おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

戸越銀座マッドネス。

2008-01-07 09:16:36 | 我思う、故に書くなりよ。
『キチガイに刃物』。

加害者優先の人権国家だから、あまり大きな声じゃ言わなくなったのだけれど、まさにその通りで、こうしたのはいつの世でも消えて無くなるワケじゃない。

どうせ、対策は散弾銃と同じでね、人間よりもモノを取り締まるのがお得意な国なので、包丁が規制強化…となるだけだから、根本的にはあまり解決には結びつかないのだろうと。これで、本当に包丁が必要な人が手軽に買って帰れなくなる…かどうかは定かじゃないが、方向としてはそんな感じだろう。

知人が幾人か戸越銀座に住んでいるので、連絡を取ってみたが、誰もが、幸いに当地には居なかったので、事件は事後に知ったという。それでも、毎日の食材を買いに出る商店街には変わらないので、とんでもなく『こえーーーっ!』って話だった。

そりゃそうだよな…。商店街なんてどこだって「オープン」な環境だし、どこへ逃げても行き詰まる様なもんだし、被害者かくまって、自動ドアをロックしたお店は実にGJ! だったねぇ…。

この国ではそうした犯罪を犯した人間、犯す恐れのありそうな人間を、どーにかするって方向に期待は望めないから、やはり「自衛」する他に方法も無い。たとえ、こんな事件であっても、護身用のスプレーなんぞ撒いたりしたら、やはり取り締まられるワケで、基本的に護身用…ってモノが全く意味を成さない国でもある。

『人を外見で判断して可能な限り遠ざかる。』

これ。これしか方法は無い。両手に包丁を持っていたり、それがパンツ1丁で白のブリーフだったり、頭に懐中電灯を2本くくりつけていたりもすれば、非常に判りやすいのだけれど、そうで無いの場合が日常のほとんど。

周囲の人間にどうした人間がいるのか、無関心でいると、遠慮なく刺されるコトもあったりするのだ。ご近所さんって範囲なら、近づいちゃイケナイ人間かどうか、耳にも目にも出来るのだろうけれど、街中じゃそうも行かない。しっかりと外見で判断して、程度の良し悪しを考える事無く、極力避ける。これしか方法が無い。

ドラマでもやっているが、要人警護の鉄則でもある。襲ってくると言う行為を防ぐ事はムズカシイ。だから、まず『逃げる』のである。決して対峙しちゃダメなんであるね…。

子供連れなら、子供をまず匿い、速やかにその場から離れる。理由も理屈も要らん。

のほほんと、歩いていられるコトが本当は理想なのだけれど、現状ではキチガイが野放しである。人権を気にして誰も言わないが、理由、方法を問わず、他人に危害を加える恐れのあるキチガイが野放しで、事件が起きた後には必ず、専門家の「予見できなかった…」のオマケが付いて回るだけってコト、刺されてもたいした保障も得られないコト、相手によっては結果がどうあれ諦めなければならないコトを、知っておかねばならないんである…。

これ、本当はとても悲しいコトなんだな。人権だけが先に走ってしまい、医療やそれにまつわる社会整備がまったく追いついていないってコトなのである。そうした現状をずっと先送りにしてしまった壮大なツケ。場当たり的な対処しか出来ないワケでは無いのだろうけれど、やらずに来てしまった。加害者になりうる人は、望んでそうなってしまったワケじゃないかもしれん。そうした人達への、そうでない人達からのアプローチが全く疎かになってしまっている。結果からしか判断出来ないコトは、本来はとても遅れた話であって、良い方向では決してない。もっと、中身のある規制や話し合いが濃く行われてこなければならなかったのに、それをやるだけの時間はあったハズなのに、何もかもが時代遅れになってしまっているんであるな…。

ま、取り敢えず『逃げる』。これしか、自身を含めて、家族、仲間、友人を守る術が無いのは間違いないねぇ…。



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