋め尽くされますし、どうぞみなさま、お越しくださいませ、松山へ。
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松山には何度か出張に行った事があり、路面電車の通るなんとも素敵な町だというイメージがあります。
路面電車の通る道路を、車で運転する経験が少なく、線路を横切るのが怖かった記憶があります。
山の上にそびえる松山城にも登りたいなとは思いつつも、仕事で来ているので登れずじまい。
道後温泉もあるし、いつかもう一度行ってみたいですね。
仕事が入りまして中断しつつ、しかし萩へは出向きました! 一つは、今回初めて、高杉の墓碑銘で一番古いものは民治さんが書いたもので、団子岩にある、ということを知り、確かめたかったんです。驚くような出来事もあり、これはなんとか、できれば今年中にブログに書きます。
今回は下関には行かなかったのですが、妹と「関門トンネルを歩きたい」とか言っていまして、曾祖父が明治10年代に、筑豊にいたことがあり、その足跡を追いたい思いもありまして、今度は、下関と北九州の旅を、ぜひしたいと思っております。
松山は市内電車が走っているので、車で走り辛い、とは、昔、四国電力の広報誌の仕事をしていましたときに、高松から来た方が、よく言っておられました。
一応人口は50万人を越えていまして、四国では一番大きい都市なのですが、のんびりしておりますし、正岡子規の昔から、松山出身者は郷土愛に燃えております(笑) 外交官になりました子規の叔父・加藤恒忠も、秋山好古も、晩年を故郷にささげましたし。
今度お越しの節は、ぜひ、ここでご連絡を。観光記事もそこそこ書いてきましたので、そこいらのガイドよりは、ちゃんとご案内できるはずです。
また歩いてみたいと言う主人に付き合い、長女との3人で門司から下関を往復しました。
門司港駅から、トンネル入り口まで歩かされたので、関門トンネルが短く感じました。(笑)
12月22日放送の「開運!なんでも鑑定団」の出張鑑定で、乃木さんから民治さん宛書簡が出ていました。
来年も宜しくお願いします。
良いお年をお迎え下さい。
関門トンネルの人道は、本州・九州を唯一タダで行ける道です(自転車・原チャリは20円)。
地元民はあまり使いませんけどね。
郷土愛かあ・・長州人に松山人の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいところです。
来年も素晴らしい記事を期待しております。
良いお年をお迎えくださいませ。
萩へ、おつき合いいただいて、ほんとうにありがとうございました。私のオタク旅につきあってくださる方は、他にありません。来年はぜひ、宇和島へ!
鑑定団は週遅れのはずですので、見ます。
よいお年を!
どうぞ、よいお年を!
以前からあなた様のブログを拝見させていただきました。
私の曾祖父が、1869年欧州に渡り、普仏戦争を経験いたしました。現在その著書や日記を研究しています。前田正名やモンブランの名前など出てきて、あなた様のブログからも色々勉強させて頂いています。
曾祖母が宇和島出身なので、愛媛県には親近感があります。これからもよろしくお願いいたします。
もしかしまして、『巴里籠城日誌』を書かれました渡正元氏のご子孫でおられるのでしょうか。宇和島出身の女性と結婚なさっていたとは! 驚きです。
ちょっとブログでは書きづらい史料の話などもございまして、よろしければ、iratume@gmail.comまで、メールをください。お待ちしております。