ウヒャーイ (((( ;゜Д゜)))
AKB街道 迂回を重ねて諏訪~浜松285km
獲得標高は4860 m←おっ♪
その前に、知らなかったらどうぞ♪
秋葉街道(国道152号)
秋葉神社
秋葉原、名前の由来
パート①
パート②
200gの減量に成功♪
私がAKB街道を知ったきっかけは、自転車人 No.012であった。この雑誌は非常にまじめに作られていて、2年たったいまでもときどき読みかえす。ここでの著者は3日間かけて210kmの道のりを走っている。途中の中央構造線、塩の道、青崩れ峠の担ぎなど、私が足早に通り過ぎてしまった箇所も詳細に、情感こめてしるされていている。興味のあるかたは是非。
名前:アルクマ
●信州だけに出没する、大変珍しいクマ。
●クマなのに寒がりで、いつも頭にかぶりもの。
●クマなのに旅好きで、いつも背中にリュックサック。
●信州をクマなく歩きまくり、信州の魅力を世の中にクマなく広めるのが生きがい。(公式ホームページより)
金曜夜、青春18きっぷを使い終電で茅野まで。長かった・・・
ニセ厚木を6時半に出て、茅野についたのが夜11時。ネットカフェがあるのを予習していたので、ここで3時半まで仮眠。
諏訪大社で早朝4時に安全祈願。この時に見たローソンを最後に、この後250kmコンビニを見ることがないとは・・・
杖突峠
一番最初の峠は、スタート直後に始まります。まだ体力もあるので、坦々と。曇っていますし、まだ暗いので、特になにもなし。
7.6 k, 450 m, 6%
杖突峠展望台に到着
ここからの景色は信州三景観の一つに数えられている。しかし、霧に閉ざされ何も見えず。
これを求めていたのだが!
八ヶ岳を一望できる他、霧ヶ峰、美ヶ原、北には北アルプスの山並までの展望が望める。また眼下には諏訪湖を望むことができる。・・・だそうです。紅葉の頃にリベンジか?
ここから高遠までは高速ダウンヒル区間。中央本線から抜けて、天竜谷でもなく、のどかな山の間を降りて行きます。空気が変わった気がします。確かに、秋葉街道へようこそ。
高遠城址公園
ここは桜の頃一度来てみたいですね。途中保科なんちゃらという地元の企業名を見てこっそり興奮したりします。
安宿
泊ってみたい。コンビニがないので携行食と自販機だけ。
おひとりさまはすばやくていいね。自販機休憩もクリートを片方外すだけ。ジュースをかったら飲みながら走る。空き缶は背中ポケットへ。
分杭を目指し長谷を南下
6.6km, 530 m, 8%の中級山岳。ですがそれまではしばらくだらだら登りです。
分杭峠
最初は直線のだらだら登り、最後はきつめの九十九折り。
北側からは勾配がきつい
和田峠のような大野山に似ている。
ゼロ磁場があるらしく、今はやりのパウワースポットのようです。
到着。
実はここに来るまでの道すがら
「この先通行止め」の看板がたくさんありました。ただ、今までの経験上、なんとかなると思い、
「歩行者自転車は大丈夫しょ!いっちゃえー!」
と後先のことを考えず降りてしまいます。もし本当に通行止めであればその時考えようと。
降ります。
降ります。
降りてます。
かなり降りてきました。
距離にして9km、600mくらい降りてきました。
さすがに不安になります。仮に土砂崩れでも、復旧工事をしているのであれば、何とか通してもらえるのではないかと・・・
いよいよ現場の看板が見えてきました。
ギャー!
蓋
人間、窮地に立つといろいろなことを考えます。私のとった行動は、
直進
担いでいけるものかどうか、まずは試してみます。
45%はあろうかという土石流の山を、クリートずぼずぼ、とりあえず向こう側が見えるところまで。
自分の転がした石ころが、奈落の谷底へ落っこちていきました・・・
どうやら、どこにもルートはないようです。しょうがない、登り返すか。ハー。
遭難はせず。失意の中、二度目の分杭峠♪
ここまでは、すべて計画通り、余裕をもってAKB街道を明るいうちに走破できるはずでした。ここにきて歯車が狂い始めます。
これが道路情報です。ツーリングは、計画的にね♪
伊那名物ローメン
地元のおじさんや、地元サイクリストにう回路を教えてもらいます。
中央アルプスの屏風!高い!
南駒ケ岳かな~
う回路は、天竜川を沿って伊那松川経由で小柴ダム(これも結構な坂)を抜けて大鹿村へでるものです。
天竜川沿いはサイクリストがたくさん。さすが飯田ですね。
時間があれば駒ヶ根で例のものを食べたかったのですが・・・
て、天保十二年!?
1842年のことです。
清国とイギリスの間で南京条約が締結され阿片戦争終結な年。
大鹿村
南アルプス山塊に抱かれて
左右から押しだしてくる山塊の迫力が丹沢の2倍くらいあります。ここは大鹿村、「日本一美しい村」の看板がありました。
おっ♪
ここは小渋橋の旧橋。「自転車人」の特集でも目にし、いつか行ってみたいと思っていました。
さて、これからが今回のメイン、地蔵峠+しらびそ高原です。地蔵峠はあくまで通過点ですが。
小渋橋から25km, 1150m, 5%の超級です。
国道♪
超級とはいっても酷道は酷道のまま。はやくサイクリング林道に格下げすればいいのに・・・ここら辺はまだ勾配も緩く、ルンルンです。
この後キャンプ場があり、安康露頭、というところを通過しました。先ほどの分杭峠崩落現場にも「北川露頭」というのがありましたが、これらはすべて中央構造線が地表に露出しているところらしいです。くわしいいことは大鹿村中央構造線博物館のHPを参考にしていただきたいのですが、下のような左側が西日本、右側が東日本な地層が露見しているサイトをたくさん通過しました。
北川露頭
歴史の勉強にも、地質学の勉強も乗りながらできる、自転車って魔法の乗り物ですね!
地蔵峠の九十九折り
えげつない。何曲がりあったのか・・・
月並みだが、「次こそは、いや次こそは・・・」と期待して何度も裏切られるカーブの連続であった。
後編へ続く。
AKB街道 迂回を重ねて諏訪~浜松285km
獲得標高は4860 m←おっ♪
その前に、知らなかったらどうぞ♪
秋葉街道(国道152号)
秋葉神社
秋葉原、名前の由来
パート①
パート②
200gの減量に成功♪
私がAKB街道を知ったきっかけは、自転車人 No.012であった。この雑誌は非常にまじめに作られていて、2年たったいまでもときどき読みかえす。ここでの著者は3日間かけて210kmの道のりを走っている。途中の中央構造線、塩の道、青崩れ峠の担ぎなど、私が足早に通り過ぎてしまった箇所も詳細に、情感こめてしるされていている。興味のあるかたは是非。
名前:アルクマ
●信州だけに出没する、大変珍しいクマ。
●クマなのに寒がりで、いつも頭にかぶりもの。
●クマなのに旅好きで、いつも背中にリュックサック。
●信州をクマなく歩きまくり、信州の魅力を世の中にクマなく広めるのが生きがい。(公式ホームページより)
金曜夜、青春18きっぷを使い終電で茅野まで。長かった・・・
ニセ厚木を6時半に出て、茅野についたのが夜11時。ネットカフェがあるのを予習していたので、ここで3時半まで仮眠。
諏訪大社で早朝4時に安全祈願。この時に見たローソンを最後に、この後250kmコンビニを見ることがないとは・・・
杖突峠
一番最初の峠は、スタート直後に始まります。まだ体力もあるので、坦々と。曇っていますし、まだ暗いので、特になにもなし。
7.6 k, 450 m, 6%
杖突峠展望台に到着
ここからの景色は信州三景観の一つに数えられている。しかし、霧に閉ざされ何も見えず。
これを求めていたのだが!
八ヶ岳を一望できる他、霧ヶ峰、美ヶ原、北には北アルプスの山並までの展望が望める。また眼下には諏訪湖を望むことができる。・・・だそうです。紅葉の頃にリベンジか?
ここから高遠までは高速ダウンヒル区間。中央本線から抜けて、天竜谷でもなく、のどかな山の間を降りて行きます。空気が変わった気がします。確かに、秋葉街道へようこそ。
高遠城址公園
ここは桜の頃一度来てみたいですね。途中保科なんちゃらという地元の企業名を見てこっそり興奮したりします。
安宿
泊ってみたい。コンビニがないので携行食と自販機だけ。
おひとりさまはすばやくていいね。自販機休憩もクリートを片方外すだけ。ジュースをかったら飲みながら走る。空き缶は背中ポケットへ。
分杭を目指し長谷を南下
6.6km, 530 m, 8%の中級山岳。ですがそれまではしばらくだらだら登りです。
分杭峠
最初は直線のだらだら登り、最後はきつめの九十九折り。
北側からは勾配がきつい
和田峠のような大野山に似ている。
ゼロ磁場があるらしく、今はやりのパウワースポットのようです。
到着。
実はここに来るまでの道すがら
「この先通行止め」の看板がたくさんありました。ただ、今までの経験上、なんとかなると思い、
「歩行者自転車は大丈夫しょ!いっちゃえー!」
と後先のことを考えず降りてしまいます。もし本当に通行止めであればその時考えようと。
降ります。
降ります。
降りてます。
かなり降りてきました。
距離にして9km、600mくらい降りてきました。
さすがに不安になります。仮に土砂崩れでも、復旧工事をしているのであれば、何とか通してもらえるのではないかと・・・
いよいよ現場の看板が見えてきました。
ギャー!
蓋
人間、窮地に立つといろいろなことを考えます。私のとった行動は、
直進
担いでいけるものかどうか、まずは試してみます。
45%はあろうかという土石流の山を、クリートずぼずぼ、とりあえず向こう側が見えるところまで。
自分の転がした石ころが、奈落の谷底へ落っこちていきました・・・
どうやら、どこにもルートはないようです。しょうがない、登り返すか。ハー。
遭難はせず。失意の中、二度目の分杭峠♪
ここまでは、すべて計画通り、余裕をもってAKB街道を明るいうちに走破できるはずでした。ここにきて歯車が狂い始めます。
これが道路情報です。ツーリングは、計画的にね♪
伊那名物ローメン
地元のおじさんや、地元サイクリストにう回路を教えてもらいます。
中央アルプスの屏風!高い!
南駒ケ岳かな~
う回路は、天竜川を沿って伊那松川経由で小柴ダム(これも結構な坂)を抜けて大鹿村へでるものです。
天竜川沿いはサイクリストがたくさん。さすが飯田ですね。
時間があれば駒ヶ根で例のものを食べたかったのですが・・・
て、天保十二年!?
1842年のことです。
清国とイギリスの間で南京条約が締結され阿片戦争終結な年。
大鹿村
南アルプス山塊に抱かれて
左右から押しだしてくる山塊の迫力が丹沢の2倍くらいあります。ここは大鹿村、「日本一美しい村」の看板がありました。
おっ♪
ここは小渋橋の旧橋。「自転車人」の特集でも目にし、いつか行ってみたいと思っていました。
さて、これからが今回のメイン、地蔵峠+しらびそ高原です。地蔵峠はあくまで通過点ですが。
小渋橋から25km, 1150m, 5%の超級です。
国道♪
超級とはいっても酷道は酷道のまま。はやくサイクリング林道に格下げすればいいのに・・・ここら辺はまだ勾配も緩く、ルンルンです。
この後キャンプ場があり、安康露頭、というところを通過しました。先ほどの分杭峠崩落現場にも「北川露頭」というのがありましたが、これらはすべて中央構造線が地表に露出しているところらしいです。くわしいいことは大鹿村中央構造線博物館のHPを参考にしていただきたいのですが、下のような左側が西日本、右側が東日本な地層が露見しているサイトをたくさん通過しました。
北川露頭
歴史の勉強にも、地質学の勉強も乗りながらできる、自転車って魔法の乗り物ですね!
地蔵峠の九十九折り
えげつない。何曲がりあったのか・・・
月並みだが、「次こそは、いや次こそは・・・」と期待して何度も裏切られるカーブの連続であった。
後編へ続く。