おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

ヤクに手を出した…。

2005-01-25 03:06:59 | 我思う、故に書くなりよ。
風邪にやられっぱなしでしおしお…。やられた後の話を聞きたいとリクエストがあったので…。

セキが止まらず、お鼻水をお垂らしになったお坊っちゃま状態が続くので、ティッシュの消費が尋常ではない。おまけに、普通よりもグレードの低いティッシュを使い放題だったわけで、鼻の穴やら唇がガサガサになってしまった。鼻で呼吸が出来ないと、口から呼吸が出来るので人間は凄いのだが、口の中が完璧に乾燥するとどうなるか? あちこち痛くなるのである。これも耐え難く、何度か水を飲みに起きたせいで、ぼんやりと寝ている状態。昼間の記憶がほとんど無く、ティッシュも底を尽いたので、所用のついでにコンビニでグレードの高そうなのを買う。本来ならティッシュで済ませるつもりが、途中から合流した妹の勧めもあって、薬を買いに行く事になった。

散歩のついでなので、途中から車になってしまうと本来の意味が無くなってしまうが、しぶしぶ連れて行かれる事になり、ついにヤクに手を出す事になってしまった。(陽も沈み、暗い中ではあるが写真を撮りながら歩いていたので…)

まぁ、症状が固定したら買いに出掛けるつもりだったので、どっちみち買うワケだったのだが、薬って高いから無意識に「イヤだ…」って事もあった。ビタミンCの大量集中導入でなんとかしようと目論んでもいたので、乗り気では無かったのさ。

まぁ、いろいろと並んではいるが、どれがどーなのかさっぱりなワケで、適当に選んでも高いし、面倒だったんだが、15歳未満服用しちゃダメ…って、いかにも「ハイパー」な予感のする薬があったので買ってみた。1日9錠。45錠だから5日分かぁ。悪寒のする様な熱も無いが、痰とセキ、鼻水、鼻詰まりに効くという「総合感冒薬 ぺラックコールド3」と、ドリンク剤「グロンサン強力内服液」を買って帰る。

食後に服用だから、何かしら食べてから飲んだ。6時間ほど経った現在、バッチリ効いている。うーん…。ハイパーなんだろうなぁ…。ティッシュの使用が気付くと止まっている所が凄い。手書きのポップで「いいとこ取りの最終兵器」ってオススメしていただけの事はあったみたいだ。

素直に薬を飲めば楽なんだが、鬱病になって、常時大量の薬を飲み始めてから「薬」に対する抵抗感が強くなってしまった。まぁ、2週間分を1度に貰うわけだから、それなりの量にはなるのだけれど、これが全部自分の体に入るって事と、入り続ける事が「恐ろしく」なってしまったのである。大人しく飲んでいても、睡眠導入剤以外にハッキリと効果の判る薬も無い事から、徐々に恐ろしさが強くなり、通院すら止めてしまった。医療的にはイケナイ事なんだろうが、もらっても飲めないし、ウンザリ感が強く、行く気にもならないのである。静かにだるさを和ませて過ごした方が、よっぽど病気にならない気がするので。

まぁ、鬱病はこんな調子で致し方ないが、風邪はちゃんと薬を飲んだ方が楽だな。実際、楽になってる。急に鼻の通りが良くなり、気管支にたむろしていた痰も消え、ゲホゲホ、オエオエから解放された。これって、結構危険なのだ。もっと重篤だったり、飲酒していたりすると、気管に吐瀉物が入り込み、そのままお亡くなりになるケースは実は多いんである。

だが、相変わらず、味と臭いがバカになっている。味が判らないのをいい事に、唐辛子をどこまでいれたら辛いと感じるか? なんて事もやってみたが、1ビン15g入れても判らなかったので、もったいないから止めた。素うどんが韓国名物料理に変わっていたので、ただならぬ事になっていたと思うのだが、全く辛味が判らない。辛味の効いた「つゆ」ではなく、どろっとした物に変わってる所が良かったのだが…。

唐辛子…まい…らぶ…って人なので、本人は奇異に感じないが、傍から見たら変だろうねぇ。

てなワケで、快方に向かっているんだと思う。諸症状の緩和なんつー取説的な意味ではパーフェクトではないだろうかねぇ。これがまた、インフルエンザなんかだとまた違うんだけど、それはまたの機会にでも…。

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異常であって病気で無い者 その3。

2005-01-25 02:26:11 | 我思う、故に書くなりよ。
昨年の暮れに容疑者が逮捕されて、その素性が徐々に明らかになっている。

まだまだ核心に触れる部分は少ないと思うので、細かく書けないが、犯行自体は至極普通にやられたワケで、誰が目にしてもおかしくなかったのに…と言う思いはある。用意周到でもなければ、卓越した知能犯でも無かったらしく、偶然が重なって、トントン拍子に進んじゃった感じが否めない。

事件が起きてから、2ちゃんねるでは矢継ぎ早にスレッドが立ち、消えていった。その全部を見ていたわけでは無いが、なかなか興味深かった。誰もが探偵になり、推理作家になり、事件にまつわる発言を繰り返す。総じて言えば、大当たりも大外れも無かったと思う。

ストレートに犯人に繋がる書き込みは無かったと思うが、それでいて何故? と思う人もいるかもしれない。噂話に何を言ってんだ…と言う人もいるだろうと思うが、その全てが無為と切って捨てる向きこそ的外れだと思う。

それは、なかなかの線で、犯人の習性とか生活環境に迫っていたと言う事である。一歩間違えば、偏見を助長したり、差別に繋がるかもしれない危険を含んだ物だが、プロファイリングと言う捜査手法が確立されていない現状においては、こうした推測すら望みの綱でもあるのは仕方が無い。テレビのワイドショーとか新聞報道、週刊誌の記事と何が違うかと言われると、全く根拠は無い与太話かもしれないのだが、こうした別の視線が犯罪者に向けられていると言う点において、新しい時代になったと言って良いと思う。

それぞれは姿の見えないネット上の存在でありながら、現実として事件を注視し、見過ごした物さえ浮かび上がらせる事の出来そうな「新しい視線」が犯罪者に向けられているって事がバカに出来ないと思うのだ。根も葉もない噂話や全くの作り話の混在する掲示板ではあるが、そこに関わった人間ならば、新しい何かを積極的に見ようとする。この視線を犯罪者は潜り抜けないといけなくなる事が少なからずプレッシャーにはなると思う。

事実は小説よりも奇なり…とは良く言ったもので、まさに奇なのだが、その奇も裁判が始まる頃にはハッキリしてくるだろう。異常ではあっても病気では無い者の1例が明らかにされ、人々の記憶にどう残るのか。残された記憶と照らし合わされて、新しい視線が生まれる。その視線こそが抑止力にも成り得るワケだ。

とは言え、誰も見ていなかったと言うべきか、見ていながら記憶に残さなかったと言うべきなのか、死角なんだねぇ…。

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