三重県は熊野市の熊野灘に面した傾斜地に波田須(はだす)町といって,集落が点在している.地理的には,獅子岩のある七里御浜と楯ヶ崎の中間に位置している.海岸線を走るR311から,熊野灘と集落の一部を見渡すことができる.
熊野灘の青い海がとてもきれいで,波田須町の前を走るときは,決まってここで景色を眺めながら休憩することにしている.そして,海の他に目につくのは,大きくてまあるいクスノキだ.このクスノキの下には,鳥居と祠があって,徐福が祀られている.
国道から集落,海の方へとなだらかな傾斜で下って行く狭い道がある.この道の終着地点が徐福の宮になっている.波田須町の集落へと足を踏み入れると,屋根瓦の日本家屋と青い海の風景が出迎えてくれる.
国道から徐福の宮までは,2キロメートルほどあって,近いようで意外と遠い.けれども,この小さなオートバイでなら,あっと言う間だ.狭い坂道を下って行き,点在する民家の間を走り抜ければゴールは近い.海へと一直線へ伸びる道が目印だ.
カーブの先に広がっていたのは,青い空と熊野灘の風景であり,胸のすくような眺めであった.海の手前には,紀勢本線の線路が走っている.
そして,ちょっと海岸の丘の方へと目を向ければ,徐福の宮の大きなクスノキと矢賀(やいか)集落が目前にある.まるで絵に書いたような素晴らしい里の風景だった.
徐福の宮の下まで行ってみると,大きなクスノキに圧倒されてしまう.そして,気が付けば,汗でびっしょりになっていた.朝晩や山の中は,もうすでに寒いので,厚着していたのだが,ここだけ初夏の様な気候だった.
クスノキの下には,徐福を祀ってある朱色の鳥居と祠があり,祠の後ろに徐福の墓の石碑が立っている.徐福は,秦の始皇帝から不老不死の薬を探すように命じられ,日本に上陸し,そのまま帰ることなく,日本人に農業や工業を伝承して,崇拝された人物である.徐福上陸の伝説が,丹後半島の新井崎神社や各地に残っている.
熊野灘の海岸斜面に点在する日本家屋と,ひと際おおきくて丸いクスノキの下にある徐福の宮.言葉では説明しきれない不思議な魅力に満ちた場所である.これもまた紀伊半島のミステリアスフェノメナのひとつかもしれない.しっかりと参拝を行い,徐福の宮を後にした.
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