おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

癌という病気とどう向かい合う? 2。

2005-03-24 18:09:44 | 我思う、故に書くなりよ。
今日は市民病院から癌センターへの紹介状を貰うついでに、もうちっと詳しい事を聞いて来た。

とは言え、私が聞いたわけではないが「末期」のお墨付きを貰ったという。本人はさぞかしショックだろうと思うが、広義の意味で「余命2年は難しい」との宣告でもある。

んー。すると余所に転移している可能性も大なワケだが、見た限りピンピンしているし、痛いとか苦しいとか言う事も無いので、不思議な感じだろうと思う。種類で言えば、化学療法はあまり効果が高くないものだし、他所に転移となれば、放射線治療もどうなんだか。あまり芳しくは無いなぁ。

まぁ、詳しい検査が始まって、結果が出ないと何とも…だなぁ。紹介状貰ったからといって、すぐに治療が始まるワケじゃない所がミソ。末期な上に、入院まで待たされるなら、他の選択肢を探さないと本人にも気の毒だ。なんせ、早く治療して欲しいと思うのは誰だって同じだしなぁ。

奇跡を信じるのも良いんだが、得てして起こらない。だから「奇跡」と言う。本人が現状を理解して、頑張るのであれば応援するし、その時間もある。そう。時間との戦いが既に始まっているのである。

息子は鬱病で悶々と毎日を過ごし、父は死の宣告を受けて悶々と過ごすんじゃ、不幸の塊みたいだが、こうした不幸は別に珍しい事ではない。なるようにしかならない中で、ささやかな抵抗を試みるのも悪くない。黙っていても、お迎えはやがて来るんだし、それに備えるのも人間ならではだと思う。病は気からとも言うが、この「気」だけは本人以外にどうなんだか判るもんじゃない。ここ数日は「しおしお…」だろうけどねぇ。話には聞くが、体験しないと判らない「大変な事」がこれから沢山起こるんだと思う。命を左右する病気なのだから、相当なものなんだろうけれど、体験しない限りどんなものか判らない。

もう、随分と父と釣りに出掛けていない。これからかなり急展開すると思うので、父が病院に潜り込む前に、一緒に出掛けてみようかと思う。そんな余裕が残っていれば良いけれどなぁ…。

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癌という病気とどう向かい合う?

2005-03-24 10:05:11 | 我思う、故に書くなりよ。
父親が肺ガンに罹っている事が判り、家族は右往左往。

毎年、年齢的な事から健康診断を優先して受けられ、受けてもいたのに関わらずに「何故?」という気持ちも全く無いではない。が、得てして「そんなもん」である事は知っていたし、早期に見付かれば良い方なので、宝くじと変わりない事も知っている。

まぁ、風邪をこじらせて掛かり付けの病院で診て貰った所、大きな病院での検査を薦められて、検査したら、肺ガンと判り、告知の希望をしたので本人に告知されたワケである。

CTやらレントゲン、血液検査の結果を説明して貰い、どうやらリンパ節に転移が認められる原発性の肺ガンである事は説明を受けた様だ。

ところが、本人もその配偶者も「そこまで」しか聞いておらず、取り敢えず「入院」を薦められた様で、命に関わる病気でもある事ながら、他の病院という手段も考えても悪くは無いワケで、より専門医の多く、治療実績の多い病院への転院を希望するみたい。

それはそれで構わないし、その方が良いと思う。が、肝心な事をちゃんと聞いていないのか、話されていないのか、どーなんだか判らないが、あまりにも漠然とした「結果」しか得られていないのである。
肺ガンならば、肺のどの部分にどれだけ広がり、進行の度合いをステージで分けるなら幾つで、外科手術で延命が図れるものなのか、それとも投薬や放射線治療が主体となるのか? 現時点で判る事を正しく知らないといけない。

そこまで詳しく知らない段階で「告知」があるのかどうか疑わしいが、患者としても知って置かなければいけないワケで、その家族も同様だと思う。伝える事と知る事が「最初からうまくいっていない」。
断片的な事から推し量れば、父の予後は悪い。そもそも「肺ガン」は日本でポピュラーな癌であり、なおかつ、ある意味「絶望的」な癌でもある。切り取って何とかなるのは極早期の癌で、部位も切除に恵まれていればの話。放射線療法や化学療法で持たせる齢は短い。余程、運が強くなければ現状維持も難しく、あれよあれよと言う間に限られた時間が残り少なくなるし、容貌も大きく変わってしまったりする。

正しく現状を知る事で、どう向かい合うか? 本人は決めなければならないし、家族もそれを理解しないといけない。「知る」という事が非常に重要な事であるって意識を強く持たなければ、戦うにしろ、降参するにしろ、手段の選択は出来ないんである。

良い方に向かう事を希望するのは誰でも同じだが、現実の問題として結果は「悪い方」に向かう。だが、これは致し方ないし、医者も患者もそうならない方向で話を進めるのが常。結果的に悪い方に向かうとしても、向かい方、取り組み方次第で「良い方向性をもった結果」を得られると思う。

そんなこんなも本人がどう考えるか次第でもあるから、いろんな選択肢を提供出来る立場でいてあげたいとは思うんだが、人の価値観はそれぞれ違うから、うちの場合は結構難儀かもしれないなぁ。

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