世界にちゃんとお礼を言うキャンペーン…続いてます。勝手に…。
ぼちぼち、帰っちゃったけど、世界の救助隊のみなさん。ありがとう! 来るときだけ報道して、帰るときは何も報じなくて、ごめんなさい。そうした国です、日本は。ごめんなさい。
でも、みなさんの活躍が記録はされてもいると思うので、落ち着いたらそうした紹介報道もされると思います。そうした映像を見る度に、感謝しこそすれ、その活躍を忘れたりはしません。世界のどこかで、また活躍してください。
さて、1ヶ月経とうとしている…。
亡き父の故郷が宮城県だったので、親族が被災しており、犠牲者も出ている。親族とはいえ、ほとんど近しく無いので、そんな親族がいたかどうかなんてのは、親世代じゃないと判らないのだが、内陸に住んでいる方の親族はほとんど被害もなく無事。ただ、街へ出れば、壊れているので大変は大変だと。
犠牲者が出たのは海沿い。震災直後の報道で、跡形も無くなった光景を見ているので、あそこで生活していたとなれば厳しいだろうとは言っていたんだが…逃げた親族が生存しており、その様子を知ることが出来た。
「逃げ遅れたというか、逃げなかったかも…」
大きな津波が来ると言う警報はうるさいほど街に流れていたし、津波が来るまで逃げる時間もあったと言う。大方の住民はいつも通りに逃げたそうだ。ただ、逃げる途中で波に飲まれた人もいれば、逃げる方向を間違えて姿を消した人もいたと。
逃げるに難儀な方だったのかと問えば、そうでは無かったとも言う。別に、逃げないと決めて、その場にとどまったワケではないらしいが…結果として家と共に潰れた状態で見つかったそうだ。
逃げる、逃げない…ちょっとした時間の判断で、生死がハッキリと分かれてしまった。幾度も大きな津波でえらい目に遭ってもいる街だったから、誰もが備えていて、生きるための方法も生き延びる為の方向も、身につけていたにも関わらず、何かに迷ったのだろうか…。
国策としてのボランティア投入は失敗しちゃっているので、居所が判っているならば、ダイレクトに送った方が確実に必要なモノが届けられる様になってもいる。見舞金と弔慰金をいくばくか、下着、切り餅などを送ったが、切り餅は喜ばれた。未だに、満足に食料すら届いていない地域があり、ボランティアもそれを知っていながら、物資が届かないなんて事になってもいるそうだ。
困ったことに、ボランティアに役所の人間でもついて回っていれば安心できるが、ボランティアなのか、何しに来てる人なのか定かじゃない人間がうろうろしてたりすると言う。ま、見た限りじゃ悪さしている風には見えないらしいが、おおよそ、ボランティアとも考えられない連中が廃墟の街をうろうろしてたりするんだそうな。
ま、失敗しちゃってんだから致し方ないが…見た目で判るくらいの統一くらいはしてくれないとなぁ。
米軍の機動力はマジですごかったらしい。自衛隊の足での支援も頼もしいモノだった言う。
「オカーサン! ダイジョーブデスカっ!」
やおら高い所を飛んでいたヘリが、突然、轟音と共にスピーカーで呼びかけ、缶詰の段ボールとミネラルウォーターのペットボトルをボトボト落として去っていったと言う。
缶詰は日本製だったが、水はあちら製で、読めないけど飲んでも悪く無さそうだったので頭を洗ったと。津波に飲まれて風呂に入れないと、頭から考えられない臭いがしてくるんだと…。
自衛隊の人は、度々訪れて、持ち合わせの物資を置いていってくれる。薬も、あれば置いてゆくし、次に来たときも必ず前に無かった薬を届けてくれているそうだ。車など入って来られない瓦礫の中を、はいずり回ってやって来て、わずか数時間で道を道に戻して、避難者に声と水と食料を届けてくれたと言う。避難している人数には届かないが、誰かが助けに来てくれる事が実感できた事に、涙が止まらなかったそうだ。
「何もかも失ったおばあさんと孫みたいな自衛隊のお兄さんが一緒に泣いていたんだよ。それまで、おばあさんのふるえが止まらずに、みんなが心配していたんだけれど、おばあさんは元気になったんだよ」
意外なことに、乾電池は普通にコンビニまで行けば売っているそうだ。こっちじゃ手に入らない事を伝えると、驚かれた。ただ、余震の度に品切れにはなるという。そもそも、ほとんど流されちゃって、電池を使う製品すら無いので、あまり買わないみたいだが。
避難所とも言えないような小さな避難所まで必要なモノが届けられる日が、早く来ればいいと思うが、そうした対処が遅れに遅れている様だ。
「宅急便の方が早いよ。郵便も届く。でも支援物資は届かないな…」
当地からの要望で、おしぼりウェッティ的なモノを100均で買い占めて、段ボールで送ることにした。風呂に入れないので体が拭けるだけでもありがたいそうだ。小型のラジオも1つ送った。避難所に行けば、テレビもあるそうだが、ラジオの方が情報が濃く、タイムリーだとも言う。震災に特化したコミュニティFMが多く開局しているのは、不幸中の幸いじゃなかろうか。コミュニティだけに、エリアが限定されているだけにメリットもデメリットもあるが…
「山さ上ればさ、聞こえるンだな。」
1ヶ月経って、まだまだ…。広域に激甚なだけに難しい事も多いだろうけれど、この国は多くの震災を経験していただけに、何かと残念な面が現実に起きている。徐々にではあるが、解消されて来ているとは言っても、経験を生かしてさえいれば、これほど後手に回らずに済んでいたのは間違いない。防災はどこでもやっていた。だけれど、やっている事の連携が無かったり、途切れたり…そうした場合に取って代わる者が誰なのか判らないままに惨状は広がっていってしまったんだろう。
経験不足では無かった。経験を全くと言っていいほど、生かせなかった現状は、まだまだ続く…。
ぼちぼち、帰っちゃったけど、世界の救助隊のみなさん。ありがとう! 来るときだけ報道して、帰るときは何も報じなくて、ごめんなさい。そうした国です、日本は。ごめんなさい。
でも、みなさんの活躍が記録はされてもいると思うので、落ち着いたらそうした紹介報道もされると思います。そうした映像を見る度に、感謝しこそすれ、その活躍を忘れたりはしません。世界のどこかで、また活躍してください。
さて、1ヶ月経とうとしている…。
亡き父の故郷が宮城県だったので、親族が被災しており、犠牲者も出ている。親族とはいえ、ほとんど近しく無いので、そんな親族がいたかどうかなんてのは、親世代じゃないと判らないのだが、内陸に住んでいる方の親族はほとんど被害もなく無事。ただ、街へ出れば、壊れているので大変は大変だと。
犠牲者が出たのは海沿い。震災直後の報道で、跡形も無くなった光景を見ているので、あそこで生活していたとなれば厳しいだろうとは言っていたんだが…逃げた親族が生存しており、その様子を知ることが出来た。
「逃げ遅れたというか、逃げなかったかも…」
大きな津波が来ると言う警報はうるさいほど街に流れていたし、津波が来るまで逃げる時間もあったと言う。大方の住民はいつも通りに逃げたそうだ。ただ、逃げる途中で波に飲まれた人もいれば、逃げる方向を間違えて姿を消した人もいたと。
逃げるに難儀な方だったのかと問えば、そうでは無かったとも言う。別に、逃げないと決めて、その場にとどまったワケではないらしいが…結果として家と共に潰れた状態で見つかったそうだ。
逃げる、逃げない…ちょっとした時間の判断で、生死がハッキリと分かれてしまった。幾度も大きな津波でえらい目に遭ってもいる街だったから、誰もが備えていて、生きるための方法も生き延びる為の方向も、身につけていたにも関わらず、何かに迷ったのだろうか…。
国策としてのボランティア投入は失敗しちゃっているので、居所が判っているならば、ダイレクトに送った方が確実に必要なモノが届けられる様になってもいる。見舞金と弔慰金をいくばくか、下着、切り餅などを送ったが、切り餅は喜ばれた。未だに、満足に食料すら届いていない地域があり、ボランティアもそれを知っていながら、物資が届かないなんて事になってもいるそうだ。
困ったことに、ボランティアに役所の人間でもついて回っていれば安心できるが、ボランティアなのか、何しに来てる人なのか定かじゃない人間がうろうろしてたりすると言う。ま、見た限りじゃ悪さしている風には見えないらしいが、おおよそ、ボランティアとも考えられない連中が廃墟の街をうろうろしてたりするんだそうな。
ま、失敗しちゃってんだから致し方ないが…見た目で判るくらいの統一くらいはしてくれないとなぁ。
米軍の機動力はマジですごかったらしい。自衛隊の足での支援も頼もしいモノだった言う。
「オカーサン! ダイジョーブデスカっ!」
やおら高い所を飛んでいたヘリが、突然、轟音と共にスピーカーで呼びかけ、缶詰の段ボールとミネラルウォーターのペットボトルをボトボト落として去っていったと言う。
缶詰は日本製だったが、水はあちら製で、読めないけど飲んでも悪く無さそうだったので頭を洗ったと。津波に飲まれて風呂に入れないと、頭から考えられない臭いがしてくるんだと…。
自衛隊の人は、度々訪れて、持ち合わせの物資を置いていってくれる。薬も、あれば置いてゆくし、次に来たときも必ず前に無かった薬を届けてくれているそうだ。車など入って来られない瓦礫の中を、はいずり回ってやって来て、わずか数時間で道を道に戻して、避難者に声と水と食料を届けてくれたと言う。避難している人数には届かないが、誰かが助けに来てくれる事が実感できた事に、涙が止まらなかったそうだ。
「何もかも失ったおばあさんと孫みたいな自衛隊のお兄さんが一緒に泣いていたんだよ。それまで、おばあさんのふるえが止まらずに、みんなが心配していたんだけれど、おばあさんは元気になったんだよ」
意外なことに、乾電池は普通にコンビニまで行けば売っているそうだ。こっちじゃ手に入らない事を伝えると、驚かれた。ただ、余震の度に品切れにはなるという。そもそも、ほとんど流されちゃって、電池を使う製品すら無いので、あまり買わないみたいだが。
避難所とも言えないような小さな避難所まで必要なモノが届けられる日が、早く来ればいいと思うが、そうした対処が遅れに遅れている様だ。
「宅急便の方が早いよ。郵便も届く。でも支援物資は届かないな…」
当地からの要望で、おしぼりウェッティ的なモノを100均で買い占めて、段ボールで送ることにした。風呂に入れないので体が拭けるだけでもありがたいそうだ。小型のラジオも1つ送った。避難所に行けば、テレビもあるそうだが、ラジオの方が情報が濃く、タイムリーだとも言う。震災に特化したコミュニティFMが多く開局しているのは、不幸中の幸いじゃなかろうか。コミュニティだけに、エリアが限定されているだけにメリットもデメリットもあるが…
「山さ上ればさ、聞こえるンだな。」
1ヶ月経って、まだまだ…。広域に激甚なだけに難しい事も多いだろうけれど、この国は多くの震災を経験していただけに、何かと残念な面が現実に起きている。徐々にではあるが、解消されて来ているとは言っても、経験を生かしてさえいれば、これほど後手に回らずに済んでいたのは間違いない。防災はどこでもやっていた。だけれど、やっている事の連携が無かったり、途切れたり…そうした場合に取って代わる者が誰なのか判らないままに惨状は広がっていってしまったんだろう。
経験不足では無かった。経験を全くと言っていいほど、生かせなかった現状は、まだまだ続く…。