走ってるのを偶然見た。
スカイラインで無くなり、NISSANのGTRってコトで、昨年のモーターショーでは話題独占…とか。
GTRじゃないスカイラインは運転していたコトがあるので、憧れでもあるし、いつかはクラウン…じゃあなく、GTRなおじたんなのであった。
何故だか知らないが、車の通りも無いのに非常にゆっくりと走っていたので、しげしげと見る事が出来たのだが、あまり感激が沸いてこない。確かに、外見はド迫力そのものなのだが、何故だか沸いてこないんである。R34-GTRをディーラーで見た時は「んあぁぁ!」ってほど感激したのだけれど、比較にならないほど感動が沸いてこない。
性能は恐らく世界でもトップクラスだろうと言われているし、国内の公道じゃ走らせる意味が薄いくらいにすげぇ…とも聞くのだが、まぁ、似たような尾ひれのついた車は過去にもあったし、それなりに見た時のインパクトも少なからず伴ってはいたんだけれど…。
何でだろう…? と、考えているうちに、白い車体を街灯のオレンジ色に染めながら、するする…と走って行っちゃった。
買い物している最中にも気になって仕方が無い。走ってナンボ、運転してナンボ…な車なのだろうけれど、逆立ちしても、首吊っても買えないだろうけれど、欲しい…って感情が出て来ないばかりか、皆無なのである…。
つまるところ、好きなカタチじゃ無いだけで、こーも心がトキメかない人間なのか?
そんな人間になっちまったのか? おれ…。
確かに、愛用のケータイもデザインが気に入って新シリーズに替えて無いし、得られるモノが結果的に同じならば、デザインを優先する…って人間ではあるのだけれど、そんなのを吹き飛ばすだけの高性能を知っているワケで、それでいてこの心のもどかしくもポッカリと鎮座する、どことない寂しさ…はなんなのだろう?
Rよ、R。ニュルをにゅるにゅるなのよ? 無茶すると保証消えちゃうのよ?
そんな日本車があったであろうか。無い。それなのに…。
かつて昔、スーパーカーが停まっている…と言う不確かな情報だけで、何時間も自転車を漕いで見に出掛けた。幾度ものガセ話に疲れ果て、暗くなった夜道を怖さと焦りに駆られて必死に家路を走った、あの時のトキメキと期待と感動が沸いてこない。
遠路はるばるやって来て、海老名SAに裏から忍び込み、駐車しているランボルギーニのミウラを初めて見た時の感動。キレイとは言えなかったが、スーパーカー大全集に載っているままのカラー。どこを見ていいのか判らなくなる視点。疲れでひざがカクカク震え、夢中でおやじのカメラのシャッターを切りまくった、あの時の感動と驚きは忘れないでいたつもりなのだが。
「オーラが出てないんだろうな…きっと…」
車の外観が不用意に丸くなり始めた頃から、同じ様な不満は絶えず心の中にはあった。丸くても良いし、理に適っている場合だってそこにはあるのだが、どこかしら中途半端な感じが拭えず、興味を殺がれてしまう…。GTRも同じなのだろうか? と、あれこれ考えたのだが、んー。判らない。既に車のデザインも出尽くしちゃった感じもあるので、どうだったらトキメクのか判らないのだけれど、とりあえずトキメかないって事なんである…。
「に、日本の車のある意味『究極』をこの目で見て、そんなんでいいのか? な?」
鬱病持ちとは言え、自分に困惑してしまう車を見てしまったんである…。
スカイラインで無くなり、NISSANのGTRってコトで、昨年のモーターショーでは話題独占…とか。
GTRじゃないスカイラインは運転していたコトがあるので、憧れでもあるし、いつかはクラウン…じゃあなく、GTRなおじたんなのであった。
何故だか知らないが、車の通りも無いのに非常にゆっくりと走っていたので、しげしげと見る事が出来たのだが、あまり感激が沸いてこない。確かに、外見はド迫力そのものなのだが、何故だか沸いてこないんである。R34-GTRをディーラーで見た時は「んあぁぁ!」ってほど感激したのだけれど、比較にならないほど感動が沸いてこない。
性能は恐らく世界でもトップクラスだろうと言われているし、国内の公道じゃ走らせる意味が薄いくらいにすげぇ…とも聞くのだが、まぁ、似たような尾ひれのついた車は過去にもあったし、それなりに見た時のインパクトも少なからず伴ってはいたんだけれど…。
何でだろう…? と、考えているうちに、白い車体を街灯のオレンジ色に染めながら、するする…と走って行っちゃった。
買い物している最中にも気になって仕方が無い。走ってナンボ、運転してナンボ…な車なのだろうけれど、逆立ちしても、首吊っても買えないだろうけれど、欲しい…って感情が出て来ないばかりか、皆無なのである…。
つまるところ、好きなカタチじゃ無いだけで、こーも心がトキメかない人間なのか?
そんな人間になっちまったのか? おれ…。
確かに、愛用のケータイもデザインが気に入って新シリーズに替えて無いし、得られるモノが結果的に同じならば、デザインを優先する…って人間ではあるのだけれど、そんなのを吹き飛ばすだけの高性能を知っているワケで、それでいてこの心のもどかしくもポッカリと鎮座する、どことない寂しさ…はなんなのだろう?
Rよ、R。ニュルをにゅるにゅるなのよ? 無茶すると保証消えちゃうのよ?
そんな日本車があったであろうか。無い。それなのに…。
かつて昔、スーパーカーが停まっている…と言う不確かな情報だけで、何時間も自転車を漕いで見に出掛けた。幾度ものガセ話に疲れ果て、暗くなった夜道を怖さと焦りに駆られて必死に家路を走った、あの時のトキメキと期待と感動が沸いてこない。
遠路はるばるやって来て、海老名SAに裏から忍び込み、駐車しているランボルギーニのミウラを初めて見た時の感動。キレイとは言えなかったが、スーパーカー大全集に載っているままのカラー。どこを見ていいのか判らなくなる視点。疲れでひざがカクカク震え、夢中でおやじのカメラのシャッターを切りまくった、あの時の感動と驚きは忘れないでいたつもりなのだが。
「オーラが出てないんだろうな…きっと…」
車の外観が不用意に丸くなり始めた頃から、同じ様な不満は絶えず心の中にはあった。丸くても良いし、理に適っている場合だってそこにはあるのだが、どこかしら中途半端な感じが拭えず、興味を殺がれてしまう…。GTRも同じなのだろうか? と、あれこれ考えたのだが、んー。判らない。既に車のデザインも出尽くしちゃった感じもあるので、どうだったらトキメクのか判らないのだけれど、とりあえずトキメかないって事なんである…。
「に、日本の車のある意味『究極』をこの目で見て、そんなんでいいのか? な?」
鬱病持ちとは言え、自分に困惑してしまう車を見てしまったんである…。