(01)
ド・モルガンが、明らかに健全であるにもかかわらず、伝統的論理学のわくぐみのなかでは取り扱うことができなかった論証として挙げた、有名なま簡単な論証がある。
There is a famouse and simple arugument,cited by de Morgan as an example of a kind of reasoning which,through patently sound,could not be handled within the framework of traditional logic.
(1)すべての馬は動物である。故にすべての馬の頭は動物の頭である。
(〃)All horses are animals; therefore all horses' heads are animals'head.
(2)馬の頭であるすべてのモノは動物の頭である。
(〃)Anything that is a head of a horse is a head of an animal.
あるモノが馬の頭であるためには、それ(あるモノ)がその馬の頭であるような馬が存在しなければならない。
For something to be a head of a horse there must be some horse of which it is the head;
記号で書くと、aは、∃y(Fy&Hay)であるときまたそのときに限って馬の頭である。
in symboles, a is a head of a head of a horse if and only if ∃y(Fy&Hay)
123 ∀x(馬x→動x)├ ∀x{∃y(馬y&頭xy)→∃y(動y&頭xy)}
1 (1) ∀x(馬x→動x) A
2 (2) ∃y(馬y&頭ay) A
3(3) 馬b&頭ab A
3(4) 馬b 3&E
3(5) 頭ab 3&E
1 (6) 馬b→動b 1UE
1 3(7) 動b 46MPP
1 3(8) 動b&頭ab 57&I
1 3(9) ∃y(動y&頭ay) 8EI
12 (ア) ∃y(動y&頭ay) 239EE
1 (イ) ∃y(馬y&頭ay)→∃y(動y&頭ay) 2アCP
1 (ウ)∀x{∃y(馬y&頭xy)→∃y(動y&頭xy)} イUI
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・竹尾楢英 訳、1973年、167頁を参照)
然るに、
(02)
(ⅰ)すべての馬は動物である。故に、
(ⅱ)すべての馬の頭は動物の頭である。
の場合は「3段論法」ではなく、「2段論法」であるが、それでゐて、
1 (1) ∀x(馬x→動x) A
2 (2) ∃y(馬y&頭ay) A
の「時点」では、「前提」が「2個」であるため、中途半端に、「3段論法」である。
然るに、
(03)
□□□ ∀x(馬x→動x),∀x(動x→∃y(頭xy)}├ ∀x{馬x→∃y(動x&頭xy)}
1 (1) ∀x(馬x→動x) A
2 (2) ∀x(動x→∃y(頭xy)} A
1 (3) 馬a→動a 1UE
2 (4) 動a→∃y(頭ay) 2UE
5 (5) 馬a A
25 (6) 動a 35MPP
125 (7) ∃y(頭ay) 46MPP
8(8) 頭ab A
1258(9) 動a&頭ab 68&I
1258(ア) ∃y(動a&頭ay) 9EI
125 (イ) ∃y(動a&頭ay) 78アEE
12 (ウ) 馬a→∃y(動a&頭ay) 5イCP
12 (エ)∀x{馬x→∃y(動x&頭xy)} ウUI
従って、
(02)により、
(03)
(ⅰ)∀x(馬x→動x)
(ⅱ)∀x{動x→∃y(頭xy)}
(ⅲ)∀x{馬x→∃y(動x&頭xy)}
といふ「3段論法」、すなはち、
(ⅰ)すべてのxについて(xが馬ならば、xは動物である)。
(ⅱ)すべてのxについて{xが動物であるならば、あるyは(xの頭である)}。
(ⅲ)すべてのxについて{xが馬ならば、あるyは(動物である所のxの頭である)}。
といふ「3段論法」、すなはち、
(ⅰ)馬は動物である。 然るに、
(ⅱ)動物には頭が有る。故に、
(ⅲ)馬には動物の頭が有る。
といふ「3段論法」は、「妥当」である。
然るに、
(04)
(ⅱ)すべての馬の頭は動物の頭である。
といふことは、
(ⅲ)すべての馬には動物の頭が有る。
といふことに、他ならないし、
123 ∀x(馬x→動x)├ ∀x{∃y(馬y&頭xy)→∃y(動y&頭xy)}
といふ「連式」よりも、
□□□ ∀x(馬x→動x),∀x(動x→∃y(頭xy)}├ ∀x{馬x→∃y(動x&頭xy)}
といふ「連式」の方が、「分かり易い」。