日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(98)鏡の中(前後・上下・左右)について。

2018-10-22 20:38:08 | 「鏡の中の、上下左右」
―「一昨日の記事」を補足します。―
(01)
「チコちゃんに叱られる!(NHK、10月20日)」を視聴した上で、書いています。
(02)
「番組の中」で曰く、
①「前後の方向」と「上下の方向」が定まらなければ、「左右の方向」は定まらない。
②「上下の方向」と「左右の方向」が定まらなければ、「前後の方向」は定まらない。
③「左右の方向」と「前後の方向」が定まらなければ、「上下の方向」は定まらない。
④「鏡の中で逆転する」のは、実際には「前後」である。
⑤「鏡は何故、上下ではなく、左右を反転させる」のか、その「理由」は、未だ「謎」である。
(03)
にも表裏があります。
どちらが表か分からなくなった時はまず紙の表面を触ってみると良いでしょう。
一般的に、スベスベしたなめらかな方が、ちょっとザラザラしたほうがです。
(紙の表裏・上下 - 書遊)
従って、
(03)により、
(04)
(α)「AE」と書いた「紙の」を、「 鏡 」に向けて「鏡の中を見る」ことが出来、
(β)「AE」と書いた「紙の表」を、「照明」に向けて「裏側から透かして見る」ことが出来る。
然るに、
(05)
(α)の場合は、「AE」は「∃A」という風に、見え、
(β)の場合も、「AE」は「∃A」という風に、見える。
従って、
(04)(05)により、
(06)
「鏡面に映っている文字(のイメージ)の上下左右」は、
裏側から見ている文字(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
然るに、
(07)
「人間」の場合は、
背中の側」が「裏側」であって、
「お腹の側」が「表側」である。とする。
従って、
(06)(07)により、
(08)
「鏡面に映っている文字(のイメージ)の上下左右」は、
裏側から見ている文字(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
ということからすれば、必然的に、
「鏡に正対する、鏡の中の人物(のイメージ)の上下左右」は、
背中を向けて立っている人物(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
然るに、
(09)
背中を向けている人物β」が「回れ右」をすれば、
「人物βの上下」は「変わらず」、
「人物βの左右」が「逆転する」。
従って、
(07)(08)(09)により、
(10)
「鏡に正対する、鏡の中の人物(のイメージ)の上下左右」は、
背中を向けて立っている人物(のイメージ)の上下左右」に「等しい」。
ということからすれば、必然的に、
「鏡に正対する、鏡の中の人物(のイメージ)の上下左右」は、
お腹を向けて立っている人物(のイメージ)の上下左右」と「」になる。
従って、
(10)により、
(11)
「鏡に正対する、鏡の中の人物α(のイメージ)」を、
背中を向けていた人物β」が「回れ右」した場合の「イメージ」と、「同一視」するならば、
「αの左右」と「βの左右」が、「」になるのは、「当然」である。
然るに、
(12)
「背中」を向けている人物βが、「こちらを向く」ためには、
(ⅰ)「回れ右」をするか、
(ⅱ)「逆立ち」をするかの、どちらかです。
然るに、
(13)
「背中を向けている人物β」が「回れ右」ではなく、「逆立ち」をすれば、
「人物βの左右」は「変わらず」、
「人物βの上下」が「逆転する」。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
「鏡に正対する、鏡の中の人物α(のイメージ)」を、
「背中を向けていた人物β」が「逆立ち」した場合の「イメージ」と、「同一視」するならば、
「αの上下」と「βの上下」が、「」になるのは、「当然」である。
従って、
(11)(14)により、
(15)
鏡に映った像は、なぜ左右だけ反転して見えるのか(kju********さん、2018/9/1918:59:03)?
という「質問(ヤフー知恵袋)」に対しては、
私たちがもし、友人に後ろから声をかけられたとき肩越しに振り向くのではなく、逆立ちして後ろを向き会話を始めるような生物であれば、(誰かと対面するときに常に自分の頭は相手の足側、相手の足は自分の顔の前にあるわけですから)、鏡に写った自分を見て「上下反転している」と感じるでしょう(lo96969olさん、2014/4/20 2:29:22)。
という「回答(ヤフー知恵袋)」が、「正解」です。