Velo-city

"It never gets easier, you just go faster."

2010年夏 Day5 しまなみ海道~新見 206km

2010年08月05日 | 長距離



夜が明けた。

サンライズ糸山。格安な宿泊施設なのに、全部屋この眺望。夏の夜明けは朝靄が瀬戸内の島嶼部にたなびいて、絵巻のようだ。


ここが私が一人で泊まった4人部屋。自転車持込はまったく問題なし。


走り始める。前回来たときはポジションのあわないママチャリだったが、やっぱりロードは気持ちがいい。シャーっと早朝の来島海峡をわたってゆく。






島の主要産業は、観光と造船業。この瀬戸内海を、昔は連合艦隊の軍艦が渡って行ったのかな・・・と少年のような妄想をしながらゆ~っくり島をサイクリング。


我がレモン号のコクピット。林道太郎先生に貸していただいたフロントバックが今回も大活躍した。サイドポケットも開けやすい。よく出し入れする荷物はフロントバッグに、工具類は若旦那に借りたリクセンカウルのリアバッグにいれると、背中のポケットがかなり軽装備になる。暑さ対策の水かけも心置きなくできるわけだ。


そして暑さ対策。
気温30度以下:対策不要。
気温32度:水かぶり
気温34度:バブシャワー+水かぶり
気温36度:氷嚢作戦

氷嚢作戦とは、コンビニで買ったカチンコチンに凍ったドリンクを、日本手ぬぐいにくるんで背中につむ自己冷却術である。頚動脈が冷え、ラジエーター代わりになる。これだけ装備し、水分に注意し、オーバーペースに気をつければ真夏でもなんとかいける。
むしろ問題なのは平地の長い登り。長い登りは自分が熱源となってしまい、風の冷却効果も薄れるので本当に気をつけなければならない。
また、暑いからといって炭酸をがぶがぶのんで胃を弱めてしまうのも困りもの。胃がよわらないようにも気をつけた。といっても最後まで山のような食欲に悩まされましたがwww


だが、やっぱり、あちい。
特にしまなみは日陰がないしね。


多々良大橋
見事な橋が続く。ごきげんな70kmの道のりだ


GiantのGreat Journeyにのった若者が走っていた。よく見ると、サンダルだwww。埼玉からフェリーで四国に入り、四国を一周した後これから自走で埼玉へ帰るらしい。8月中に帰ることができればいいや、と言っていた。キャンプしながらの一ヶ月か。いいなぁ。俺のやっていることもあまり変わらないけどね。


因島大橋を越えると、しまなみも終わり。


対岸の尾道の町には、複数の渡し舟ルートがあるらしい。料金は70円で10分間隔。浦賀の渡しのフェリー版ですね。


尾道といえば、尾道ラーメンでしょ!とキョロキョロ物色していたら、駅構内にありました。

尾道ラーメンとは:wikiより
店ごとの独創性があり厳密な定義は難しいが、下記のような特徴が多く見られる。

醤油味をベースに、豚の背脂を使用
瀬戸内海の小魚によるだし(いりこだし)を加えた鶏がらスープ
歯ごたえのある平打ち麺
ネギ、チャーシュー、メンマを具材として使用

替え玉を二回頼みました。当然ですねwww。
店ではおばちゃんがパートの面接をしていました。生々しい家計の話題をBGMに、ズルズルズル。焦がしチャーハンもウマー。炭水化物ローディングを終え、一路備後の山の中に分け入ります。


今回の旅行で、もっとも地理勘のない中国地方山間部に入る。
海側の都市名はなんとかわかるが、内陸部となると、聞いたことのない地名ばかり。東西南北遠近さっぱりつかめない。

今日のゴールまでの道のりは:
尾道>国184>御調(みつぎ)>兼江橋から県道405>神農湖>三川ダム>備後三川>備後矢野>上下>県道423>神石>帝釈峡>東城>国道182号>鯉ヶ窪湿原>新見

このなかで全国区なのは日本○大渓谷の一つ、帝釈峡くらいでしょうか。すいません。でも超!新鮮でした。


三川ダムから箱庭のような農村を見下ろす。


ここは上下の町 分水嶺。とはいってもここから日本海までかなりありますよ。


途中地図をみながら国道をはずれたよさげな県道を探します。広域農道、こういう道はよく当たります。
備後備中備前、美作・・・といえば妄想は宮本武蔵に飛びます。

日本昔話にでてくるような農村ばかり。
「この農村では、江戸幕府が倒れても維新政府がなってもかわらない日常が流れたのだろうな・・・」
「廃仏毀釈の時は、お寺は排撃されたのだろうか・・・(寺の前)」
「戦争中もかわらない日常が流れたのだろうな・・」

なかなかの妄想力を発揮しながら、帝釈峡に進みます。


帝釈峡まで来ました。ここは紅葉のころ来るとよさげです。


味のあるお土産やさん


水槽の中には、巨大なオオサンショウウオがいました。


きれいな橋があったので、記念撮影をしました。


次の瞬間、上から自転車が降ってきましたwww


アップダウンを繰り返し、日の足が長くなってきた頃、やっと岡山県に入ります。相模の金太郎に吉備の桃太郎か!


日本の原風景。
ずっと線路沿いを走っていましたが、結局丸一日汽車を目撃しませんでした。ここは芸備線ですが、三次から新見間は、真剣に2時間に一本しか走っていないようです!輪行したら負けでした。


新見駅
駅までのケーキ屋さん兼観光案内所で、今夜の宿を探します。ここまでくると、安宿を探し当てる嗅覚が発達して来ました。
市街地からちょっと離れたところにビジネス旅館があります。


4000円♪
晩飯はほっかほか亭の岡山焼き鳥弁当大盛でした。

いよいよ明日は最終日。大山(だいせん)を越えて米子を目指します。1000km走って最後は山岳ステージだ!


この天然水を汲み取っている水源に行きます。

2010年夏 Day4 祖谷口~高知 その後輪行 150km

2010年08月05日 | 長距離
3日目。いよいよ祖谷渓谷を越え、土佐入りである。前日投宿した町のスーパーの女性の語尾が、かすかに土佐弁だったのを私は聞き逃さなかったwww



今日も暑くなりそうだと予報。この日は富士チャレンジ200の申し込み日。明け方3時にごにょごにょとエントリーの手続きをするために起床した勢いで、4時ごろ出発。まだ外は漆黒の闇。涼しい。


祖谷口からヒルクライムは始まる。ニャー!!!

近くの山間集落につながる道とは違い、祖谷渓谷に向かう道はなだらかだ。激坂を覚悟していたので、ちょっと拍子抜け。谷あいをぬうように標高を稼いでいくと、だんだんと薄ら明るくなっていく闇の向こうの山々がかなり深いのが伝わってくる。


夜がにじむようにあけていく。
この道はすごい。断崖にそって谷をはるか下に眺めながら高度をあげていく。実際の標高はたいしたことはないけれど、すぐ下に渓谷が流れているので、高度感がある。

ふわふわと、空中を走っている気になる。そう、ここは空中林道なのだ。


バックに見えるホテルには、谷底の温泉までケーブルカーでおりてゆく名物温泉がある。


祖谷渓谷名物のしょんべん小僧。

祖谷渓谷を更に奥深く入っていくと、名所かずら橋がある。平家の落人が追っ手からいつでも逃げられるよう、断ち切れるかずらで作ったという伝説が残る。


ここでは懐かしの(といっても私の記憶にはないけれど)ボンネットバスが運行しているらしい。


バス内部


これがその、かずら橋。日本三大秘境の割りには、ずいぶん立派なお土産センターがありましたが・・・
注:「岐阜県・白川郷」「徳島県・祖谷」「宮崎県・椎葉村」


朝の5時台なので、通行料をはらわずどしどし進み・・・めるわけありません。橋げたにつかまりながら、へっぴり腰ではいつくばりそうになって進みます。


一歩足を踏み外すと、ズボリ!


祖谷渓谷で登りきったと思っていましたが、実はここからが激坂ヒルクライムでした。これから登っていく道がかなり上の方に見えます。


忍者は軽々と登っていますが、かなりの勾配。自分自身が熱源になり、アチーアチーいいながら蛇行して進んでいきます。


のぼってきたなあ。ここは西祖谷の谷あい。この近辺にはもっと標高の高い峠がこじゃーんとあるがぜよ!


藁葺き屋根の料金所wを過ぎ、大歩危(おおぼけ)の集落へ高速ダウンヒルしていきます。


ここから高知までは、川沿いの60km。豊永から穴内までは、停車場道という生活道路が線路脇を走っています。


土佐犬が無造作に飼われています。


ちょっと登っているなーここ・・・
と思っていたら登りきりです。根曳峠 標高395m。
ここを越えると南国市。高知城下は目と鼻の先です。
ここまで750km走ってきた思いが胸にこみ上げてきて、ここからの下りは万感やまず、サングラスの下で感動で泣きながらダウンヒルしました・・・
うーん。年取ったなー。涙もろいぞー。

もちろん鼻歌BGMは龍馬伝でした♪
音痴ですよ。悪かったわね。


鏡川じゃ・・・

おみや~ん!


桂浜に近づくと、ボルテージは上がります。四国ではじめてお遍路さんを見かけました。内陸部にはあまりお寺はないですからね。

この後、結構な標高の橋を越え、やっと最初?の目的地、桂浜に到着。


とうとう桂浜まで来たぞなもし!
龍馬の頭が切れているのはご愛嬌。

自転車べこのかぁとして本望であります。(←とつぜん長州弁)

ちなみに岩崎弥太郎は江戸から土佐まで徒歩にて16日で踏破したらしいです。剛脚すぎるぞ弥太郎殿www


桂浜遠景


桂浜と自転車

・・・さて、歴男としてこの地は一週間でも回りきれないほど見所があるはずなのですが、早くも行く先が心配になります。どう考えても、今日これから梼原越えで伊予の国にでるのは無理。かといってそこに至る途中に手ごろな都市がない。本当は脱藩志士のたどった道で北上したいが、あまりにも獣道すぎる。かといって高知市で足止めするわけにもいかず。

そんなこんなで悩んでいたら、ぴーん!と何かがひらめいて、来た道を電車で帰ることにしました。

はりまや橋、龍馬記念館、土佐城、名所見物はまた次の機会で・・・


土讃線、一両編成です。


車内はこんな感じ。


青春18切符鈍行列車の旅ですので、停車時間が長い長い。
下手すれば自転車とどっこいどっこいか?
「次は○○~○○~。停車時間は20分。」
って止まりすぎだろ。

そういう時は駅の外を散歩しても大丈夫です。


特急列車南風の倍くらいの時間をかけて、やっと池田まで戻って来ました。

ここで脳内路線図と、時刻表を駆使します。土讃線は一度多度津の町(香川県瀬戸内海側)に大きく迂回してから予讃線になります。つまり、かなり大回り。しかも普通列車だから接続が悪い。

「自転車で峠越えた方がはやくね?」

三縄の駅で飛び降りて、山越えショートカットで阿波三島まで30km走る事にしました。


境目トンネル

これが大正解。エリエールティッシューの町、紙の街阿波三島についた頃には1時間の先行、そのまま一本前の汽車にのって、今治へ。そして今晩はしまなみ海道サイクルステーション、サンライズ糸山におとまり。

ここはいいですよ。4人部屋を一人で独占、しかも自転車の室内持ち込みはもちろんOK。料金も4000円台でした。

コンビニで伊予にきたらコレ!のじゃこ天を大量にかって乾杯です。明日のしまなみ海道を夢見ながら3日目の夜は更けていくのであった・・・

2010年夏 Day3 橋本~和歌山 徳島~祖谷口 145km

2010年08月05日 | 長距離





前日は目覚ましをセットせずに就寝したが、6時には起きてしまった。それでもフェリーの始発には間に合わない。60キロ先の和歌山港へ。和歌山へは24号線を紀ノ川沿いに南下する。橋本~高野山口~岩出~和歌山港

そういえば、この旅行中ずっとチェーンからカタカタ異音がする。走行に支障があるわけではないが、気になる。チェーン交換せずに1万キロくらい走っているから、そろそろ寿命なのかな?


和歌山市内に入って、自転車屋さんでメンテしてもらいました。
単にロックリングが緩んでいただけでした。大変申し訳ございません。これでストレスもなくなりました。


和歌山城下に来た頃には、炎天。逃げるように港へ。


フェリー乗り場の待ち時間は、これから四万十川を見に行くという還暦のハーレーダヴィドソン乗りと歓談して潰す。

南海フェリー 2600円(自転車込み)
和歌山~徳島間は2時間。途中全部寝ていたので記憶にございません。
一日の一番暑い時間帯を涼しいフェリーの中で過ごせたのは快適でした。


四国へ上陸。第三幕の扉が開ける・・・
気分はオマハビーチに上陸するA Companyですが・・・
次の瞬間、熱風の照射に一中隊全滅しました!


気温表示は38度!これは蒸発しますwww
髭も3日目にして伸び放題。野人化は進みます。コンビニに自転車を止めるときは常にエロ本コーナーの前。疲弊しているので思わず背表紙を熟立ち読みしてしまいます。傍から見たら犯罪者ですよね。地べたにばったりと座り込んで休憩。


ここまでバブシャワー+水かけ作戦で凌いで着ましたが、気温が体温を越えるともはや焼け石に打ち水です。
というわけで、氷嚢作戦を発動します。なんのこっちゃない、氷1キロを背中に担いで(正確には頚動脈を冷やしながら)走ります。これをやると、あら不思議、いつもとまったく同じ感覚で40km巡航できます。
・・・ただ追い風が吹いていただけでした。


吉野川。四国ですが吉野川。国道192号線を西進します。

この後鴨島にて坦々麺+チャーハン+餃子+キムチを爆食し、酷暑の阿波の国を西下します。今日は出発も遅く、フェリー乗船時間もあり、ゴール地点は山奥ですからあまり距離は稼げませんね。

実はここ阿波の国にきてからも、目的地に迷いがありました。

①高知桂浜まで南下し、梼原、松山、しまなみ海道をぬけて広島にゴールし、米子まで輪行
もしくは
②このまま西進して新居浜、しまなみ海道、広島、下関で九州を目指す

浜松でさようならをしたmasaさんは同時刻確実に九州に近づいています。このときはすでに100km西方に位置していた模様。というわけで、ネタかぶりを避け、土佐入りを決意。もともと土佐は憧れの国でもあるし(山岳ルートが唯一の心配の種ですが)


かつてPL学園と夏の甲子園で死闘を繰り広げた名門、池田高校
元巨人の水野や、南海の畠山など名選手を輩出。
やまびこ打線をよばれるニックネームは、まさにこの風景から生まれた。
その校歌が耳から離れない高校野球ファンも多い。

ムヒが丘に~
かゆみを越えて~ 
  池田♪ 池田♪模範堂♪

阿波池田から、高知に向けて32号線を南下する。今日中に祖谷を越えても、越えた先で宿の無い山間部に入ってしまうので、今日の目的地は祖谷口にする。32号線、しばらくすると吉野川の渓流沿いに、渓谷の山肌が左右から押し出す地形になってきた。エメラルドグリーンの奔流が目を洗う。ここはラフティングの一大メッカだそうだ。


上に視線を移すと、山の急傾斜の斜面にあろうことか集落が点在している。ざっと目視で標高差200m、平均勾配10%位はないだろうか。南信州下栗の集落を思い出す風景だ。
こりゃー登らないわけないだろ!よし、明日登るぞ!と意気込んで宿に入ったのであった。

宿泊はここ。賢見温泉。4200円だったかな。

お風呂に入って2秒でチン!夕食は大盛りペヤングでしたwww

2010年夏 Day2 浜松~伊良湖 伊良湖~橋本 232km

2010年08月05日 | 長距離





目覚めた。出発が朝3時の所・・・4時半(滝汗)
81キロ先の始発フェリーに向け、浜松~伊良湖個人TTの開始。平均29kmくらいでがんばりました。


潮見坂。なつかしいなあ。二年前はBチームトレインで登ったっけ。登りきった交差点で国道1号と分かれます。


夜が明けました。始発のフェリーに間に合わせるため、必死(汗)
渥美半島は基本平地です。アップダウンもありますが、ほとんど下りの勢いで登れるものばかり。ただ国道も飽きてしまいます。そんな中、サイクリングロードの看板が!


なーんだ!気持ちいい道があるじゃないですか。今度からここを使おう。


・・・とは思いませんでした。


フェリー乗り場まで、後少し。これが噂に聞いた最後の激坂か。


ここを越えれば・・・


伊勢湾だー!!!(歓喜)


9月に廃止になる伊勢湾フェリー。みなさーん。現在割引サービス中です。自転車で伊勢にいくなら9月までですよー!!!


鳥羽から20キロほど走って伊勢神宮に到着。ここで諸々のお守りをゲットする。しかし、日差しが暑い。何か食べなければ・・・


伊勢ときたら、伊勢うどん♪大盛をがつんと頂き、再スタート。なんといってもこれから峠を一つ越えますので。

ここからは多気を通過して飯南の町へ。
それにしても、暑い。気温は37度を表示している。たまらず路肩へ避難。


売店の裏の水道を失敬しました。
この後も農家の水道やら、途中の小川やら、利用できる水道は貪欲に無断利用させていただきました。ここでお詫びいたします。
秘密兵器バブシャワー・エキストラクールも併用なので、風邪ひきそうな位冷えます。


道の駅で旧街道情報を入手したので、ちょっと散策します。ここは、珍布(めずらし)峠


『伊勢と大和の国分け(国境の決定)伝説がある。礫石(つぶていし)という石が櫛田川の中にある。これは、伊勢の神アマテラスと、ヤマトの神が国境を決める際、アマテラスが石を放り込み、川で起きた波の届いたところまでを伊勢の国としたという伝説の石。そうして決定した国境が高見山(三重・奈良両県の県境)であるという。飯高町には、波瀬とか加波とか波留などと、「波」の文字の付く地名がたくさん残っているのは、そのためとか。
』・・・ここより引用

ちなみに、70㌔近くコンビニがありません。伊勢街道


飯高まで登ってきました。トイレの軒先にツバメちゃんの雛が。黄色いクチバシと、黒いオメメがかわいらしい。


山が深い


高見峠トンネルの標高は、625m。


高見山を下れば、そこは山深い東吉野。天誅組終焉の地でもあります。

天誅組とは・・・『天誅組(てんちゅうぐみ)は、幕末に公卿中山忠光を主将に志士達で構成された尊皇攘夷派の武装集団。大和国で挙兵するが、幕府軍の追討を受けて壊滅した(天誅組の変)。』


維新の魁たらんとした烈士、ここに眠る


吉村寅太郎最後の地。
辞世は
吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ


合掌・・・


鷲家口からの古道は、吉野街道。風情のあるいい道でした。
ここはもう一回走りたいな。


この後、奈良路はとっぷりと暮れてしまいます。宿に入りたいのですが、宿がある町がない山奥なので、結局50㌔くらい走って橋本の町へ。

泊ったのはこちら。残念ながら9月で店じまいだそうです。
なんと前日隣町の大豆戸町からサイクリストが高野山参りに来ていたとか。知り合いか?

この日もご多分に漏れず2秒で爆沈しました。この夜は目覚ましなしで。

2010年夏 Day1 横浜~浜松 260km

2010年08月05日 | 長距離


今年は3年連続となっていた北海道ではなく、本州を走ることにした。直前まで涼しい信州を走り回るか、炎天下にさらされて九州あたりまで行くか迷っていた。直前になって嫁が山陰で夏休みを取ることになったので、目的地は「西日本のどこか」に決定(笑)

そんな中、SNSでなにやらきな臭い書き込みを発見。この人が西にいくといったら、そりゃ大阪まででは終わらない気がするwww
せっかくなので便乗だ!

というわけで、林道太郎さんを道連れに、SSRなみなさんと茅ヶ崎Cマークに集合したのが朝の8時。

下記リンクから各々のGO WEST記をどうぞ。(書式はいただきました。マサさん)

◇TACHIくん◇Joeさん◇片瀬山さん◇アサノさん◇karzさん◇akiraさん◇Masaくん◇noahponさん◇ナカさん

箱根までが
◇ヨコヤくん◇林道太郎さん◇Akiくん◇藤之助さん◇ヲレちゃん?
由比までが
モリさんこうじさんtoyheartくん

~ここから変態~
焼津まで
◇あきくん
伊勢神宮まで
commuterさん
大阪まで
◇けんけん
だ、大宰府まで
◇masaさん

というわけで、一日目の顛末は諸兄のブログに詳しいので、思いっきりはしょります。箱根が暑かった話とか、ウ○コまみれの携帯の話とか。

朝の6時に、林道太郎さんと横浜を出発

途中神奈川の宿、港湾地区で道に迷います。地元なのに。
これも妖怪の仕業でしょうか。


発起人がウ○コまみれ事件に連座したため、田子の浦まで水先案内人を務めます。景色はいいが走るのは大変(単調・暑い・信号なし・向かい風)


今回の旅の導火線、けんけん
なんでも妻の待つ大阪に行くとか。
そう、目的地にまっている人がいると俄然モチベーションがあがるんですよね。
けんけんは同じLemondのチタンに乗っていました。


由比手前、全天候型CRにて。
このころ小田原で40分遅れていたマサさんが追いつきます。はやぇ。というわけで、先頭丸投げ


そろそろみんな暑さにやられてきた頃なので、ちゃんと座ってエネルギーを補給することにします。あの、おばちゃん、水は小さなコップじゃなくてピッチャーで頂戴。


桜海老掻き揚げ丼サービス大盛り♪


いいお店を教えてもらいました。今度は桜海老食べて、帰りは正雪の吟醸をクイクイしながら帰る輪行の旅がしたいですね>鰤ちゃん


食後のデザートとして、サッタ峠にしょっ引かれます。こんな感じです。今回の旅で唯一27Tがほしくなった瞬間でありました。


激坂ですが、短いですし、走りにくい国道を通るよりはいいかもしれません。こっちをメインルートにしましょうwww


東静岡を通過。ガンダムも気になりますが・・・


ニャロメ的には内府殿も気になります。なんかモビルスーツみたいです。


安部川を渡り・・・


岡部あたりから、登り基調になります。


丸子。ここら辺で5人列車が機能しなくなります。CommuterさんAkiくんとはここで無情の切り離し。嗚呼。


やじさん、きたさんの珍道中。
宇津の谷峠道の駅にて。ここから東海道コンシェルジュの味な街道の案内が・・・


トラックがバンバン行きかうトンネルの脇に、静謐にたたずむ宿場町がありました。ここを抜けると明治の隧道、昭和の隧道があります。


トンネルの中は、それはヒンヤリとして気持ちよい。しかし、このトンネルを境目に風向きが変わります。

とうとう来ました、遠州灘名物強烈な向かい風。いつもなら一人で泣きながら走るところですが、今回は3人列車。うまく連携をとりながら交代していきます。


静岡県志太郡。いわずとしれた日本酒どころ。ほかにも磯自慢、初亀、開運など、大好きな酒蔵があちらこちらに!!!それと向かい風は無関係に猛烈に顔に吹き付けます。


牧の原台地ヒルクライムをすることには夕暮れに。もちろん浜松まではウォーミングアップ(虚勢)ですから、クルクルまわして淡々と。


日坂のダウンヒルは転げるように先に進みます。

2年前のスポーク切れポイントからは浜松まで永遠に感じました。

この後、磐田手前の国道バイパス迷い込みトラップポイントも、マニアックな抜け道を使い見事クリア。全員がその抜け道をすでに熟知しているってどういう三人組なのだろうか。全員東京~浜松経験者か。

磐田までくると後もう少し。いや、後もう少しなのは私だけ。けんけんとまささんは今晩中に四日市くらいまではいってしまうでしょう。350㌔くらいか・・・おれには絶対デキネー

てなわけで、もはや定番と化したバーデンバーデンにとびこんだのでありました。


2秒でチン没www

この後1時間してCommuterさんも同じ宿に入ったらしい。

目覚ましを3時にセットして、就寝。