古紙配合率、全5社偽装 日本製紙社長辞任へ(朝日新聞) - goo ニュース
相変わらず「ジャンル」は無視してランダムに…。
まぁ、古紙に限らず、リサイクルしてやっていける製品ってのがどれほどあるのか、ここいらでハッキリした方がいいんじゃなかろうかと思う。
ゴミの分別が厳しく強いられており、それに従いながら生活をしているのだけれども、これは分別されて、利用できるモノは再度利用されて、焼却して灰になるものは灰に…ってコトを前提としている。
じゃあ、ちゃんと灰になっているのか? はともかく、ちゃんとリサイクルされて再利用されているのか? ってのは、普通にゴミを出している身分じゃ確かめようも無い。
「どこかで一緒くたにして燃やしてたり、埋め立ててはいないだろうか?」
「そのまま海外に売った方が儲け出るから売られてんじゃねーか?」
そうした疑問は必ず付いて回るものだが、あまり明らかにされていない。
逆に、リサイクルすることでベラボーな値段になってしまう製品だってあったりもするワケで、そうした金銭的な無理をするよりも、暗に処分してしまった方が早いし、なにかと都合が良い…ってコトで、リサイクルと銘打っておきながら、そうも出来ずにそうしちゃっているモノもあるんじゃないかと思う。
仮に、ペットボトルがリサイクルされて再びペットボトルになるとして、その費用が莫大なモノとなってしまい、普通にリサイクルなんかせずにペットボトル作った方が何かと良いのに、エコだのリサイクルだの…ってコトを謳いつつ、リサイクルを強いる様であるならば、いったいどこまでが虚構なのかも定かじゃなくなってしまう。
モノに因っては、古紙の様に、偽装しないと品質が保てず、100%再生なんてのが無理ってモノが出て来たりしているワケで、そうした歪を隠しちゃエコだのリサイクルだのが根本からおかしくなってしまう。
いったい、リサイクルの真実はどうなのか?
「リサイクルしたけど、こんな品質になりました…。我慢してね…。」
「再生紙ですが、白くはなりません。あしからず…」
ってのを判って使うべきであり、それらを隠しちゃダメだとも思うのである。ゴミの収集から先が不透明なリサイクルじゃあ、エコ以前の話。何か、とても大きなうやむやに包まれたまま、リサイクルを続けて行く不安。そうした流れに乗る不安を感じてしまうんである。
ひいて、これらは地球に優しいものか?
実際には、もう地球温暖化なんてのは手遅れで、無駄に向かって地球規模に動いているのかもしれないのだが、とりあえず、ゴミを分別することで、出るゴミを極力減らそうと言う趣向にはおじたん的にはなっている。過剰な包装の商品を購入する事をためらうようになったし、生ゴミを今後肥料化して収集してもらう量を少なくしようと言う戦術も考えるようにはなった。
それだけで、とりあえずは良い…と思うのだけれど、世を席巻するこれらのムーブメントにどれだけ効き目があるのかどうなんだか、こうした現実が散見されるたびに疑問には思うのだなぁ…。
やはり、そろそろどの業界も真実を明かすべきだろう。
「すいません。リサイクルしたら来月から小売価格¥100上がります」
「あー。もう、無理。リサイクルやったら販売なんか出来ないです…」
それで良いと思う。逆に、リサイクルすることで万事良くなる製品だって出て来る。
「えー。今はちょいとお高いですが、リサイクルするとこの先お安く出来ます。」
「みなさんがリサイクルしてくれたお陰で、この値段で!」
って具合にもなるんじゃないかと。だからこそ、常に現時点での真実を明かしていくべきだ。
大きな動きに乗るのが目的で、真実を隠してしまうと、反動が恐ろしい…。
「ウチのこの製品、あと20%リサイクルしてくれると、ここまで進みます…。」
と言うアピールが全く無かったりする。「恐らく、そうなんだろう…」と、無下に信じたり、思う事が、全くエコでも無ければ、リサイクルでも無いんだという、現実を明らかにしていく勇気が必要じゃないだろうか…。
それが真実ならば、受け入れて然るべきだと思う。リサイクル率が低い企業であっても、その理由がちゃんと説明できれば、応援してくれる消費者だっていると。
「ウチの缶詰の缶。そろそろヤバイです。缶のリサイクルを応援してください!」
「おおう! 乗ったろうじゃないか! 缶だな? ブリキか? アルミか?」
と、そんなコミュニケーションがあって成り立つ運動ではないだろうか?
また、自分の出したゴミの行く末をちゃんと見届けるコトも必要である。それが可能なトコロに住んでいるのかどうか、電話で確かめるだけでも簡単である。
「あー。ちょっとやってません…」なんて言う市町村や区、都や県や道なら限りなく怪しい。分別にそって処理しているなら、見せても構わないモノだし、見られて困る事なんか無いハズ。そうした「オープンさ…」ってトコロから、こうした動きは始まっているに相違ないのだからね…。
相変わらず「ジャンル」は無視してランダムに…。
まぁ、古紙に限らず、リサイクルしてやっていける製品ってのがどれほどあるのか、ここいらでハッキリした方がいいんじゃなかろうかと思う。
ゴミの分別が厳しく強いられており、それに従いながら生活をしているのだけれども、これは分別されて、利用できるモノは再度利用されて、焼却して灰になるものは灰に…ってコトを前提としている。
じゃあ、ちゃんと灰になっているのか? はともかく、ちゃんとリサイクルされて再利用されているのか? ってのは、普通にゴミを出している身分じゃ確かめようも無い。
「どこかで一緒くたにして燃やしてたり、埋め立ててはいないだろうか?」
「そのまま海外に売った方が儲け出るから売られてんじゃねーか?」
そうした疑問は必ず付いて回るものだが、あまり明らかにされていない。
逆に、リサイクルすることでベラボーな値段になってしまう製品だってあったりもするワケで、そうした金銭的な無理をするよりも、暗に処分してしまった方が早いし、なにかと都合が良い…ってコトで、リサイクルと銘打っておきながら、そうも出来ずにそうしちゃっているモノもあるんじゃないかと思う。
仮に、ペットボトルがリサイクルされて再びペットボトルになるとして、その費用が莫大なモノとなってしまい、普通にリサイクルなんかせずにペットボトル作った方が何かと良いのに、エコだのリサイクルだの…ってコトを謳いつつ、リサイクルを強いる様であるならば、いったいどこまでが虚構なのかも定かじゃなくなってしまう。
モノに因っては、古紙の様に、偽装しないと品質が保てず、100%再生なんてのが無理ってモノが出て来たりしているワケで、そうした歪を隠しちゃエコだのリサイクルだのが根本からおかしくなってしまう。
いったい、リサイクルの真実はどうなのか?
「リサイクルしたけど、こんな品質になりました…。我慢してね…。」
「再生紙ですが、白くはなりません。あしからず…」
ってのを判って使うべきであり、それらを隠しちゃダメだとも思うのである。ゴミの収集から先が不透明なリサイクルじゃあ、エコ以前の話。何か、とても大きなうやむやに包まれたまま、リサイクルを続けて行く不安。そうした流れに乗る不安を感じてしまうんである。
ひいて、これらは地球に優しいものか?
実際には、もう地球温暖化なんてのは手遅れで、無駄に向かって地球規模に動いているのかもしれないのだが、とりあえず、ゴミを分別することで、出るゴミを極力減らそうと言う趣向にはおじたん的にはなっている。過剰な包装の商品を購入する事をためらうようになったし、生ゴミを今後肥料化して収集してもらう量を少なくしようと言う戦術も考えるようにはなった。
それだけで、とりあえずは良い…と思うのだけれど、世を席巻するこれらのムーブメントにどれだけ効き目があるのかどうなんだか、こうした現実が散見されるたびに疑問には思うのだなぁ…。
やはり、そろそろどの業界も真実を明かすべきだろう。
「すいません。リサイクルしたら来月から小売価格¥100上がります」
「あー。もう、無理。リサイクルやったら販売なんか出来ないです…」
それで良いと思う。逆に、リサイクルすることで万事良くなる製品だって出て来る。
「えー。今はちょいとお高いですが、リサイクルするとこの先お安く出来ます。」
「みなさんがリサイクルしてくれたお陰で、この値段で!」
って具合にもなるんじゃないかと。だからこそ、常に現時点での真実を明かしていくべきだ。
大きな動きに乗るのが目的で、真実を隠してしまうと、反動が恐ろしい…。
「ウチのこの製品、あと20%リサイクルしてくれると、ここまで進みます…。」
と言うアピールが全く無かったりする。「恐らく、そうなんだろう…」と、無下に信じたり、思う事が、全くエコでも無ければ、リサイクルでも無いんだという、現実を明らかにしていく勇気が必要じゃないだろうか…。
それが真実ならば、受け入れて然るべきだと思う。リサイクル率が低い企業であっても、その理由がちゃんと説明できれば、応援してくれる消費者だっていると。
「ウチの缶詰の缶。そろそろヤバイです。缶のリサイクルを応援してください!」
「おおう! 乗ったろうじゃないか! 缶だな? ブリキか? アルミか?」
と、そんなコミュニケーションがあって成り立つ運動ではないだろうか?
また、自分の出したゴミの行く末をちゃんと見届けるコトも必要である。それが可能なトコロに住んでいるのかどうか、電話で確かめるだけでも簡単である。
「あー。ちょっとやってません…」なんて言う市町村や区、都や県や道なら限りなく怪しい。分別にそって処理しているなら、見せても構わないモノだし、見られて困る事なんか無いハズ。そうした「オープンさ…」ってトコロから、こうした動きは始まっているに相違ないのだからね…。