オートバイで旅して観たモノの記録

 Ôtobai de tabi site mita mono no kiroku.

始神峠

2022年03月31日 | 熊野古道


 サボ鼻道展望台を後にし,国道42号線を南下して紀北町の三浦漁港の南に位置する始神さくら広場までやってきた.オートバイを駐車場に止めて,目指すは始神(はじかみ)峠だ.さくら広場から宮川第二発電所の前を通り過ぎると,峠まで続く江戸道が現れる.



 時刻は15時を過ぎ,太陽の位置が低くなっていることに気付く.ちょっと不安を感じたが,峠までは1キロメートルほどだから,暗くなる前に峠から戻ってこれるだろうと判断して,峠を目指して進んでいくことにした.夕暮れ時の熊野古道も案外いいかもしれない.



 ところで,始神という文字はこの辺りでは,標識などでよく目にするが,わたしのように関東出身の者にはどう読んでいいのか全くわからない.元々は,椒(はじかみ)と書いて山椒魚(さんしょううお)に由来するという.この道が開かれた江戸時代,この辺りには山椒魚がたくさんいたのかもしれない.



 それにしても,”始神”という文字と響きは何だかとても神聖な気がする.そして,夕暮れ時の始神峠江戸道は,山椒魚どころか植物以外生物の気配が全くなくて,静寂の世界が広がっていた.



 峠までの道は中盤を過ぎると,徐々に勾配を増していき,九十九折れが連続する登り道が続く.熱くも寒くもない気温だが,首筋にじわりと汗が滲んでくる.天狗倉山ほどではないが,なかなかにハードな道だ.



 そして,連続する九十九折れを登りきると,ようやく始神峠へたどり着く.峠では,木々の間からオレンジ色の夕日が差し込んでいて眩しかった.峠には江戸時代から明治時代までの間,茶屋があったという.



 始神峠からは,東の方角を一望することができる.三浦漁港の南にオートバイを停めた広場と発電所が見える.そして,三浦漁港の北側には,サボ鼻道展望台で見た紀伊の松島の風景が広がっている.



 江戸時代の越後の商人・随筆家である鈴木牧之(1770~1842年)がこの峠を通過した際,峠からの風景に感嘆し,次のような二句を呼んだという.

大洋に 潮の花や 朝日の出

待ちかねて 鶯なくか 日の出しほ




 鈴木牧之は中越地方で生まれ,北越雪譜(ほくえつせっぷ)という雪国の生活を著した書物の中で,雪の結晶のスケッチを紹介していることで広く知られ,ご存じの方も多いと思う.その牧之が雪の降らない熊野街道を旅していたとは意外だった.



 話が逸れてしまったが,始神峠について天保年間(1630年代)に書かれた紀伊風土記には,晴れたる日には富士をも望めると記載されているそうだ.産業革命以前の空は,どれだけ澄んでいたことだろう.
 砂州でつながった赤野島とオレンジ色に染まった高塚山展望台がきれいに見えた.



 さて,体も冷えてきたことだし,暗くなる前に下山することにしよう.江戸道をさくら広場に向かって下りて行く.登りと違って下りは本当に楽で,あっという間の内にオートバイの元へ戻ってこれた.夕日に染まったミカンがとても美しかった.



 初めて訪れた始神峠は,紀伊の松島を遠望できるすばらしい場所だった.

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